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    三内丸山遺跡・大型掘立柱建物(復元)


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この遺構は、柱穴が3個ずつ2列に配置され、柱の間隔は4.2mと規則的です。柱の根入れは2mから2.5mで柱穴は入念に埋め戻され、埋め土か固く締まっていました。また、出土した柱はクリ材で、その直径は最大で103センチもあり、根元を焼き焦がしてありました。また、柱が内側に若干傾いていたというか可能性もあり、そうだとすれば構造物の安定を保つために柱が上部で連結されていたと想定されます。

ここの保存棟も暗い上に湿度がかなり高いので、長時間入っていると具合が悪くなります。穴の中には当時の柱の根っこが残っていました。柱の根元が焼かれて炭化し、腐食を防いだ昔の人の知恵に驚きます。クリの木は木質部が堅くて残るのでしょうか・・。我が家の裏にも子供の頃からあった枯れたクリの根っこがあります。ノコギリの歯が立たないくらい固いのです。これから何年残るのか楽しみですが、誰が確認することになりますか。
大型掘立柱建物柱の発掘現場 1・・ここに6個の柱の穴があります。 大型掘立柱建物発掘現場 2
残っていたクリの柱の根元部分です。それにしても4000年前のものがあるとは驚きでした。 残っていた別の柱の根元部分。


この復元建物は、縄文時代の中期後半(約4500年〜4000年前)のものです。専門家の見解は、大きく建物説と非建物説に分かれています。目的や用途も、祭殿や宗教的な施設、物見櫓、灯台、魚の見張り台、天文や季節の基準を知るための施設などとする見方もありますが、現段階ではよく分かっておらず、三内丸山遺跡の大きな謎のひとつとなっています。

この6本柱の巨大な櫓は、山内丸山遺跡のシンボルとも言えます。側にある復元掘立柱建物とバランスが良く、じっくり見ていると飽きませんし、古代の我々の祖先民族の生活に想いが馳せます。たまたまでしたが、上空に飛行機雲が出ていました。超古代と現代の対比だなあ・・、縄文時代の人が見たら何と言うのかなあと思った私でした。
大型掘立柱建物(復元) 1・・復元道路からの遠望です。 復元建造物とは言え、縄文時代に北気分になれます。
上空に現れた飛行菊本古代の復元建物、面白い対比でした。 柱の復元説明図。
櫓のアップ 1 櫓のアップ 2