ひな祭りアラカルト・宿場の雛まつり

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花巻市大迫町は国定公園早池峰山のふもとにあり、国の重要無形民族文化財「早池峰神楽」が伝わる町です。かつて三陸と盛岡を結ぶ街道の宿場町として栄え、江戸時代の享保雛、古今雛など代々受け継がれた貴重な雛人形が数多く残されています。

むかし「おひなさん、お見しぇってくなんしぇ」と言って、子供たちが家々の雛人形を見て歩いたと言われます。そんな風習を今に復活させたのが、大迫の「宿場の雛まつり」です。商工会館をメーン会場に町内二十数カ所商店や民家に、歴史雛から現代雛までいろいろなお雛様が飾られています。(会場で頂いた資料から)


大迫町を訪れたのは雪降りの寒い日で、メイン会場の受付は高校生の若い方々(男女生徒)でした。会場の二階の広間には、所狭しと年代物の雛人形が陳列されています。そして、入った正面には巨大な享保びなの段飾りがあり、見に来られた人々を引きつけていました。

ビデオ・写真撮影の制限があり、商用撮影とストロボの使用は出来ませんでした。完全に遮蔽された室内であり、それほど明るくはありません。仕方がないので、全部手持ちのスローシャッター撮影になりました。画像がいまいちぴったりと決まりませんが、ご容赦下さい。

じっくり見ながら撮影していたら、「今日は混まなくて良いね・・」「この前の日曜日は、ツアーバス旅の人がうんと来て、頭の上からしか見られなかったし、時間で急いでたからなあ・・」と言う係の人の話が聞こえてきました。「見に来るときは、普通の日が良いよ・・」と言われました。

それにしても、見ていて飽きない雛人形の表情です。昔の職人さんは、一つ一つの人形にどんな思いを込めて作ったのでしょうか。人形の表情に見られる心がなければ、とうてい出来ない事だと思われます。


享保雛(きょうほうびな)
江戸中期の享保年間(1716-35)に流行した雛人形。坐雛の原型ともいわれる寛永雛を発展させた雛であるが、衣装が金襴や錦などを使う豪華なものとなり、面長で切れ目の目をもつ気品高い顔立ちをしている。男雛は両袖を左右に膨らませて手に笏を持ち、女雛は五衣の重ねに唐衣姿で、三角に膨らませた赤い袴を着け、冠をかぶる。
享保びな 1 享保びな 2 享保びな 3
享保びな 4 享保びな 5 享保びな 6


享保雛(きょうほうびな)
享保びな 7 享保びな 8 享保びな 9


正式な名称はメモしてきませんでしたが、確か子ども雛と名前が付いていた様に思います。昭和初期の作品です。
童びな 1 童びな 2 童びな 3


次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)
京都の人形師で、幕府の御用達であった雛屋次郎左衛門が作った事からその名がついたと言われている。丸顔で、引目鉤鼻(ひきめかぎはな)と呼ばれる愛らしい目鼻立ちが特長となっており、宝暦11年(1762)頃から江戸で売り出されてからは、庶民たちの人気を博した。
男雛は公卿の装束姿で、女雛は両手を開き、五衣・唐衣に袴姿で、冠はかぶらない。
次郎左衛門びな 1


古今雛(こきんびな)
江戸時代の明和年間(1764-72)頃に作り始められた、江戸生まれの雛人形。江戸十軒店(じゅっけんだな)の人形師であった原舟月が顔を作り、古式に則った有職雛の形式で作り上げた。目にガラスや水晶で象眼するなどの工夫がなされ、衣装も豪華であでやかである。古風な趣のある雛ということで、「古今集」になぞらえ古今雛と呼ばれている。

古今びな 1 古今びな 2 古今びな 3
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