location:uchinome.jpトップ>ウチノメアーカイブス>アーカイブス山田編C58283後日談>その2

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このページでは、C58283のたどった出来事をまとめて見たいと思います。このC58283は、超我の碑の建立の経過にもあるように、数奇な運命をたどったSLだと言えます。

ネット情報によりますと、昭和19年(1944)3月12日7時56分、山田線で雪崩で崩壊した鉄橋に下り貨物列車(C58形式蒸気機関車+貨車5両)が突っ込み谷底へ転落。加藤岩蔵機関士が死亡し前田悌二機関助士が負傷した。事故原因は雪崩により鉄橋が崩壊したため・・と記録に残っています。

機関士が瀕死の重傷を負いながら、事故拡大防止のため機関助士に緊急連絡を指示し息絶えた美談が、戦後に「大いなる旅路」として映画化され、世に広く知られることとなった。撮影では、現地付近で実際に本物の列車を突き落としたことも鉄道ファンに知られている・・、とありました。


山田線には、昭和35年(1960)11月にディーゼル車が導入され、翌昭和36年(1961)2月に盛岡・宮古間が全面ディーゼル化されました。蒸気機関車の廃止を境にした昭和45年(1970)3月には、山田線の全線がディーゼル化されています。

山田線の全面ディーゼル化に伴い、昭和45年(1970)年2月28日にはさよなら列車の運行がありました。宮古・釜石間はC58283が列車を牽引し、宮古・盛岡間はC58239が重連の先頭になって貨物列車を牽引したと記録にあります。


ネット情報の画像(撮影は1970.12.25)によると、東北本線尻内機関区には車番プレートが外されたC58283が置かれていたようです。多分、その後現地で解体されたものと思われます。


岩手県盛岡市に保存されているC58239は、壮絶なドラマがあった山田線で主に働いていました。その後、盛岡駅の入れ替えに使用したあと、昭和46年(1971)9月の花輪線のディーゼル化とともに休車、昭和48年(1973)から盛岡市の交通公園に保存されています。本当にきれいなSLでした。

昭和15年(1940)に製造され、用途廃止される昭和47年(1972)の32年間に約178万km(地球を44周)走ってきた。総重量100t、動輪直径1.52m、最大馬力1,006hp、最高速度85km/hと書かれてありました。



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盛岡市運動公園内のC58239の様子です。SLの間近に迫り、しっかりと細部を見ながら撮影していたら、子どもの頃を思い出しました。

わたしの記憶にあるSLは、終戦後の大船渡線でのことでした。かなりの急坂をあえぎながら走る列車の速さは、徒歩よりも少し早いくらいの所もありました。

当然のことですが、SLは全力で走りますので煙がすごいのです。ましてや、トンネルに入ると速度の遅い場合は煙が室内に充満し、むせたり咳き込んだりもしました。しかし、乗客の誰一人として不満なんて言いません。SLとはそういうものだと思っていたのですから・・。

この撮影をしていたら、係の方(私と同年配)がお出でになり、色々とお話をお聞きしました。一年に一回、元機関士の方々がボランティアで掃除や点検をしているとのことです。

しかし、心ない人がいて、部品を外したり壊したりして持って行かれると嘆いておりました。そのため、貴重な部品は外しておいたり、ナット類はかしめたりしているのです・・、と話されていました。

SLは、私や私と同年代の人々にとっても、幼い頃を思い出させる懐つかしい存在だと言えます。

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