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住田町・五葉山火縄銃鉄砲隊
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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト>住田町・五葉山火縄銃鉄砲隊 |
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恥ずかしい事ですが、隣の住田町に五葉山火縄銃鉄砲隊があることを知りませんでした。鍾乳洞のシリーズを手がけ、住田町の滝観洞や白蓮洞の資料を求めていた時のことです。住田町のHPを訪れて五葉山火縄銃鉄砲隊があることを知り、早速でしたがそのページを開いてみてびっくりしました。ここ住田町にある五葉山は、藩政時代から伊達藩の重要な火縄の生産地であったと言います。五葉山に生えている桧の皮が、重要な戦略物資だったと知り火縄銃に対する関心が一気に高まりました。 火縄銃鉄砲隊の演武は、地元住田町の行事や気仙地区の祭り行事で行われていました。私が知るのは行事の後の報道からであり残念に思っていました。 五葉山は伊達藩直轄の「御用山」として手厚い保護下にあり、ここから産出するヒノキの皮は火縄の原料となった。火縄を生産した桧山集落には特別に藩から鉄砲が貸し与えられており、自衛の鉄砲隊が組織されていた。 |
住田町のHPを見ていたら、夏祭りが7月30日に開催され、催しの一つに「五葉山火縄銃鉄砲隊演武」のあることを知りました。早速でしたが、主幹の観光協会に電話を入れて様子をお聞きしたら、演武は19時半頃からとのことでした。家から住田町までは車で45分程かかります。 |
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歩行者天国通りの一角に、整然と並んで鉄砲隊員は銃を構えて立っています。この鉄砲隊の大目付の方が出てきて、鉄砲隊の紹介と演武の指揮がされました。しかし残念ですが、周囲の人混みの雑音がすごくてほとんど聞き取れませんでした。 |
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最初に??の儀と解説があり、「下がれ下がれ・・」の大きな掛け声がありました。見ていると、両側の道路上の人垣を点検しながら大声で叫んで走る武者がありました。これは当然です・・、実弾こそ使用しないものの本物の鉄砲ですから。暗いところで、道路の両側は人混みでぎっしりでしたから細心の注意が払われます。 この合図の後、鉄砲奉行(?)と思われる正装の武者が鉄砲を抱えて起立姿勢で発砲します。その音のものすごいこと、「ダーン」でなく「ドカン」であった。まさかこんなに大きな音がするとは思っていなかったので、びっくり仰天です。発砲と同時に火蓋部分と銃口から煙が立ち、白い紙の破片がバラバラと舞い上がります。距離にして5m位でしょうか、周囲の人から一斉に驚きの喚声が上がった。 |
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こちらは立ったままの姿での発砲準備です。ていねいに火縄部分の点検がなわれています。 |
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3人が場所をとり、3発がちょっぴりずれて放たれます。火皿の口薬のみが発火し、肝心の火薬に点火しないでしまうのもありました。「ブシューン」と湿った音がします。 |
発砲後の火縄銃の手入れは欠かせません。銃身の下に中を掃除するためのさく杖(カルカ)が入っていて、これを使い内部の火薬のかすやススを取り除きます。最初の画像がその様子です。 |
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20分ほどで演武が終わり、会場内を一巡してから退場します。先頭を歩く方が鉄砲奉行(正式な名は分かりませんが)の方で、演武の時の指示や号令を声と太刀の振り下ろしで出しておりました。 太鼓の脇には大目付、若武者がいて見守っています。 |
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初めて見た火縄銃鉄砲演武でした。先にも書きましたが、予想に反してのすごい音です。見ながら時代小説に出てくる様子を思い出していました。戦国時代の昔、時の権力者は何にもまして鉄砲を確保した。そして何百丁と並べて撃ちまくっています。史実に残る信長の戦略三段打ちですが、音もすごいがもっと凄いのが煙だったと言えます。霧の中での百雷の響き、玉がどこから来るのか分からない中での戦です。 |