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        一関市・崩落した祭畤大橋


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崩落した祭畤(まつるべ)大橋です。左側は撤去されています。

平成20年(2008)6月14日、午前8時43分過ぎ岩手県南部から宮城県北地区に震度6強の激震が襲いました。今まで経験したことのない地面の大揺れにより、現地の道路や橋梁は壊滅的な被害を受けました。震源地に近かった一関市本寺地区周辺では、ライフラインの損壊により一時は家に戻ることができなくなり、地域住民は多大な犠牲を強いられました。ここでは地震被害の詳細については省略いたします。

震央は岩手県一関市市野々原手前・三王山(572m)麓、震源の深さは8km、規模はマグニチュード7.2、最大震度は震度6強でした。たまたまでしたが地震発生時、私はチャグチャグ馬コ撮影のために滝沢村の田んぼ脇に座り、周囲の方と話しをしていました。

8時43分頃、どしーん・ぐらりときた地震に驚きました。一緒にいたみんなで、「あれーすげー地震だね、震源地はどこだろう・・」となりました。家に電話しましたが繋がりません。その内に誰かが、「奥州市だってよ・・」と叫んでいます。思わず、「私の家の方だ・・」と言ったら側にいた女性が「奥州市ってどこ??」と話しかけられました。思わず「あっちの方・・」と南を指さした私です。「平泉の近く・・」と言ったら、「あーそうですか」となりました。やっぱり世界遺産指定の話題で、平泉は全国区でした。

撮影終了後、盛岡市内の撮影を断念し家まで戻りましたが高速道路が使えません。国道4号線が花巻市付近で渋滞になり動かなくなりました。やっとの思いで家に着きましたが、震源から40km程離れた我が家の被害はほとんどありませんでした。体感する余震はほとんど収まりましたが、被害地の復旧が早期に実現することを願うのみです。・・・当時の記事2008チャグチャグ馬コから。

この画像は、2010年9月15日に撮影したものです。崩落した左側の橋脚と橋桁は撤去され、川底にコンクリートで固定されてありました。


崩落した祭畤(まつるべ)大橋。

本震:発生日2008年6月14日、発生時刻8時43分45秒。震央は岩手県北緯39度01分、東経140度53分。震源の深さ8km、規模 マグニチュードM7.2、最大震度は震度6強、岩手県奥州市、宮城県栗原市。津波 なし、地震の種類は直下型地震(逆断層型)。気象庁はこの地震を、「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」と命名した。

被害は、死傷者数・死者17名、行方不明6名、負傷者448名(2009年7月1日現在)、被害地域は東北地方。

岩手県一関市の国道342号線に架かる祭畤(まつるべ)大橋周辺の大規模な斜面崩壊により、秋田側の橋台と橋脚橋げたが宮城側に約10メートル移動。これに伴い、宮城側の橋脚の上部が折れ、支えを失った橋げたが折れ曲がる形で沈み込み、宮城側橋脚の中間部も壊れたことで、曲がった橋げたの一部が川底に落ちる形で転落した。

(※ウイキペディアより)

ここで使用した記事と画像はウイキペディアに記載されていたものです。震災時の写真等は数多くありますが、私が気軽に利用できるものはありません。掲載されていたウイキペディアの画像は、二年後に現場で撮影した橋とほぼ同じ位置ですので並べてみました。



2010年5月30日、地震被害で崩落した道路や橋梁が修復され厳美町から真湯温泉まで道路が開通しました。ニュースで知ってはいましたが、ここまではかなりの距離がありますので訪れてはいませんでした。

9月15日のことでしたが、平泉世界遺産登録事前調査で史跡・無量光院跡に水が張られましたので、撮影ついでに思い切って栗駒方面に出かけてきました。橋の新築工事現場の下を走ったのですが、残念なことに崩落した橋を見つけることが出来なかったので途中から戻りました。

戻りながら橋の工事現場を見ていたら、林の中に茶色の橋脚が見えてきました。
かつての道路、仮道が右に造られています。 この延長道路がかつての道路です。ガードレールが設置され、立ち入り禁止の看板がありました。

道路が途中で切断され、右側に仮設の道路と橋がありました。
地震後の道路で、その先の橋が崩落しました。 立ち入り禁止の看板横から見た地震後の道路です。遙か向こうに折れ曲がっている橋桁が見えています。手前の道路のアスファルトは大きくめくられ、被害当時のままになっていました。
折れ曲がった橋桁部分とその奥の道路。 フェンスの上から見た対岸の崩落した橋です。この画面だけでは分かりませんが、手前の折れ曲がったところに谷底からのびている橋脚があり、その上から折れ曲がって下に落ちています。

更に奥には、崩落はしていませんが基礎から外れた橋桁が斜めにつながっています。一番奥には山の中にある道路が見えています。

一関市の国道342号線に架かる祭畤(まつるべ)大橋周辺の大規模な斜面崩壊により、秋田側の橋台と橋脚と橋げたが宮城側に約10メートル移動。これに伴い、宮城側の橋脚の上部が折れ、支えを失った橋げたが折れ曲がる形で沈み込み、さらに、宮城側橋脚の中間部も壊れたことで、曲がった橋げたの一部が川底に落ちる形で転落した。

仮橋の上から見た崩落した祭畤(まつるべ)大橋です。栗駒山に向かうときは左側の死角に入り、気がつかないままに進んだので見つからなかったのです。

現在この崩落した祭畤(まつるべ)大橋を、震源地近くの地震災害のシンボルとして保存する話が出ています。現在は工事中で立ち入り禁止ですから近寄れませんが、工事終了で自由に近くまで行けるようになると安全管理が課題になります。間違っても橋の上に乗るようなことがなければいいのですが・・、余計な心配かも知れませんが。
崩落した祭畤(まつるべ)大橋のほぼ全景。 崩落した祭畤(まつるべ)大橋のほぼ全景になります。左端には山側に設置された橋脚の乗る土台部分が見ています。

中央の橋脚の上で両側に折れ曲がり左側は川底まで落ちています。右端は橋の土台部分からずれて落ちていました。
山側に設置された橋桁の乗る土台部分。 山側に設置された橋桁の乗る土台部分の残骸と崩れ落ちた斜面の様子です。
中央の橋脚の上で両側に折れ曲がっている様子。 中央の橋脚の上で両側に折れ曲がり、左側は川底まで落ちています。本来ですと折れ曲がった左側の部分の橋桁もあるはずですが、すでに撤去されきれいになっていました。

川底の四角いコンクリート部分は、この場所に橋桁を乗せる橋脚がありましたが、地震で壊れ崩落したと思われます。

橋脚部分とその上に乗っている橋桁部分の拡大。 残った橋脚部分とその上に乗っている橋桁部分です。頑丈な鉄骨構造のはずですが、完全に折れ曲がっていました。

背景に見えるのが震源地のある山王山でしょうか??。遠くてはっきりしませんが、山の斜面が崖崩れを起こしていました。

ここまで来る途中ですが、道路両側の山肌が大きく削られ崩落している場所がかなりありました。

祭畤新橋の建設順調、来年3月完成目指す・・・

県南広域振興局土木部一関土木センターは、2008年6月の岩手・宮城内陸地震で崩落した一関市厳美町の祭畤大橋に替わる新橋の建設現場を報道陣に公開した。橋脚が昨年12月に完成し、現在、橋げたの建設が順調に進み来年3月の完成を目指す。

新橋は被災した橋の北側150メートル、仮橋の同50メートルに建設。コンクリート製で幅約9〜12メートル、長さ115メートル。高さ約40メートルの下部工の橋脚は昨年12月に完成し、現在は橋脚から左右に延びるかたちで橋げたを建設している。

この橋の作り方はディビダーク工法と呼ばれ、橋桁を地上からの支保工を用いずに、橋脚から左右にバランスをとりながら移動式作業車を用いて、延ばしていく工法です。

気がついたことですが、仮橋には広い部分がありそこから対岸の崩落した橋を眺めることができます。仮橋の上に車を止めるのは論外ですが、新橋完成まではちょっとした名所になりそうです。仮道入り口付近に駐車スペースがありますので念のために書きました。

また、仮橋上流(新橋下)には最初に架けられたアーチ状の橋があり、対照的だなあと思いました。初代の橋、崩落した橋、そして新しく作られた橋、やがて三代にわたる橋を見ることが出来そうです。

ディビダーク工法で延びていきます。 下の方に古い初代の橋が見えています。
クレーン車と生コンクリート圧送のパイプ。 ディビダーク工法で延びている橋桁部分。白い部分は仮橋の展望大部分?。