◎まつり場での案内放送から 6:27頃・・・室根神社とこの祭りについて しかしながら、蝦夷と呼ばれた当地方の現住民族はその勢力はなはだ強大で、強力にそれを拒み、容易には日高見の国征伐が進まなかったことから神の加護に頼ろうと、時の将軍大野東人が当時天下第一をされていた紀州の本宮村の熊野神をこの地に迎えることを元正天皇に願い出ました。 峠において神様のお告げを受けて室根山を鎮座の地と定めて、将軍大野東人がお先うちとなって神輿を守り、当時鬼首(おにこうべ)山と呼ばれていた室根山を目指して進みました。熊野神の行列を伝え聞いた折壁の豪商いまがみのはやるは、郷人を連れて熊野神の行列を迎え、九月十一日郷人によって作られた丸木の柱に松の葉で屋根を葺いた仮宮に安置しました。ここを荒屋と申し、ここからおにかど山に分け入って御所地を構え、仮宮から遷宮したのが九月十九日明け六の時刻、現在の午前七時でした。この年が閏年の翌年であったことから、今に至るまで旧暦閏年の翌年を大祭として引き継がれております。 神霊を勧請されたときに、鬼首山から室根山に改められましたが、これは和歌山県の???と思われ荒馬先陣のお先方にその名残を留めております。その年において、今の室根山に改められましたが、これは藤原秀衡が鎮守府将軍になった安寧元年頃と言われております。室根山に鎮撫されたときの神主や勧請した人々が当地に居住し、その子孫と伝えられる方々で代々祭りに神役を務めておられます。 大祭は、安寧元年から十一年後の天平元年にあらやに始まったという記録もあり、千二百八十年以上にわたって受け継がれたものです。祭りの内容も幾多の変遷を重ねているものと思われますが、今日のような華やかな祭りの形となったのは、室根山が神仏習合して寺院として栄えた西暦850年頃と思われます。 |