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        国道45号・槙木沢橋今昔


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岩手県田野畑村の国道45号線には、海岸段丘にある深い渓谷をまたぐ巨大アーチ型の橋が二基あります。今回、大芦地区に自動車専用道が作られ、ここに巨大なアーチ型の橋が架けられ「思案坂大橋」と命名されました。新しい橋の東側には、昭和40年(1965)に架けられた槙木沢(まきさわ)橋があります。

現在の地図帳では真木沢橋となっていますが、橋についている名前は槙木沢橋となっているので、ここでは古い表記を使います。槙木沢橋は、海岸段丘を流れる川が浸食して作った真木沢渓谷に架かる橋です。この深い真木沢渓谷には、昔から次のような言い伝えがありました。

・・・今は昔の話になりますが、田野畑村の官公庁へ赴任してきた役人や教師たちが、あまりの道の険しさに、このまま行こうか、それとも引き返そうかと思案したという槙木沢渓谷の「思案坂」。そして何とかそこを通過した者も、その先に待ちまかえるさらに深く大きい松前沢に、ついには職も投げ出して帰ったという「辞職坂」・・・。進もうにも橋が架けられて無く、道路は渓谷の急斜面の上り下りで対岸に行かなければならない。そう例えられるほど交通の難所であったわけでした。

現在の槙木沢橋は、谷底からの高さが当時日本一で105m・長さ240mで、昭和36年(1961)から4年かけて完成しました。交通の便が大幅に向上し、交流人口の拡大につながった一方、幅6メートルと狭く、車両の擦れ違いが困難だったと言います。

現地の橋には、完成が昭和40年(1965)6月30日とありました。私が工事現場を撮影したのは、昭和40年4月頃ですから、完成までの日数が合いません。撮影年月は間違いありません。橋が完成したと言うことは、谷をまたぐアーチが完成したと言うことなのでしょうか・・・。ここら辺のことはよく分かりませんが、40年以上前のことですから笑ってお許し下さい。



昭和40年四月早々のことでしたが、転勤した同僚の所に遊びに行こうと言うことで、陸中山田船越からオートバイで走りました。当然のことですが、現地までは小本から大きく迂回をしなければ行けませんでした。小本から岩泉方面に向かい、乙茂地区の手前から峠を二つ越える山道を通り、大芦地区に出ました。この近くに浜岩泉中学校があったのです。

工事中の橋を見ようと言うことで、大芦側の崖側から撮影したのがこの画像です。丁度アーチ部分が完成したばかりの様子ですが、谷底からの高さが100mを越えているという断崖絶壁に架けられた橋でした。私の記憶が定かではないのですが、国道45号を北上してきた早稲田大学生(?)が車と共に死のダイビングをし、当時の話題にもなったはずでした。

谷の両側から張られた無数のワイヤーと、巨大なやぐらが記憶に残っています。その後、何回もこの場所を通り橋を通過化するだけでしたが、車を止めて谷底を覗き、橋のない当時の人々の苦労を偲びながら通ったものでした。
工事現場 1 工事現場 2
工事現場 3 工事現場の谷


左側が槙木沢橋で、右側が思案坂大橋になります。

大芦側の思案坂大橋から見た風景です。交通量が少ないとは言え、橋の入り口に車を止め、欄干から身を乗り出して撮影するには勇気がいりました。

思案坂大橋は自動車専用道路に架けられた橋で、長さ285m、幅10m、谷底からの高さは120mほどになると思われます。平成13年(2001)12月に着工し、平成17年(2005)年10月下旬に完成しました。国道45号を通る槙木沢橋の西側にあります。
大芦側からの見た新旧二つの橋
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