就職列車

就職列車

[1] みやごのごっつお URL 2005/09/15(Thu)-11:20 (No.240) 引用

私が中学を卒業したのが1969年(昭和44年)。1中3年7組からは6人が集団就職でした。3月、風花の舞う日、クラス全員での見送り。ホームにはホタルの光が流れ、何色もの紙テープで別れを告げたものです。05年、夏。その3年7組の同窓会がありました。そのとき集団就職した何人かも見え、その思い出を語っていました。みんな白髪だったり、髪がなかったり、太っていたり・・・自分も・・・

[2] とち郎@家主 2005/09/15(Thu)-20:00 (No.243) 引用

1969年同時は、統合山田中学校に勤務していました。この頃ですと、職業訓練校(宮古と釜石)に進み、一年間の訓練後に関東方面に行く人が多かったようでした。

今でもはっきりと覚えていることがあります。1965年に中学卒業後、北洋のサケマス船に乗り、およそ三ヶ月後だったでしょうか・・、戻ってきます。あの当時の中学生は、北洋と言っても仕事は「かしき」だったはずです。戻ってきた彼は、何と何と250ccのホンダのドリーム(新車)に乗って学校に来ました。もちろん無免許です。

当時の私は125ccのオートバイ(原動機付き自転車)にしか乗れませんでした。凄く景気が良いものだなと思ったわけです。「俺はおめ様(山田での最高級の敬語です)より金持っている」といわれました。当時の中学卒業後のひと航海で、2・30万円だったと思います。そのくらい危険であっても実入りが良かったはずです。

内陸に戻ってきたのが1973年ですが、その頃になるとほとんど船に乗る生徒はいませんでした。本当に今は昔の話しですが・・。

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