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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>民俗芸能アラカルト陸前高田市・根岬梯子虎舞>その2


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いいよ虎舞いの最上段での演技が始まります。梯子の先端部で二人が組んで演舞しますが、衣の中はどうなっているのか分かりません。虎舞いの頭を持つ方は足を梯子にかけ、台になる方の手が身体を支えているように見えます。ひょっとすると、頭を持つ方が台になる方に首乗りしているのかも知れません。

この位置から身体を伸ばし前方にでんぐり返しをすると、観客から一斉に悲鳴に近い歓声が上がりクライマックスを迎えます。一瞬たりとも気を抜くことができない緊張の連続です。子どもの頃聞いていたうろ覚えの歌に、「根岬の虎舞はね虎舞、一杯飲んでも止められね、ががにこにんに・・」だったと思いますが、とてもじゃないが一杯飲んだりしては演技になりません。

二人ペアの虎舞、上の人の動作の敏捷なことにはびっくりしてしまいます。衣の下にいる方は、上の方の足をがっちり押さえている。はずみで大きな梯子がゆさゆさと揺れます。怖いと思ったら絶対にやれない演技です。怖くないと言ったら嘘になるのでしょうが、そのために日頃からの厳しい訓練と鍛錬、何よりも二人の阿吽の信頼関係があっての一体技だと思います。

※虎舞いの演舞は二組ありましたが、ここで紹介するのは二番目の皆さんの演舞です。最初は正面真下から撮影し
  ましたが、虎の表情が分かりません。二回目は梯子の脇に行き、横から200mmの望遠レンズで撮影しました。ま
  た、連写モードを使用しています。)

20m上空での演舞 1 20m上空での演舞 2・・・そのまま前方に倒れます。足はどうなっているのでしょうか。
20m上空での演舞 3 20m上空での演舞 4・・・頭が梯子に付いています。
20m上空での演舞 5・・・元まで身体を起こしますので、凄い腹筋運動です。 20m上空での演舞 6・・・洞だ終わったぞ・・そんなつぶやきが聞こえそうです。


引き続き二回目の演舞が始まりました。最初の時と違ったのは、前に倒れながら口から紙吹雪を出したことです。ひらひらと20m上空で舞う紙吹雪は、青空に映えて凄くきれいでした。それにしても一瞬の動作ですから、どのようにしてまいたのか不思議でした。
二回目の演舞 1 二回目の演舞 2・・・前に倒れながら口から紙吹雪が出てきます。
二回目の演舞 3 二回目の演舞 4・・・身体の長さからして、上の段に足だけかけて倒れるのでしょうか・・。元の姿勢に戻るところですが。
二回目の演舞 5 二回目の演舞 6


この画像は、これから始めるよと言う姿と、終わりましたという姿です。左の画像では、梯子に挟んでいるいる上の方の足と台になる方の梯子をがっちり掴む手。右の画像では、二段目に足をかけ、すねが上の段にしっかりと固定されています。台になる方は衣の中で身体を押さえているのでしょうか・・。そんなことを思いながら見ると、はらはらしたその時の様子が浮かんできます。

夢中で撮影する間はファインダーの中でしか分かりませんが、改めて画像処理をしながらじっくり見ていると高所恐怖症でない私でも、気持ちがざわざわしてきます。それにしても、解説に曲芸とありましたが本当にそのものずばりの表現です。根岬梯子虎舞いの皆さん、どのような練習をし技を磨いているのか、凄く興味が湧いてきます。
演舞前の画像・・私をしっかりと睨みつけています。 演舞を終わった最後の様子です。


20m上空での演技が終わると、そろりそろりと虎が下に降りてきます。この際も勝手に降りるのでなく、登るときと同様に囃子手(才坊)の扇に引かれて降りてきます。一般に登りよりも下るときが危険が一杯あります。頭を持つ方は常に直立姿勢で降りますので大変だと思われます。

最後の画像に梯子虎舞いの半纏をつけ、腕組みしている方が見えています。多分ですが、かつて自分も梯子に乗った長老の方でしょう。自分の孫達(?)の演技を心配してみていたのかなと思いました。
梯子から降りる虎 1・・・囃子手が景気を最後までつけて誘っています。 梯子から降りる虎 2・・・後一段ぐらいで地面に着きます。本当にご苦労さまでした。
梯子から降りる虎 3・・・最後の囃子手(才坊)が降りてきます。その間25分ほどですが、威勢の良いお囃子連の演奏が続いていました。 梯子から降りる虎 4・・・腕組みをし、心配そうに見守る長老。


撮影はほとんど上を向いての姿勢になり、カメラの保持等で腰が痛くなる程でした。皆さん思い思いの角度で撮影しています。撮影が終了し疲れたので神社に行き拝んできました。この神社の境内も、今は亡き父親との想い出がたっぷりある場所です。

祭り広場一杯に埋め尽くした皆さんです。参道の石段に腰掛け休みながら見ていた私は、ふと60年前の境内を思い出していました。終戦間近(昭和19年)の頃ですが、この境内の広場を開墾し馬鈴薯だったでしょうか植えました。小学校からここまでかなりの距離がありましたが、引率の先生と一緒に歩いてきたのです。

ある時の事でしたが、突然アメリカ軍の艦載機が海の方から目の前にすーっと来たのです。引率の先生が「隠れろ」と叫び、慌てて道路脇の側溝に伏せました。まだ恐いことが分かりませんのでひょいと顔を上げたら、パイロットの顔が見えました。風防を開き一人乗りでゴーグルを着けていました。そんなこともあった、思いで深い場所でもあるのです。

陸前高田市広田には、終戦時をはさんで5年ほど生活しました。私にとって広田は、子どもの頃の想い出の場所でもあり、心に焼き付いている原風景でもあります。

残念だったことは、せっかく解説の方が梯子虎舞いの由来を放送していたのに、カセットレコーダーの向け方が良くなかったのでしょうか、お囃子の音と解説のアナウンスが同じレベルになり聞き取れない部分がかなりあったことです。次は4年後でしょうか、機会があったら訪れてきちんと由来を確認したいものです。

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