一関市東山町にある幽玄洞の400m程北側に、ミニ鍾乳洞があり沢山の観音様が祀られています。幽玄洞駐車場には案内看板があり、この観音窟について次のような説明がありました。
観音霊山由緒・・・
この渓谷は、前を流れる猿沢川が長い年月をかけてつくりあげたもので、小猊鼻渓とも言う。昔はこの川沿いに道がなく、この辺りが沢の最も奥まったところであった。
左の山門の奥の鍾乳洞が観音窟である。それをくぐり抜けた左側の岸壁に更に小さな鍾乳洞があって、それぞれ一体ずつの子安観音様が祀られている。この観音像は、そのお姿やこの地形から、江戸時代に隠れキリシタンとされた人々が、藩当局の追求をかわしつつ、密かに礼拝したマリア観音ではないかとも言われている。
しかし一方で、子授け、安産、子育ての観音様として古くから多くの信仰を集め、心願成就の叶うことを祈り、あるいはまた、御礼のための白布が風にはためいていたとの伝承もある。
昭和62年、城高安養寺二十五世大主光寛大和尚は、このような観音様に因縁の深い霊山をもっと親しみやすく、もっと参詣しやすい場所にしたいと発願された。その呼びかけに応じて多くの方々から観音像が寄進され、今も寄進は続いている。
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