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ここでは撮影する角度を変えて、土台石と上に乗る笠石の接合面を調べてみました。驚きの発見があり、どうやって乗せたのだろうと言う想いがつのりました。それと接点の隙間です。

岩石の色や模様等からお分かりでしょうが、この岩石は全て巨大な花崗岩です。花崗岩は、地下の深いところでマグマが冷却して作られ、地殻変動で地表に出てから浸食され、今のような形になったものです。

気の遠くなるような地史時代の出来事に思いを巡らすと、花崗岩が浸食されて丸くなる過程のどこかで、偶然にも上に乗っかって今の形になったのか・・・。それとも、丸い花崗岩を何らかの方法でこの場所で乗せたのか、どこからか運んできたのかと言うことになります。

運ばれた来たとなると、弁慶の仕事と言うことにつながります。昔の人が弁慶の仕事とした事も、民話の内容として分かるような気がします。
土台石が壊れかかっているようにも見えています。 土台石と笠石を、南正面右側から見た様子です。土台石もつるりとした石でなく、かなりひびが入ったようにも見えています。
見事なバランスで浮いているように見えています。 祠側からローアングルで撮影すると、土台石の片方だけに乗っているのが見えてきます。全体像の時にも書きましたが、見事なバランスで隙間があるのです。
花崗岩のきれいな模様と笠石の底の部分が潰れているようにも見えます。 エイリアンの顔と書いたアングルの部分に接近すると、土台石と笠石の接点はほぼ平面になっていて、本当にぴったりと接しています。

気のせいででしょうか、上になっている笠石の底の部分がつぶれて変成しているようにも見えます。
隙間にびっしりと一円玉が挟まれています。 更に接点部分を注意して見ると、隙間に一円玉が挟まれています。しかし全部が入るのでなく半分ぐらい入って止まっています。

一円玉の厚さは約1.5ミリですから、ほとんどぴったりと接していると言えます。これらのことから思うと、一体どうやって石を乗せたのか、どのようにして加工したのか、そして何のためかという疑問にぶつかります。

巨石の重なりの形態からして、ドルメン(古代人の墓)ではないのかと言う説が出るのも頷けます。
超広角レンズで見た接合面です。 二つの土台石と笠石を、超広角レンズで撮影した様子です。接合面の間近で見ていると、押しつぶされそうな圧力を感じます。

それと、今まで巨大地震等が何回もあったはずですが、崩れなかったのだなあと感心してしまいます。


続石の東側に不動岩と言って、巨大で小山のような岩石があります。横道に入り現場に行ってみました。しかし、あまりにも大きな岩石であり、表面には草等がびっしりと生えているので全容が分かりません。この場所は温かくなったら再度探索してみたいと思います。
不動岩への入り口、ここから横道に入ります。 正面に見えるのが不動岩の全景ですが、岩の上の植物ではっきりとはしません。 岩の上に柵があり、別のルートで入れたのでしょう。


金箔もどきの清水が流れている所です。

弁慶昼寝場の脇に清水が流れ落ちる場所があり、飲用するための柄杓がありました。たまたまのどが渇いていたので、柄杓で水を汲んでびっくりしました。

きれいな沢水の中に、キラキラ光るものが入っています。あたかも金箔入りの酒のようにです。「あれれ、金箔」、そんなはずはありませんので、しばし柄杓の中を眺めていた私です。何度水を取り替えても同じでした。

家に持ち帰り調べたら、黄銅鉱の薄片となっていました。金箔が流れていたら、大変なことですよ・・・。

クマが住むという山です。今年の暖冬で冬眠から目覚めるのが早いと言います。

もっと続石の周辺を探りたかったのですが、奇妙な事に気がつき慌てて山から下りたのです。上にいる間、変な音がしていました。風がかなり強かったので、杉の木がこすれる音かなあと気にしていなかったのですが、どうやら動物の鳴き声のように聞こえてきます。

巨石があちこちにあり、岩の隙間や穴が見えています。その鳴き声が、岩の方から聞こえてくるのに気がつきぎょっとしました。「熊に注意」の立て札です。幼獣が鳴く「みゃお・・」なのです。カモシカ、クマ・・・だとすると、周囲には私を見ている親が必ず居るはず。そう思ったら急に怖くなり下山したというお粗末でした。

暖かくなったら、再度訪れて詳しく精査しなくては・・・。

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