無題

無題

[1] 想えば遠くへ来たもんだ 2006/03/06(Mon)-18:40 (No.344) 引用

内間木洞は、実は遺跡でもあるんです。縄文時代の土器や石器、獣骨などが出土しています。古い物が大好きな私としては、私たち之歴史が注目を浴びることは嬉しいのですが、今のままで保護していくこととの両立が難しいなあ…といつも思っています。
さて話は変わりまして、今月末から岩手県立博物館で、人間の生と死をテーマにした企画展を開催するそうです。田舎者の私は、祖母から「人は死んで50年経つとと山に帰る」と聞いて育ちました。大人になってから知りましたが、これは日本古来の考えだそうです。遠野物語にも出てきそうですね。大切にしたい話だと思います。
楽しみです〜。

[2] とち郎 2006/03/06(Mon)-20:47 (No.345) 引用

遠来さん今晩は。
やっと暖かくなりました。家の周りの雪がどんどん消えていきます。沿岸では春のどか雪が来たのでしょうか。

内間木洞の遺跡的価値については、現地で頂いた資料にも書かれてありました。古来からのえにしにより、あそこの洞内には祠がまつられ、人々に大切にされてきたと言うことでしょう。

今回、山形村に移管され、今日からそのまま新久慈市の管理下になりますね。開発と保存の兼ね合いが、今までよりかなりやりやすくなると思われますし、そうでなくてはなりません。これは洞窟フアンの一人としても願うところです。

話題はがらりと変わりますが、うーん・・思わずつまりました。この年になるまで、自分の死後魂がどこに行くのかなんて、本気になって考えたことがなかったからです。ネットで死生観と入力し検索してみました。あるサイトの中にあった文章からの抜粋です。

かつての日本人は家で生まれ、家で育ち、そして家で死ぬのがあたり前であった。・・(省略)・・浄土、特にも日本人にとっての浄土が、山や海の彼方にあるものだとすれば・・(省略)・・山や海は、近代以前の人間にとってあまりに大きく深い存在であるがため・・・

そうか・・、昔の人の浄土は山の上や海にあったのかな・・。だから祖母の話された「山に帰る」ことになるのか。私にはここまでしか分かりませんですね。

掲示板にこんな事を書くと笑われそうですが、私は今になっても自分としての確たる死生観と言ったものはありません。これはすごく難解ですよ・・。

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