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このページでは、C58283のたどった出来事をまとめて見たいと思います。このC58283は、超我の碑の建立の経過にもあるように、数奇な運命をたどったSLだと言えます。
機関士が瀕死の重傷を負いながら、事故拡大防止のため機関助士に緊急連絡を指示し息絶えた美談が、戦後に「大いなる旅路」として映画化され、世に広く知られることとなった。撮影では、現地付近で実際に本物の列車を突き落としたことも鉄道ファンに知られている・・、とありました。 |
山田線には、昭和35年(1960)11月にディーゼル車が導入され、翌昭和36年(1961)2月に盛岡・宮古間が全面ディーゼル化されました。蒸気機関車の廃止を境にした昭和45年(1970)3月には、山田線の全線がディーゼル化されています。 山田線の全面ディーゼル化に伴い、昭和45年(1970)年2月28日にはさよなら列車の運行がありました。宮古・釜石間はC58283が列車を牽引し、宮古・盛岡間はC58239が重連の先頭になって貨物列車を牽引したと記録にあります。 |
ネット情報の画像(撮影は1970.12.25)によると、東北本線尻内機関区には車番プレートが外されたC58283が置かれていたようです。多分、その後現地で解体されたものと思われます。 |
岩手県盛岡市に保存されているC58239は、壮絶なドラマがあった山田線で主に働いていました。その後、盛岡駅の入れ替えに使用したあと、昭和46年(1971)9月の花輪線のディーゼル化とともに休車、昭和48年(1973)から盛岡市の交通公園に保存されています。本当にきれいなSLでした。 |
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