催しアラカルトに戻る


       住田町・五葉山火縄銃鉄砲隊



ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 ほっづぎある記 心のオアシス  

location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト>住田町・五葉山火縄銃鉄砲隊

 サイトマップ


恥ずかしい事ですが、隣の住田町に五葉山火縄銃鉄砲隊があることを知りませんでした。鍾乳洞のシリーズを手がけ、住田町の滝観洞や白蓮洞の資料を求めていた時のことです。住田町のHPを訪れて五葉山火縄銃鉄砲隊があることを知り、早速でしたがそのページを開いてみてびっくりしました。ここ住田町にある五葉山は、藩政時代から伊達藩の重要な火縄の生産地であったと言います。五葉山に生えている桧の皮が、重要な戦略物資だったと知り火縄銃に対する関心が一気に高まりました。

火縄銃鉄砲隊の演武は、地元住田町の行事や気仙地区の祭り行事で行われていました。私が知るのは行事の後の報道からであり残念に思っていました。

五葉山は伊達藩直轄の「御用山」として手厚い保護下にあり、ここから産出するヒノキの皮は火縄の原料となった。火縄を生産した桧山集落には特別に藩から鉄砲が貸し与えられており、自衛の鉄砲隊が組織されていた。

霊峰・五葉山、ここは藩政時代、伊達藩直轄の「御用山」として手厚い保護下にあった。それは当時、巨大鉄砲藩と恐れられていたからである。古記録によると、伊達藩に献上された火縄は、年間14,000ひろ(21,000m)にものぼり、それが百年間も続いたとされており、江戸時代、国内最大の火縄の山地であった。

五葉山は古名を「桧山」と呼称した。その名が今も集落名として残っている桧山地区には、「定印阿弥陀如来像」(町指定文化財)が御山守役・紺野家により伝えられている。

この本尊は、西暦840年に建立され、五葉山別当満録山大泉寺の跡とされており、火縄を生産していた当時、百世帯は超えたであろう桧山集落の守り寺として栄えた証しである。当時、南部藩境を目前に捉える土地柄、まさに群雄割拠の時代、伊達藩から特別に鉄砲十数丁が与えられており、自衛のための鉄砲隊が組織されていたという。

甦った鉄砲隊・・・、巨大鉄砲藩と恐れられ、奥州伊達藩を支えた日本一の「火縄」を産出した五葉山。その歴史的背景から五葉山の麓、滝観洞において砲術家一門の火縄銃演武が実現した。霊峰・五葉山並びに阿弥陀堂に対し、先祖供養と友人が築いた業績に感謝を捧げる証しとするため、鉄砲隊を復活させることとなった。これに呼応し町内より所蔵の火縄銃の寄贈が相次いだ。このときから、古武道としての流派を継承し、且つ、地元産出の桧による火縄を使った日本で唯一の火縄銃鉄砲隊が、平成3年如月に結成されたのである。(※住田町HPから)



住田町のHPを見ていたら、夏祭りが7月30日に開催され、催しの一つに「五葉山火縄銃鉄砲隊演武」のあることを知りました。早速でしたが、主幹の観光協会に電話を入れて様子をお聞きしたら、演武は19時半頃からとのことでした。家から住田町までは車で45分程かかります。

19時40分頃でしたが、いよいよ鉄砲隊の入場です。先頭武者が「奥州伊達軍、五葉山火縄銃鉄砲隊」と書かれた大きな幟を持っています。その後から鉄砲奉行と思われる方を先頭にし、甲冑身支度をした家臣が火縄銃を横に抱え(右手が銃床で左手が銃の中程を持っている)堂々の入場です。人数ははっきりしませんが、20人ぐらいは居たのでしょうか・・。

鉄砲隊の入場 1・・大きな幟を先頭に入ってきました。 鉄砲隊の入場 2・・ホラ貝が鳴り響き気持ちが高まります。
鉄砲隊の入場 3・・鉄砲隊の大目付Tさんです。 鉄砲隊の入場 4・・鉄砲を手にした家臣団。手作りの甲冑が色々ありました。


歩行者天国通りの一角に、整然と並んで鉄砲隊員は銃を構えて立っています。この鉄砲隊の大目付の方が出てきて、鉄砲隊の紹介と演武の指揮がされました。しかし残念ですが、周囲の人混みの雑音がすごくてほとんど聞き取れませんでした。

その後、 大目付の隣に若武者が出て威勢の良い太鼓が鳴り響きいよいよ演武が開幕です。

整然と並び大目付の指示を聞いています。 五葉山火縄銃鉄砲隊の大目付Tさん、隊の紹介と指示が出されています。 演武開始を告げる若武者の軽快な太鼓に響きが鳴り渡ります。


最初に??の儀と解説があり、「下がれ下がれ・・」の大きな掛け声がありました。見ていると、両側の道路上の人垣を点検しながら大声で叫んで走る武者がありました。これは当然です・・、実弾こそ使用しないものの本物の鉄砲ですから。暗いところで、道路の両側は人混みでぎっしりでしたから細心の注意が払われます。

この合図の後、鉄砲奉行(?)と思われる正装の武者が鉄砲を抱えて起立姿勢で発砲します。その音のものすごいこと、「ダーン」でなく「ドカン」であった。まさかこんなに大きな音がするとは思っていなかったので、びっくり仰天です。発砲と同時に火蓋部分と銃口から煙が立ち、白い紙の破片がバラバラと舞い上がります。距離にして5m位でしょうか、周囲の人から一斉に驚きの喚声が上がった。

演武前の祓いの試射とでも言うのでしょうか、火縄銃を手にし構えています。 発砲の瞬間です。「ドカン」と大きな音がし、銃口から白い紙が舞い散りました。

演武 1・・銃口に何か入れています。火薬でしょうか・・。

ここからは色々な形の演武がありました。

銃口から何かを入れています。銃身に入る火薬でしょうか・・、ここら辺はよく見えていないので分かりませんでした。

演武 2・・鉄砲奉行の太刀が迫力満点でした。

鉄砲奉行はすらりと太刀の抜き、合図を出す緊張の瞬間です・・。

演武 3・・一番のお気に入り画像です。じっと見ていると、古武士の風格が出ていますね。 私の目の前3m程の場所に銃を構えて座っています。表情と目の輝きに引き込まれます。この画像をじっと見ていると、当時の武士にタイムスリップしている感じさえし、恐いくらいの迫力があります。
演武 4・・座ったままでの三人の一斉発砲。すごい音でした。

ここで「ホラ貝」がなり、「火をつけ」、「構え」、「放て」と先ほどの武者が刀を振りかざして叫びます。

「ドカン」が3発ある。この発砲時の空気の振動が、身体にずしんと伝わってきます。正直の所、今まで自分の近くで鉄砲の音を聞いたことがありません。遠くで聞いた事があるのが、狩猟時の散弾銃が「ターン」と言う乾いた音しか知らない。せいぜい、競技ピストルの「ダーン」ぐらいかなと思っていた私でした。

「スゲー迫力だ・・」、周囲の人も驚いていました。すごい音が出るのですが、「耳」は大丈夫なのでしょうか。3m離れている私でさえ、キーンとなるような音です。


演武 5・・発砲前の点検でしょうか、火縄のチェックです。 こちらは立ったままの姿での発砲準備です。ていねいに火縄部分の点検がなわれています。
演武 6・・立ったままでの「立ち放ち」、ちょっとシャッターが遅れています 3人が場所をとり、3発がちょっぴりずれて放たれます。火皿の口薬のみが発火し、肝心の火薬に点火しないでしまうのもありました。「ブシューン」と湿った音がします。


演武 7・・火縄を火挟みににくつけています。 目の前での発砲です。火縄の扱いについては、皆さん同じ動作があります。

射手の皆さんが身につけている甲冑は、すべて隊員の手作りによる物だと言います。また、持って居る火縄銃にも色々な物がありました。これは作ることが出来ないと思いますので、すべて年代物なのかなあと思います。
演武 8・・すごい煙ですが、銃口から火が走っているのがお分かりでしょうか。 発砲時すごい煙がでますが、銃口から火の流れが見えています。

報道の方と話したが、「放て」の声を聞いてからシャッター押しても間に合わないよね、本当にそうだった。撮影した画像を後で見ても、本当に発砲の瞬間だと思えるのはあまりない。煙はあるが銃口からの火はあまりない。「放て」と同時にシャッターを押すがこれは難しい。

近くに居て指揮官の合図が聞こえたから良いものの、遠くに居たらタイミングが難しいなと思った。薄暗い夜であり、指揮官は「放て」と叫び太刀を振り下ろしています。射手も多分、声と太刀を確認しながら引き金を引いているのかなと思います。

演武 9・・三段放ちの準備です。

次に??の繁栄を願い「三段放ち」と大目付からの放送がありました。

私の隣に報道関係の方が居ました。私よりも身体半分道路に入っていたら、発砲寸前になり「待てー」と大声で武者が駆け寄ってきた。「ダメだよ危ないから、報道だって関係ないんだからね」・・大声で怒鳴ってはいるが、言葉遣いは優しかった。

ホラ貝が鳴り、前にの合図で間隔をとるように離れ、「構えて」「放て」ダダダン、「放て」ダダン(一発不発)、「放て」ダダダンと9発が発砲される。

演武 10・・三人三列ですから9丁の鉄砲同時発砲です。 先頭が道路上にあぐら座り、二段目がひざ立ち、三段目が立ったままの一斉発砲であった。すごい音と同時に、一面が見えなくなる程の煙です。火薬の臭いがしてむせかえるほどでした。

ふと思ったのが、実際の火縄銃での戦の場面であった。音もすごいが、立ちこめる発砲時の煙もすごい。もしかすると、前の方が見えなくなる事もあったのでは・・、ふとそんなことを感じました。

それと発砲の瞬間は、すべての方が目を閉じています。考えてみると口薬に点火する瞬間、すごい煙が飛び散ります。その時火薬のかすなどが目に入ったら大変な事になるはずです。


発砲後の火縄銃の手入れは欠かせません。銃身の下に中を掃除するためのさく杖(カルカ)が入っていて、これを使い内部の火薬のかすやススを取り除きます。最初の画像がその様子です。

次に発砲するために銃口から火薬を入れ、火薬に発火するための口薬(点火剤)を慎重に火皿に入れます。二番目の画像です。射手の左手の指先に火縄が挟まれているのが見えています。

三番目の画像は、口薬に点火するための火縄を吹いて火の様子を見ているところです。

さく杖を銃口から入れて中を掃除しないと次の発砲が出来ません。 火皿に口薬(点火剤)入れる瞬間です。銃身を握っている指先には火縄があります。 火縄の火を吹いて確認しています。聞いたら発砲出来ないので真剣そのものです。


演武が終わっての退場。 20分ほどで演武が終わり、会場内を一巡してから退場します。先頭を歩く方が鉄砲奉行(正式な名は分かりませんが)の方で、演武の時の指示や号令を声と太刀の振り下ろしで出しておりました。

太鼓の脇には大目付、若武者がいて見守っています。


初めて見た火縄銃鉄砲演武でした。先にも書きましたが、予想に反してのすごい音です。見ながら時代小説に出てくる様子を思い出していました。戦国時代の昔、時の権力者は何にもまして鉄砲を確保した。そして何百丁と並べて撃ちまくっています。史実に残る信長の戦略三段打ちですが、音もすごいがもっと凄いのが煙だったと言えます。霧の中での百雷の響き、玉がどこから来るのか分からない中での戦です。

鉄砲を撃つのは、訓練された足軽だったようです。そして戦の場面で一番重要な役は、その足軽に一切の指示を出す鉄砲奉行になります。ですから、鉄砲奉行が撃たれてしまうと集団的行動が出来なくなり、指揮系統が乱れて敗北すると言います。

火縄銃のことについて詳しいことが分からなかったので、書籍やネットで色々調べてみました。

最初に銃身の太さにあわせた量の火薬を銃身の先から入れ、鉛の玉を入れます。(演武ではもちろん空砲ですから鉛玉の代わりにティシュ等を丸めていれています)

次にカルカと呼ばれる棒で、入れた火薬と玉を銃身の底に押し込めます。

次に、火皿と呼ばれる部分に口薬(点火薬)を入れ、火縄を火挟みにつけ引き金を引くと火縄が火皿の上に落ち、口薬に引火しその火が銃身の火薬に引火し発砲される仕組みとなっております。火縄銃の構造・発砲の仕組みはすごくシンプルなものとなっています。

火薬は黒色火薬を使用し、銃身へ入れる火薬は粒子が粗く、口薬(点火薬)は細かくすり潰して使用致します。量は演武では銃身の口径により5g〜15g位となります。

火縄銃を撃つ場合、空砲であっても管轄の警察署に届け出る必要があり、しかも、火薬もその時に使ってしまわなければならないなど、とても大変なものだそうです。(※ネット資料から)

私の次のねらいは、この火縄銃鉄砲隊演武を昼間に見たいなと言うことです。もっと細かいところを見るためには、夜間のストロボ使用撮影では限界がありすぎます。イベント情報に気をつけていなければと思います。