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次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)・・・

京都の人形師で、幕府の御用達であった雛屋次郎左衛門が作った事からその名がついたと言われている。丸顔で、引目鉤鼻(ひきめかぎはな)と呼ばれる愛らしい目鼻立ちが特長となっており、宝暦11年(1762)頃から江戸で売り出されてからは、庶民たちの人気を博した。男雛は公卿の装束姿で、女雛は両手を開き、五衣・唐衣に袴姿で、冠はかぶらない。

この二体の人形は江戸中期のもので、青山家所蔵のものです。享保雛や古今雛は沢山飾られていますが、次郎左衛門雛はこれだけとのことでした。大変貴重なお雛様といえます。

遠くから見ると顔立ちがはっきりしません。説明の女性から、「可愛い口が紅でかかれていますよ・・」ということでアップで撮影してみました。顔がかなり黒っぽくなりかかっていますが、小さな目にはっきりと瞳があり、可愛い口が描かれています。

次郎左衛門男雛 次郎左衛門男雛上半身のアップ画像
次郎左衛門女雛 次郎左衛門女雛上半身のアップ画像


雛人形の飾りは江戸時代初期までお内裏様だけを飾るものだけであったと言われます。

江戸時代初期は、形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られ、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」や大型の「享保雛」などが作られた。これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。

この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」と呼ばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。
(※ウイキペディアより)


飾り雛人形・・・
ここでは飾り雛という分類で、壇飾りの下の方にあるきれいな人形を撮影してみました。飾り人形とは私が思いつきで付けた分類です。

沢山あった中から十組の人形を紹介しします。どこかで聞いたことのある歴史上の人物や、物語などに出てくる主人公が人形になっています。

   『浦島太郎』  『太田道灌』  『牛若丸』  『日本武尊』  『舌切り雀』  『刀鍛冶』  『安珍清姫』  

   『狆引き官女』  『胡蝶の舞』  『高砂』
浦島太郎 太田道灌
牛若丸、両隣は烏天狗です 日本武尊の熊蘇退治です
舌切り雀 刀鍛冶
安珍清姫 狆引き官女・・・当時の犬としては最高に珍しく高価な犬だったと思います。
胡蝶の舞・・・日本版の妖精でしょうか。 高砂・・・おなじみ長寿の願いである翁と媼です。


三月の雛祭りが終わり間もなく春近しの季節になりますが、この時期には各地からひな飾りの頼りが聞かれます。岩手でも、伝統的な雛祭りが各地で開催されています。私の地元奥州市では、水沢のくくり雛が従来のお雛様とは違った趣で人気があります。今回は訪れてはいません。

私が訪れるのは、写真撮影が可能な所に限られますので、出かける場所が限定されます。2月20日から公開された花巻市大迫町の宿場の雛祭りは、地元の旧家が藩政時代の享保雛や次郎左右衛門雛、古今雛など、代々受け継がれてきた貴重な雛人形が公開されます。

写真撮影も、ストロボを使用しなければ制限等がありませんので撮影に出かけたのですが、前回訪れた時は展示公開場所が商工会議所でした。その中で、照明制限等をして丁寧に扱われていたのがこの享保雛です。蛍光灯の紫外線が衣装の染料を退色させるという事でした。貴重な文化遺産でもありますので、白熱球の照明でスローシャッターで撮影した記憶があります。

今回訪れたのは新しい交流活性化センターで、室内も天井も埋め込まれている蛍光灯で明るくなっていました。見学する立場では明るくて良いのですが、貴重な雛人形を保存する立場から見たらどうなるのかなと思いました。このことを説明してくださった方にお聞きしてみたのです。

「前の時はみんなして蛍光灯を入れ替えたのです。ここは取り外すことが出来ないので気にしていました・・」とのことでした。私も、「電球の時はストロボの光りも影響したかも知れませんが、常時蛍光灯で明るくなっている状態では、ストロボの瞬間の光りは関係しませんよ・・」とお話ししました。

貴重な先祖からの遺産を公開し保存するのは、その家の方々です。交流活性化センターとして、まとめて保存する場所もないと言います。3日の後は家族総出で元通りに梱包し来年まで自宅に保存するのでしょう。手数のかかる作業ですが、先祖が残してくれた貴重な遺産を受け継ぎ保存して行くのも大変なことだと思います。

いつまで貴重なお雛様の撮影が許可されるかは分かりませんが、撮影し画像を利用する立場の者から言うと有り難いことだなあと思いました。係の女性はこっそりとつぶやいていました。「だってね、よその家のお雛様を撮して売っている人もありますよ・・」、これには思わず絶句でした。

何処の会場に訪れても、「撮影して良いですか?」と聞くのが習慣になっています。 大好きな神楽の場面の撮影でも、「いっぺー撮してよ」とか「良いとこ撮れたかあー」と聞かれます。こう言われるとすごく嬉しくなります。私なりに満足できるように撮影し、お礼の意味でのホームページでの公開を目指しています。

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