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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト呉市・大和ミュージアム>その2

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船尾部分の様子。この方向からですと、後ろからの自然光線で撮影が無理なく行えます。
船尾からの全体の様子、後部主砲とアンテナが見えています。 船尾からの様子。46センチ主砲塔一基と艦上機発射のカタパルトが見えています。
プロペラ4基です。

三枚翼プロペラが4基あります。当然のことですが、プロペラを回すエンジン(タービン)が4基あります。しかも、前進用と後進用とに分かれていました。

実際の大きさが直系5m、重量が35トンありました。

プロペラ部分の拡大です。 プロペラ部分の拡大です。

「大和」の推進器(スクリュープロペラ)は、3枚翼で直径5mの超大型推進器でした。構造は、プロペラ本体に先端のキャップをはめ合わせる一体型の巨大な鋳物で、海軍工廠の鋳造技術の集大成といえるものでした。この技術は、戦後の鋳物技術の基盤となっています。


艦橋部と煙突です。後ろに傾斜している一本煙突が特徴とのことで、高さ30m、長径8.5m、幅4mあり、12基あるボイラーからの煙をまとめています。

煙突の前にある艦の中枢部に当たる艦橋は、先端までの高さが艦底から約51mありました。艦橋部の先端に15mの光学式測距儀があり、40km先の目標の距離を正確に測ることができました。この心臓部を防御するために、周囲には数多くの機銃座が配置されています。

映画「男達の大和」の戦闘シーンも、この場でのものが多くありました。

目標までの距離を測る「大和」の15メートル測距儀は、世界一の大きさと性能をもっていました。2組の上下像合致式とステレオ式の三連装式で構成され、目標を正確に測距できました。

こうした技術は、戦後、カメラなど精密光学機器に大きな影響を与え、日本の精密光学機器産業は世界有数のものへと成長しました。

今のカメラはオートフォーカスがあたり前ですが、それ以前のカメラは、被写体までの距離を測るために距離計を使いました。その後距離計がカメラ内蔵になり、ファインダー内での二重像合致でピントを合わせていました。

艦橋部と煙突、ほぼ横から。
艦橋部と煙突、斜め上から。 艦橋部と煙突、ほぼ横から。


後部甲板46センチ3連装主砲塔 後部甲板46センチ3連装主砲塔
「大和」の主砲は重さ1.5トンの砲弾を約40秒ごとに一発発射できました。砲塔一基の重量2,779トンは、駆逐艦1隻に匹敵します。

主砲などを建造した工作機械は、戦後、大型船のクランク軸製造に使用され、砲塔の組立と性能調査のためのピットは、現在、原子炉圧力容器の漏れを調査する水圧試験などに利用されています。
46センチ3連装主砲塔二基と、見事に張りつめられた木の甲板。

46センチ3連装主砲塔二基と、見事に張りつめられた木の甲板。

一見、平らに見える甲板も平面ではなく、水はけを良くするために左右方向に下りの傾斜がつき、横から見ても、うねるような曲線が連続的に繋がっています。

この前後左右にうねりを持ち、しかも船の形そのままに舷側はカーブしている甲板に、真っ直ぐ板を張ってゆくことは至難の業なのです。

大和の甲板には台湾ヒノキが使われていましたが、模型でヒノキを使ってしまうと、甲板材の木目だけは1/1スケールになってしまうため、木目が詰まっていて色合いも良いタモ材に決定しました。

4カ月という期間をかけて巨大な甲板に幅15ミリの板を一枚一枚手作業で張っていき、精密極まる木組みで甲板材の端を留めていきました。こうして独特の傾斜がある戦艦「大和」の木甲板は1/10スケールで見事に再現されました。



1/10スケールの戦艦「大和」を展示する「呉の歴史」展示室の隣には、大型資料展室がありました。ここには実際に太平洋戦争時に使用された零式艦上戦闘機(琵琶湖に水没していた)や、最終特攻兵器として知られる人間魚雷「回天」の実物が展示されています。

平和な今だから平気な顔して見ることが出来ますが、私より年配の方や実際に戦役に参加された方にとっては、涙なくしては見られない歴史の遺品でもあります。自ら「回天」搭乗員搭乗員に志願した、塚本太郎少尉の遺書が資料に書かれてあります。家族にあてた文章に込められた悲痛な思いが伝わってきました。

「回天」は、人間が魚雷を操縦しながら、目標とする艦艇に体当たりする特攻兵器で、「人間魚雷」とも呼ばれます。いろいろなタイプがありますが、実戦投入されたのは、「九三式酸素魚雷」と用いた型のみで、約420基が製造されました。戦没者は搭乗員だけでも100名以上にものぼり、その多くが20歳前後でした。

展示されている「回天」十型は、潜水艦用の電気推進行雷である「九二式魚雷」を利用し、本土決戦の近距離用として開発されたものです。

文庫本「戦艦大和発見」のあとがきに作家辺見さんが書かれた内容に心を引かれました。

イギリスの戦史家リデル・ハートは、「もし私たちが平和を欲するならば、戦争をよく知らねばならない」と言っている。その言葉に重ねて、あの太平洋戦争が私たちにとって何であったかを改めて知ることが大切に思えてならない。

映画「出口のない海」原作(横山秀夫著・講談社文庫)から「回天」についての資料を紹介します。

人間が乗り込めるようにするため、61センチだった魚雷の胴直径は1mに拡大された。後ろ半分はそのまま九三式のボディーを流用し、潜望鏡や操舵機など操縦に必要な部品が次々と組み込まれた。そして、弾頭には九三式魚雷の三倍にあたる炸薬が詰め込まれた。

全長14.75m。胴直径1m。一人乗り。550馬力。航続距離7.8km。最高速力30ノット。弾頭炸薬1.6トン。


特攻兵器人間魚雷「回天」全景。
特攻兵器人間魚雷「回天」・・・先端部、この部分に1.5トンの爆薬が入る 特攻兵器人間魚雷「回天」・・・前の方から。
特攻兵器人間魚雷「回天」・・・人の入る操縦席と潜望鏡。 特攻兵器人間魚雷「回天」・・・操縦席の後ろ。
特攻兵器人間魚雷「回天」・・・二連のスクリューと舵。 「回天」は訓練中や特攻出撃中に、機器の不整備等でかなりのトラブルがありました。出撃した場合は基地に戻ってきますが、その際の兵士の扱いは異常とも思える上官の言葉で迎えられました。

・・・貴様らよく聞け!。はちまきを締め、みんなに帽子を振られて得意になって出ていくだけが能じゃないんだ!。出ていくからには戦果を挙げろ。スクリューが回らなかったら、手で回してでも突っ込んでみろ、分かったか!・・・

ここにある二連のスクリュー・・。小説を読み、実際に映画を見た私は、言いようのない屈辱と、怒りをぶつけられない20歳代の若者の悲痛な叫びが聞こえてきました。
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