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     2011年奥州市八幡集落・小正月行事


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願い事が吊されたみずきだんごの飾りです。
1月15日頃になりますと、あちこちから小正月行事の様子が報じれらます。幼稚園や児童館、産直施設にはこの時期になるとみずき飾りが見られるようになります。大きなもの小さなもの様々ですが、子ども達とお年寄りの共同作業で作り上げたお飾りが目につきます。

私の集落の子ども会から依頼を受け、所属する老年クラブにお手伝いの声がかかりました。子ども会とは言え、43世帯の集落でわずか7名の小学生です。少子化と言う言葉が嫌でも気になる子どもの数です。私の住む純農村地域でも、かつてはどこの家でも三世代構成になっていて、子どもの数もそれなりにありましたし、小学校のクラスも同学年が最低でも二学級はあり賑やかであったことを思い出します。

現在でも三世代になっていますが、高齢化が進み小学生もどんどん成長し大きくなっていきます。周辺の小学校でも就学児童の数が減り、学級減や統廃合の話しが現実化しつつあります。

また、生活様式の変化により、農村部であっても昔の農作業に因んだ小正月行事も見られなくなっています。昔の生活を忘れないようにと言わないまでも、私達の先祖が生活の基盤は農地にあり、農作業を通して命の源の作物を作ることの大切さを、子々孫々伝えてきたことも忘れられつつある現在です。


小正月行事とは・・・

小正月とは、正月の望の日(満月の日、旧暦1月15日)のこと。現在は新暦1月15日に行われる場合もある。元日を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。なお、この小正月までが本来の松の内であり、近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。

この日の朝には小豆粥を食べる習慣があった。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。

年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。(※ウイキペディアより)


※トップの画像は、子ども達と一緒に作ったミズキ団子のお飾りです。少人数ですのでお飾りも小さいのですが、子ども達の願いが吊されてありました。


だんご作り・・・

7名の小学生に、助っ人は6名のじいちゃんばあちゃんと3名の母親達です。

最初はだんご作りですが、米粉に水を入れかき混ぜたところに、食用色素(赤、黄。緑)を入れて練り込みます。適当な粘りになったら、手で丸めてだんご状にします。

丸め込んだら、待機中のお母さん達が熱湯に入れてゆであげます。



だんご作り 1
だんご作り 2 だんご作り 3
だんご作り 4 だんご作り 5
だんご作り 6 だんご作り 7

ゲームで遊ぶ・・・

だんごがゆで上がるまで、子ども達は手づくりのゲームで遊びました。大きな紙に双六が書かれており、三グループに分かれての競争になりました。

発砲スチール製の大型サイコロを放り上げコマを進めますが、戻りや一回休み等があり簡単には上がりにはなりません。
手作り双六で遊ぶ 1
手作り双六で遊ぶ 2 手作り双六で遊ぶ 3
手作り双六で遊ぶ 4 双六の次は、参加者全員でのビンゴゲームでした。縦横の穴が揃いリーチで立ちますが、その次のビンゴーのかけ声が中々出ません。

やっとビンゴーの声が上がり、笑顔で景品をもらいに来た子ども達、幾つになっても当たりと外れは緊張させられます。かく言う私も、リーチまではすぐなりましたがビンゴーはしばらく待ちました。
ビンゴゲーム 1 ビンゴゲーム 2
ビンゴゲーム 3 ビンゴゲーム 4

みずきに飾り付け・・・

準備が整ったので、みずきにだんごを刺してお飾り作りが始まりました。このミズキですが、かつては川原や野原にありましたが、あまり関心がなくなってからは注目されなくなったようです。

たまたまですが、老年クラブの男性が産直で見かけて購入した物で、2m位で300円だったと言います。みずきが手に入らなければ、裏からクリの枝を切って持っていくことになっていました。

購入したみずき
短冊とお飾り セットのお飾りと、子ども達が書いた願い事の短冊です。色々な願いが書かれたあり、七夕飾りと同じです。

ゆで上げただんごは柔らかいので、みずきの尖った枝先にすいすいと刺さります。

男の子の一人が、だんご三個を並べて刺しています。離して刺しなさいよ・・と言われたら、「三色だんご」だよと笑っていました。
だんごをみずきに刺す 1 だんごをみずきに刺す 2
だんごをみずきに刺す 3 だんごをみずきに刺す 4
だんごをみずきに刺す 5 最後は移動黒板に立てかけて固定します。この仕事は私の出番でした。先端が天井に届きますので、畳から2mぐらいの高さになりました。

飾り付けが終わるとお昼になりました。以前はゆで上げただんごを食べましたが、今回はあんこときなこのお餅でした。

みんなで眺めながら、それぞれの願いを確認しあっていました。

ちなみに来年は二人が卒業し、入学生がありませんので5名の子ども会になります。さびしくなりますが、仕方のない現実です。
お餅のお昼 1 お餅のお昼 2

父の遺稿から・・・

転勤族の家庭で育った私は、農家での小正月行事等の生活体験がありません。したがって、地域の同年代の皆さんが体験した小正月行事は資料でしか分かりません。農家の生まれであった父は、子どもの頃の生活の様子を「じいの幼かった頃の明け暮れ」と言うむかしがたりで残してくれました。

その中から、「望(もち)の日」と題した項目を紹介いたします。

この日は十五日で小正月と言い、満月の日だ。まず、年縄引き(としなひき)と言って、朝早く家中のしめ縄を全部外したんざくの紙飾りは一緒に束ねて細長い竹の先に結んでおく。

小正月には、米のもちのほかに粟の餅をつく。のし餅のほかに稲の穂に似せた稲穂餅、粟の小枝に吊して飾る粟穂餅、梅の花になるように五本の箸をいわえて作る花餅などと飾り餅を作る。餅の固まるのを待って、稲穂餅は神棚の前に吊してそなえる。粟簿餅は中間にクリの小枝を切ってきてそれに吊して飾る。花餅も薄く切って花のように小枝に刺す。

お田植え・・・
「さあ、お田植えだ」と農はだての時に並べた置いた肥束(こえたば)を並べておいた雪の田んぼへ、稲ワラや粟からや豆からをそれぞれ小束にしたものを持っていって、田植えのまねをする。

稲穂作り・・・
これは庭先にクリの小枝を立てて、それに松の若枝を30センチくらいに切り小さな棒のようにし、皮をはいでその端に竹くぎを刺し紐を付けて飾り付ける。若枝を切るのも、皮をはぐのも子どもには出来ない。この吊した松の細木は。稲を収穫し稲杭(ほんにょと言いますが)にするときの台木とするのだ・・・。



父が子どもの頃と言いますと、明治の末から大正初期の頃になります。今では自由に使える電気ですが、当時は夕方になると一斉に電球が灯ったと言います。比較すること自体が笑止ですが、その当時の子ども心に焼き付いた小正月の過ごし方が孫・子に伝えられ、今に至っていたはずです。「温故知新」の例えではありませんが、当時の人々が大切にしてきた農作業の大切さを、今に生きる農家の子ども達へ伝えていくのが私年代の使命だと思います。

私以外の全員で記念撮影。