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          呉市・大和ミュージアム


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昭和の末になりますが、東シナ海340mに沈む戦艦大和発見のニュースがありました。その様子を記録した本「YAMATO」(角川書店)を書店で見つけ、買い込んで読みあさった記憶があります。

戦前生まれの私は、終戦時小学校3年生だったと思います。当時、陸前高田市・広田海岸に住んでいましたので、アメリカの潜水艦が来たと言うことで山に避難したり、釜石の艦砲射撃の「どどーん」と言う音をいまだに覚えています。近くの海岸には、潜水艦に追われて座礁した貨物船があり、上級生と一緒にその船を見に行った記憶がありますし、その後解体されて浜に放置された残骸を見ながら通学もしました。

二度と悲惨な戦争を起こしてはならないと言う願いを込めて、太平洋戦争当時の戦跡に記念館が建てられ多くの方が鎮魂の気持ちをもって訪れています。私も何か所か戦跡を訪れたことがあります。その場に残されている当時の様子や写真・遺書等を見るにつけて、涙なしには読めませんし、国を守るため、愛する家族や肉親を守るため、尊い命を捧げた方々の悲痛な想いが伝わり身が引き締まりました。二度と悲惨な戦争を絶対にしてはいけない、そんな願いがひしひしと伝わってくるからです。

ここでは、太平洋戦争での軍艦としての「大和」についてはあえて触れません。巨大な戦艦「大和」、当時の日本が持てる技術を注いで作り上げた巨大な建造物としての「大和」、展示されている十分の一模型としての「大和」を見た感想を紹介して見たいと思います。ページの解説資料は、頂いた資料、館内での案内説明板と「戦艦大和発見」辺見じゅん・原勝洋編による「戦艦大和発見」(ハルキ文庫)を参考にしました。



大和ミュージアムの隣にある「鉄のくじら館」・・実物の潜水艦です。 広島空港に着いてから、バスは一路呉市にある大和ミュージアムに向かいました。海岸に近づくにつれ、巨大なドックのある風景が見えてきました。

ガイドさんの話だと、あのドックで戦艦大和が造られましたとのこと。ミュージアムに入るには、直接の入り口ではなく迷路のような階段を上がり別棟の建物に入りました。

ミュージアムに向かう途中で、陸に上がった「鉄のクジラ」巨大潜水艦が見えてきました。実物の潜水艦が陸揚げされ、「鉄のくじら館」として艦内が一般公開されています。時間の関係で遠くから見ただけでした。
建物前の広場にあった戦艦「陸奥」の主錨。 戦艦「陸奥」の主錨、沈没船から引き上げとのこと。大和の主錨はこれより大きいとのことでした。
大和ミュージアムの建物。 正面ですが入り口は建物の左側にあり、ここからは入られません。


呉の歴史と科学技術を学ぶ博物館「大和ミュージアム」

明治22年に呉鎮守府が、明治36年に呉海軍工廠が設置され、東洋一の軍港として栄えた呉市。「大和ミュージアム」は、戦艦「大和」を始めとする様々な船が建造され、戦前戦後を通して造船の町として繁栄した軌跡を紹介する博物館として誕生した。

館内は、明治から現代までの歴史を紹介する「呉の歴史」、魚雷や零戦、特殊兵器「回天」などの本物が並ぶ「大型資料展示室」、船に活かされている技術を遊びながら学ぶ「船を造る技術」、漫画・宇宙戦艦ヤマトを中心に科学技術の未来を描く「未来へ」の4つの展示室に分かれ、貴重な資料や写真、模型などが数多く展示されている。

圧巻なのは、一回吹き抜け部分に設置された1/10戦艦「大和」。その迫力ある姿からは、呉の造船技術の素晴らしさを感じずにはいられない。(※館内で頂いた資料から)

私の目的は、1/10スケール戦艦大和の撮影です。館内での撮影は可能ですが、かなりの制限がありました。撮影は手持ちであること、ストロボ一部制限、外部照明・一脚・三脚の使用は禁止となっています。実際に撮影してみたのですが、あまりの大きさに持っていたレンズ(18mm)でも全体を入れるのが困難です。それと、展示場所がガラス張りで、天気の良い日は外からの光が強すぎますし、館内には蛍光灯の照明がありいろいろな光が入り乱れています。目で見る分には良いのですが、デジタルカメラで撮影となると光のバランスがとれなくて大変でした。

一番良いのは、冬の時期の暗くなる時間帯に、撮影感度を上げ、手ぶれ装置の付いたカメラを使用するしかないなと思います。しかし、私の場合は何回も行ける場所ではありませんので、何とか無理をして撮影してみました。ほとんど超広角気味ですから、全体を撮影した場合にはかなりデフォルメしていますがご容赦下さい。

撮影場所は、全体の様子、船首部分、船尾部分、艦橋周辺(中央部)、シンボルでもある46センチ主砲塔に分けてあります。また、館内で頂いた資料から、当時の建造技術が今に生きている内容を添付してみました。

最初は全体の様子です。1/10スケールと言っても、全長が26.3m、高さが5m程ある巨大な模型です。
上から見下ろした船首側から見た全体の様子。 上から見下ろした船尾側から見た全体の様子。
斜め上から見下ろした船首側も様子ですが、全体が入りきれません。 ほぼ斜め水平方向で船尾側か見た様子。


船首の部分です。金色に輝く菊花紋章と、船首の下にある球状艦首(バルバスバウ)が一際目立っています。
艦首にある菊花紋章。

金色に輝く菊花の紋章、実物は直系1.5m程あるチーク材で造られています。イギリスの自走式潜水艇「バイセスU」が、東シナ海海底で戦艦大和を発見したときの決め手は、艦首の菊花紋章でした。発見当時40年を経ていても、金箔が残っていたと言います。

上から見下ろした船首部分。 艦首の両側には主錨があり、それを引くアンカーチェーンが二本あります。一番主砲塔の砲身が見えています。また甲板には木が張られています。
艦首の下から見上げてみました。 船首下から見上げました。かなりデフォルメしていますが菊花紋章と、球状艦首が目立ちます。
船首の下にある球状艦首(バルバスバウと言います)。

現在の船に一般的についている球状艦首です。

球状艦首(バルバスバウ)
巨大な排水量に比べて全長が短く、幅が大きかった「大和」は、艦首の水線下に球状の突起をつけることで速力27ノットで造波抵抗を8%減らし、航続距離の増大と有効馬力の節約ができました。

現在この球状艦首は、小型の漁船から載荷重量トン数50万トン級のタンカーまで幅広く利用されています。

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