だぼ

だぼ

[1] みやごのごっつお おこちゃん Eメール URL 2005/07/05(Tue)-10:43 (No.178) 引用

宮古出身の自分はどうしても宮古の写真に目が行きます。今回の海の写真(磯鶏・藤原須賀)は、自分世代より少し上。先生がアカフンというのは、すでにありませんでしたから(笑)。地元の子供がほんの少しだけいたような気がします。ガラス玉は「だぼ」と呼んでいました。低学年は1番だぼまで、2番だぼはちゃんと泳げる人だけ、というルールもありました。それにしても藤原から磯鶏にかけて、なんと広いこと。すばらしい風景。釜石の根浜にも負けていません。この写真を「ごっつお」でも紹介したいのですが、いかがでしょうか。

[2] とち郎@家主 2005/07/05(Tue)-15:07 (No.179) 引用

今日は・・。泳いでいるところの様子、記事にも書きましたが改めて発見したのが海中の監視台でした。私も終戦前後に広田にいましたので、ガラス玉の事は知っていました。あそこまで行ける人は、私にとって憧れでした。何せあんまり泳げなかったものですから・・。でも、広田の浜には海中の監視台はありませんでしたね。

ふんどし姿の人は校長先生でした。今見ても懐かしいというか、当時の人柄が思い出されます。根浜海岸も行きましたが、本当に広い砂浜が広がっていました。

地元の子供の姿は、さっぱぶねの近くで着替えをしている所に女の子が居ましたね。当時の海浜学校は外来者が珍しかったと思います。何気なく撮影していた画像ですが、今になってはっきりと思い出せるものと、そうだったかなと言うのがあります。

海水浴帰りの様子を次回に公開しますが、砂浜を子供達が長い列を作って歩いている場面があります。そして、岩場を越えて行くところです。はっきりと覚えては居ませんが、磯鶏の浜と藤原の浜の境目に岩場があったのかなと思いますが、いかがなものでしょうか。

皆様のお役に立つのなら、画像はご自由にご利用ください。

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