巨石文化アラカルトに戻る


          遠野市綾織・続石


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 ほっづぎある記 心のオアシス  

location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>巨石文化アラカルト>遠野市綾織・続石

 サイトマップ


巨石文化の創造物(ドルメン)では?と言われている続石、資料等では巨石文化の存在を知っては居ましたが、私のごく近くにあるとは知りませんでした。ネットで検索すると、規模の違いはあるものの家の近場にも結構あるのです。

遠野市綾織・続石、この場所は以前から何回も通っていますが、気がつかなかった場所でもあります。国道396線の脇に看板がありますが、気をつけないと見失います。

道路脇に駐車場があり、そこから案内板を見ながら登り始めます。続石石碑の反対側には、遠野物語に出てくる童話の一部が刻まれてありました。

鳥居の左下には、「これより360m先」とあり、右側には「熊が住んでいるので注意」と書かれてあります。真冬ですから、熊は冬眠中だよなあ・・・と一安心。
道路脇の立派な石碑の案内です。 続石の周囲の地図が書かれてある看板です。 この鳥居から坂道登りが始まります。


鳥居をくぐり直線コースの登り坂を過ぎると、本格的な山道になります。しかも、日陰や杉の木立の中を通るため、階段状の道路には凍結した雪があり気をつけないと滑ります。道路から400m、標高差にして100m程あります。雪のない冬とは言え、日陰の坂道は凍結していました。

坂を登る中にかなり大きな岩石(花崗岩)があります。中央部に裂け目があり、そこからかなり大きな木が生えています。あたかも石割サクラ(盛岡市にある)のように見えていました。
ここはまだ簡易舗装がしてありました。 石の割れ目から生えてきた木ですが、茎の一部が石の上に広がっていました。 両側が杉の木立になり、いよいよ山道になります。


弁慶の昼寝場と書かれた石碑があり、ちょっとした広場になっています。何故こんな名が付いたかは不明ですが、弁慶がどこで寝たのでしょうか。

この大きな石が枕になるのかなあと、民話の内容に想いを巡らせて眺めてみました。
弁慶が昼寝場した所の上、木立の中に大きな岩が立っています。石碑があり、その名は「泣き石」となっています。

昔弁慶がこの仕事をする為に、弁慶がそばの石に笠石をのせたら、位の高い石なのに大石の下になるとは残念と嘆いたので、いまの石の上におきかえたという。
「遠野物語拾遺」第11話から。


最初に見た続石の様子です。上に乗っていろ石が、かなり長いのがお分かりだと思います。 喘ぎながら、弁慶の昼寝場所と書かれた広場を過ぎ、「泣石」と名付けられた巨石を過ぎると、巨大な石が土台の上に横たわっているのが見えてきます。

中央に重なっている立木が無ければ、石の全体像がくっきりとするのですが・・・。気に入った角度で、思うように撮影できませんでした。
石碑の方から見た様子です。私にはエイリアンの顔に二見えるのです。 息を切らしてやっとたどり着いたのは、続石の石碑のある場所でした。この場所から撮影した時は、凄く不安定だがどうやって乗せたのだろう・・、落ちてこないのかなあと思いつつも、初めて見る異様な状態に夢中になり撮影していました。

家に帰り画像処理をして、じっくり岩肌の模様をみていたら、エイリアンの顔に見えるではないですか。逆三角形の頭、目のように見える巨岩の窪み、そして鼻があるようにも見えるのです。
二個の土台石の上に乗っているように見えるのですが・・。 巨石の北側に小さな祠がありました。この画像は祠の方から見た様子です。巨大な笠石(幅7m、奥行5m、厚さ2mほど)が、二個の土台石の上にでーんと乗っているように見えています。
土台石の間から向こうの祠が見えています。 土台石の間から、北側にある小さな祠が見えています。この間には石段があり、人が通られる隙間になっています。
絶妙のバランスで巨大な石が乗っています。 祠側からローアングルで撮影すると、驚くべき事に気がつきます。何と二個の石に乗っているのではなく、右側の石にちょこんと、しかも重心が右寄りになっているのでしょうか、左端と下にある岩石の間に隙間があります。

岩石の厚さと隙間の様子から換算すると、およそ8センチ位の隙間になりそうです。正確に測定していないので間違っているかも知れません。
何故か心を引かれた「山神社」の石です。 祠の側に、「山神社」と書かれた石が無造作に置かれたありました。祠の存在よりも、何故かこの石に心が引かれました。
                         次のページへ →