おわりに・・・
水垢離(垢離とり)の撮影のために、下見をしたりして待ち受け時間が二時間ほどありましたが、男衆が駆け足で沢に降りてきて引き上げるまで時間にして二分弱、見ている我々も夢中になってシャッター押しまくっていました。今年は見学者が極端に少ないこともあり、自分として初回にしては最高の場所で撮影できたと思いました。
撮影する前に、盛岡市のKさんに下見等でアドバイスを受けたことが意識の中にありました。・・・沈んで立ち上がる瞬間にシャッターチャンスがありますよ。たったの三回なので、あれれと言う間に繰り返されていきます・・・。私の場合ほとんどカメラ任せでしたが、始めにしては最高の瞬間が記録できたと思います。
知らなかったことですが、湯田スキー場があり夜間に営業中でした。それほどの人出がないようでしたが、照明が点灯しワイヤリフトが作動中でした。
最後になりますが、盛岡市のKさんにお礼をする前に分かれてしまい申し訳なく思っています。この場面をお借りしてお礼を申し上げます。
山祗神社・長松垢離とり・・・
長松垢離とり
1.指定しようとする無形民俗文化財の名称
長松垢離とり(山神祭)
2.
3.指定しようとする理由
毎年旧暦の12月12日、山神さまの年取りの日に行われている行事で、大正の中頃までは部落の若者たちが素裸で神社の森の斜面を何度も転がって雪垢離をとったが、その後は川に入って水垢離をとるように変わった。垢離をとったあと神社に夜着持ち込んで夜ごもりをしたが、現在ではしていない。
この行事が何時頃から行われていたかについては、部落の始まりや生業と深く関わっているように思える。
長松は近世の始め(約380年程前)山を越えて来て住みついたとされ生業はマタギや焼き畑(かのう)であり、山神の加護のもとで厳しい生活を営んでいた。若者が垢離とり、夜ごもりという精進潔斎をして、山神を祀ったのは、困苦に耐えて厳しい父祖の業を引き継いで行くことを山神に誓う厳粛な儀式ではなかったかと思われる。
長松は、集落移転により現在地(湯之沢)に移ったが、山神に捧げるこの行事は、依然として続けられており、町無形民俗文化財に指定し、永久に後世に伝えようとするものである。
湯田町教育委員会文化財指定より |