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          宮古市田老町・山王岩


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山王閣側の駐車場から見た山王岩です。

雄大な三陸海岸を眺めながらR45をドライブしますと、リアス式海岸の入り組んだ海岸線の様子が宮古市を境にして大きく変わってくることに気がつきます。宮古以南の海岸は陸地が沈降し、海水の作用で浸食されて荒々しい様子を見せてくれます。宮古以北の海岸は海底が隆起して作られたため、平らで急激に海岸に落ち込む地形に変化し断崖絶壁的な海岸線が見られます。

宮古市田老町は三陸大津波で被害の大きかったところですが、海岸線に巨大な堤防を造り津波の被害を最小限にする努力をした町としても知られています。田老港の入り江に自然の造った造形美とも言える「山王岩」があり、訪れる観光客に親しまれています。

長いこと陸中山田町で生活した私は、田老港から真崎海岸迄の散策路にそびえ立つ「山王岩」を何度となく見ています。しかし何故か、きれいな写真を撮影出来ずにいました。HP作成の最初の頃、船越中の生徒達と田老町まで水泳大会に遠征した時の様子を紹介しましたが、その時撮影したものしか手元にありません。もちろんですが、白黒フィルムの画像でした。


田老町山王岩・・・

船の舳先を正面から見たようなような岩の形が面白い。中央の男岩は高さ50m、その両側の女岩、太鼓岩と合わせ山王岩と呼ばれている。

高さ50mの男岩、傍らにある女岩、太鼓の形をした太鼓岩の3つの巨岩が海からそびえ立つ三王岩。田老漁港から海岸へのびる遊歩道を下りて行くにつれ、間近に迫るダイナミックな岩の姿はまるで高層ビルのよう。男岩にある海食洞をくぐり抜けると幸運が訪れるといわれています。各岩に見える礫岩、砂岩の層が織り成す縞模様は、白亜期に誕生したこれら奇岩の生い立ちを物語っています。(※ネット資料より)



2009年12月末のことでしたが、岩泉町龍泉洞でのLEDライトアップを撮影した帰り、しばらくぶりに山王岩を見たくなり真崎海岸の方から現地に入りました。ここでは、かなり高い崖の上から撮影しながら遊歩道を降りて山王岩の根元まで行ったときの記録になります。訪れたのが午後三時過ぎの曇り空、すっきりとした画像にはなりませんでした。

それと、山王岩として広く紹介されている姿とは撮影場所が違います。白黒画像が3コマありますが、昭和39年8月に撮影した画像になります。46年前の様子と比べてみました。


三王岩・・・
陸中海岸国立公園にある数多い奇岩景観の中にあって最も圧巻で高さ50mの通称男岩の両側に女岩、太鼓岩が寄り添い、真下に立つとまさに圧倒されんばかりの壮観さがあります。
1億年もの歳月をかけて、寄せ返す波と海原を吹き渡る風が形作った美しい自然の芸術品です。砂岩とれき岩が水平なしま模様の岩肌には、はるか昔、白亜紀の記憶が封印されているかのようです。(※宮古市HPより)

駐車場からの全景 1 駐車場から見下ろした山王岩です。目線の高さが岩の頂上と同じですから、撮影場所も海面から50m程あることになります。

山王岩の周囲に松の木を配置し、絵はがき的に表現してみました。右端の太鼓岩が松の木に隠れたいます。ほとんど押し寄せる波が無く、静かでのどかな情景でした。

駐車場から少し下がった場所からの全景 遊歩道を半分ぐらい下った場所からの様子です。山王岩の配置は同じでも撮影アングルが違います。水平線が男岩の中央部、女岩の頂上部に位置しています。
昭和39年8月に撮影した山王岩の様子です。撮影した場所は、田老港から海沿いに造られた遊歩道でした。遊歩道から降りた波打ち際には、岩がごろごろしていた記憶があります。今思えば、もっと三つの岩が離れて見える場所だと良かったなあと思います。

田老町に行く機会があったら、遊歩道側から撮影しなくてはなりませんね。
昭和39年8月の山王岩


ここからは、山王岩を地質学的に眺めてみました。最初の男岩の二枚はほぼ同じ場所で撮影しましたが、打ち寄せる波の波紋がある状態とほとんど波のない状態を対比させてあります。私的には、波が寄せる動的な状態が好きです。

男岩の高さが50m程ほどありますが、切り立った垂直の崖面をよく見ると彩りも岩石の構成も違ってきます。宮古市のHPには次のような説明がありました。

・男岩(中央)高さ50m、下から5分の2が羅賀層、その上が茂師砂岩部層、直径2mの海しょく洞。
・女岩(向かって左側)高さ23mメートル、脚部が羅賀層、上が茂師砂岩部層。
・太鼓岩(向かって右側)高さ17m、茂師砂岩部層からなる転石。


陸地から離れた海中にそびえ立つ男岩ですが、陸地との繋がりという目で見ると面白いことに気がつきます。50mの高さは陸地になっている崖と同じ高さであり、地殻変動や何かの原因で海中に取り残された陸地であったと言えそうです。その後、悠久の時の流れと当時の海洋の波浪等により周囲が浸食され、今の形になったと想像します。

その一番の証拠とも言えるのが、男岩の崖面に残されている岩石地層の違いであると思います。

男岩・・・駐車場から見た様子、打ち寄せる波がきれいです。 男岩・・・坂道を下りながら見た静かな様子。
画面中央部から見ると、上と下との岩石構造が違うことが分かります。上層部が茂師砂岩部層で、下が羅賀層になります。

資料によると、茂師砂岩部層は細粒石灰岩質であり厚さを持った層状の堆積物が岩石化したものと言えます。

その下の基礎部分は羅賀層であり 、ごろごろした礫岩等が堆積し岩石化したものになります。

全体として、海側に傾き沈んでいるのが分かります。
男岩に見られる茂師砂岩部層(上の方)と下の羅賀層。
羅賀層の根元部分、大きな海食洞が二つ見えています。 基礎部分の羅賀層の様子です。中央に海水の作用で浸食された穴(海食洞)が見えています。この部分に穴が空くと言うことは、同じような堅さに見えるようでも堅さに違いがあると言えそうです。

この穴は直径が2mほどあり、男岩の下を貫通し向こう側に通り抜けることが可能です。もちろん干潮時しか通ることが出来ないのですが。

男岩にある海食洞をくぐり抜けると幸運が訪れるといわれています。
茂師砂岩部層と羅賀層の境界面の拡大画像。 境界面の拡大画像です。茂師砂岩部層の基礎部分が浸食され、その下に羅賀層が造られています。地質の出来方の大原則は、上の方が新しいと言うことです。

この原則をこの場所にあてはめますと、先に羅賀層の礫岩等が混じった地層が堆積します。その後地殻変動等で隆起し、流水の働きで浸食され海底深く沈み込みます。

その後、海底に堆積した珊瑚等の成分で茂師砂岩部層が造られたと見ます。

下の二つの画像は、現在の男岩と46年前の男岩を並べてみました。角度が少し違いますが、下の地層(羅賀層)に少し違いがあるように思えます。
現在の男岩 昭和39年8月の山王岩・男岩。少し模様が違います。

女岩 左側にある女岩です。それほど高くは見えませんが、23mあると言います。画面からははっきりとしませんが、上の方が層状になっている茂師砂岩部層であり、半分から下が礫岩が分かる羅賀層になります。
太鼓岩・・・この角度から見ると太鼓のように見えます。 右側にある太鼓岩です。高さが17mには見えません。茂師砂岩部層と構造が同じであり、上から落ちたものが海水の作用で浸食され丸くなったと言えます。

私が撮影した場所からは太鼓のように見えますが、田老港側から見ると女岩のように尖って見えます。
46年前に撮影した女岩と男岩の部分です。黒っぽいので細部の様子がはっきりしませんが、羅賀層の中央部のオーバーラッピング部分(上を被っている場所)が広いように見えます。 昭和39年8月の山王岩・女岩と男岩


山王閣駐車場側から降りてくる階段です。一気に50m程下りますので、かなり息が切れてしまいます。しかし、眼下に広がる山王岩と太平洋の位置関係が変化し、好みのポイントを見つけることが出来ます。

山王閣は現在営業されていませんので、駐車場等の整備が荒れていると思いました。多くの観光客が訪れる場所でもありますので、安全確保の意味でも整備をして欲しいと思います。

下まで降りるとフェンスを回した展望場所に着きます。ここからの海岸の崖と山王岩の眺めは迫力満点です。海が荒れていない干潮時には、男岩の側まで行けます。
周辺の様子 1・・・この石段で降りてきますが、かなりきついコースでした。
周辺の様子 2・・・歩道の終点にある探訪場所です。 周辺の様子 3・・・崖の面に男岩と同じような地層が見えています。
周辺の様子 4・・・田老港側の様子、大きな穴(海食洞)がかなり多く見えています。 田老港の出口部分の様子です。防波堤代わりのテトラポットがあり、対岸の波打ち際に大きな穴(海食洞)何カ所も見えています。

最初にも書きましたが、次回訪れる機会があったら山王閣側でなく、田老港側の遊歩道を入り山王岩を撮影したいと思います。

参考資料として、地質学データを(※昭和31年岩手縣編集 岩手縣地質説明書Uより)転記します。なお、文中の解説等は私の想いで書いていますので、勘違いや説明不足等があると思われます。

◎羅賀層・・・
本層は下閉伊郡田野畑村羅賀付近を模式地として発達するが、宮古層群の頁岩・砂岩・礫岩・花崗閃緑岩、あるいはひん岩の上に不整合に乗り、古期堆積岩、花崗閃緑岩及びひん岩等の巨礫からなり、しゃ色(赤色)を呈する。

本層の厚さは所により著しく変化するが、田老付近では45m内外に及ぶ。本層と基盤岩の不整合面には著しく起伏が認められ、巨礫礫岩の堆積環境を考えるとき、河口、あるいは海浜付近において堆積したものと思われる。本層からは未だ化石は発見されない。

◎茂師砂岩部層・・・
茂師砂岩部層は細粒石灰岩質であるが、株に礫岩が発達し、上に至るに従って含礫砂岩、あるいは偽層砂岩となるところがある。本部層は羅賀層を被うほか、直接オーバーラッピングの状態で基盤岩類を被うところもある。

本部層よりは有孔虫のほか、貝類及び珊瑚類化石を産する。