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渓谷一帯は、まぼろしの鉱山と呼ばれる「かね山」鉱山跡になります。

NO.354 栗駒焼石ほっとライン渓谷

10月27日のことでしたが、念願の胆沢区若柳渋民沢に出かける機会がありました。

この渓谷一帯は、まぼろしの鉱山と呼ばれる「かね山」
鉱山跡であり、亜鉛や鉛などを産出していたと言われます。

現在では、その痕跡はほとんど確認することが出来ませんが、かつてこの場所に「千軒原」とも呼ばれる多くの母屋が建ち並んでいたと言われています。

資料に寄りますと、正面に見える渓谷斜面に、鉱石を採掘していた坑道跡が沢伝いに点在していたと言います。

歴史を更にさかのぼると、元和六年(1620)頃キリスト教を布教したカルワーリョ神父の名前が出てきます。

当時の江戸幕府はキリスト教徒を厳しく弾圧していたので、カルワーリョ神父は信者と共に山峡未開の地であった渋民沢へと逃れ、布教にあたったと言います。また、罪を犯した人や何らかの理由で身を隠さなければならなかった人々も、この鉱山で働いたと言います。

かね山鉱山は幾多の変遷がありましたが、昭和二十年代までは採掘されていました。金、銀、銅は産出されず、実際は鉛を産出していたのではないかと言われます。
            (2016.10.27 撮影)

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