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          1965年漉磯海岸


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船越半島の先端に霞露(かろ)ケ岳があり、その麓に漉磯(すくいそ)地区があります。当時のことですが、一世帯だけがここで生活されていたと思います。当主のお祖父(確か七兵ェ衛)さんは、以前はまたぎの生活をなさっていたと聞いていました。

1965年(昭40)船越中学校当時、この家の次男坊が私のクラスの生徒さんでした。山越えをして麓の大浦まで来るのに、徒歩では大変なので馬に乗ってきていたはずです。秋のことでしたが、家庭訪問をかねて遊びに行くことになり私はオートバイで出掛けました。現在では立派な道路が出来ていますが、当時は山道でもあり道路は開発中だったと思います。

彼の家から東側に斜面を下ると漉磯海岸に出ることが出来ます。砂浜から見た海岸の様子や、崖の上(100m以上あったでしょうか)から撮影したのがこれから紹介する画像です。この画像もリバーサルフィルムからスキャナーから読み込んだものです。

砂浜にそびえ立つ断崖の上から撮影した写真は、あれから40年経過していますがはっきりと覚えています。今だから言えるのですが、崖の真上にある松の木にしがみつき見下ろして撮影しました。若い頃とはいえ、かなり無茶な撮影をしたものです。それだけに、太平洋の荒波が打ち寄せ居る迫力ある光景が忘れられません。

砂浜から北側を見た様子で、海蝕洞のある島が写っています。
(135ミリ望遠レンズ使用)
砂浜南側の断崖の様子です。ここに波が打ち寄せるため、波打ち際の岩石がかなり浸食されていました。

私はこの崖の上に登って撮影したのです。(35ミリレンズ使用)

赤平金剛を南側から見た様子です。前のページで、60度を超すと表現したのはこの写真からでした。
(35ミリレンズ使用)

 

同じ場所から135ミリ望遠レンズで撮影したものです。
決死の覚悟(?)で撮影した太平洋と、打ち寄せる波の様子です。太陽が真上にあり、光る海の様子を見せていました。(35ミリレンズ使用)

※カビが付いており見にくい部分が  あります。

1992年(平4)二度目の勤務で大浦の住宅で過ごしましたが、漉磯海岸への道路は工事中でもあり、再び訪れることがありませんでした。

若い頃の思いで多い山田の風景と浜の人々の生活の様子は、終生私の心から忘れることはないと思います。

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