就職列車

就職列車

[1] きっちゃん URL 2005/09/13(Tue)-00:30 (No.233) 引用

何度も書きますが、鉄道マニアではありません。たまたま気になったのが、鉄道がらみだったというだけで、、、。

言い訳はその辺にしておいて。
車両の行き先表示に「上野」と書いてあります。
当時は、陸中山田に寄りながら上野へそのまま乗り込む列車があったのだと関心しました。
逆に、山田線を目指す列車が上野始発であったのでしょうから、上野はまさに北の玄関口だったのですね。

[2] とち郎@家主 2005/09/13(Tue)-18:47 (No.235) 引用

きっちゃん、おしばらくです。就職列車のページについてメモをしてみたいと思います。

モノクロフィルムから読み込んだ画像ですが、行き先の上野は意図的に画面の左上に置きました。あの画面からは上野・釜石は読み取れますが、その他ははっきりしません。原画から読み取れたのは、上野行・釜石・常磐線経由とあります。

あの準急陸中には、私も何回か乗ったことがあります。時間等の関係で、私の乗車駅は花巻でした。家は北上(当時は黒沢尻)ですが、なぜか北上駅には停車しなかった記憶があります。

当時の事を思い出しながら書いてみますと、準急陸中号は盛岡発・宮古・釜石・花巻経由・盛岡行の車両だったと思います。宮古からは三両編成の先頭が上野行きになり、花巻で切り離されます。そして盛岡から来た急行に連結され、花巻からは急行列車として常磐線経由で上野に向かいました。残りの二両は上野から来た急行に連結されるか、単独で盛岡に向かったと思います。

新幹線などの特急列車がなかった当時、沿岸から上京する乗客のために国鉄が便宜を図ったものと思われます。ムカデのようにと言うと表現が良くないのですが、単独車両でも走られる気動車が出てからの事でしょうね。

上野はまさに北の玄関という表現に、啄木の歌を思い出しました。「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」・・、上野駅に石碑があるのだそうですが、私は見たことがありません。以前、上京した頃の帰りですが、上野に来て列車に乗ると、本気に家に帰られるなと思いましたからね。

この表記は記憶違い等があり得ますので、ご存じの方はお知らせ願えれば幸いです。

[3] てっち@裏方 2005/09/13(Tue)-21:26 (No.237) 引用

きっちゃん、おひさしです〜

> 何度も書きますが、鉄道マニアではありません。たまたま気になったのが、鉄道がらみだったというだけで、、、。

ん?!
本当かな〜(ニヤリ)

[4] きっちゃん URL 2005/09/15(Thu)-12:36 (No.241) 引用

とち郎さま。こちらこそご無沙汰しております。
昔のこととはいえ、国鉄もずいぶんとトリッキーな運行を行っていたのですね。
啄木の詩は岩手出身者にはしみますね。内陸で生まれ育ったわけでもないのに、知った場所や名前で望郷の句を詠まれるとぐっときます。実際は有名どころの句しか知らないのですけどね。

てっちやん、、ニヤリってなんじゃい(笑)。
鉄属性はかなり低いっすよ。嫌いではないけどね。どちらかといえば、飛行機のほうが百倍くらい好きだなぁ。十時間以上のフライトでも降りるころには、もう降りるのかぁって思ったもの。最近は行ってないけど(HND第二ターミナルでさえ見てない)、空港を見に行くだけでも楽しいしね。って、だれだよ。そんなこと教え込んだのは。

[5] てっち@裏方 2005/09/15(Thu)-14:05 (No.242) 引用

>最近は行ってないけど(HND第二ターミナルでさえ見てない)、空港を見に行くだけでも楽しいしね。って、だれだよ。そんなこと教え込んだのは。

ハハハ、たぶんオイラです。(笑)
HnD、その呼称久しぶりに聞いたぞなもし。
ビッグバードの展望デッキにあった棒アイス、あれうまかったな〜。
そういや、C滑走路も沖合に移っちゃって、以前みたいに目の前での離着陸が見られなくなったと聞きました。
南風の日につばさ公園に行けば、すんげー間近で見られたのにねぇ。
ATISに出てきていた、あのカタカナ英語へっぽこオペレータ、まだ健在なのかな〜。

そういや二人で展望デッキにいた時、、一度私服警官に間違えられたっけ。
ただイヤホンでエアバンド聴いてただけなのにねぇ。(笑)
オイラ達、そんなにあやしかったのだろうか・・・。

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