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         2010秋の蔵王・お釜


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馬の背と称する外輪山通路から15分ほど火口湖近くまで降りた場所での全貌です。通称「お釜」と呼んでいます。

前回の表紙画像でも紹介しましたが、紅葉を訪ねての蔵王・お釜を訪れたのは10月19日のことでした。季節や天候条件にもよりますが、この素晴らしいお釜(火口湖)を目に焼き付けるとまた訪れたくなるお釜(火口湖)風景です。ここまで来る途中の蔵王エコーラインは濃霧に被われ、ガスの切れ間から周囲の風景が見えるだけでした。

山形方面に下る峠付近から濃霧が切れかかり、時折高曇りの空が見えるようになりました。山頂外輪山にある駐車場につく頃には、快晴にはなりませんが遠くの山並みも見えていました。もちろん下界は雲の中でした。

蔵王のお釜(火口湖)を訪れたのは今回で四回目になります。最初は昭和39年(1964)頃の秋でしたが、快晴に恵まれお釜の様子を撮影したスライドを今でも持っています。時期が遅かったせいか、訪れる人がほとんどいなかったと思いました。また、我が家の子ども達が幼少の頃訪れた時は完全に濃霧の中であり、車から降りたものの寒くてすぐ引き返した記憶があります。

今までは駐車場から出た外輪山通路(馬の背)付近からしか撮影していなかったのですが、今回は欲張ってお釜正面付近まで下に降りる通路を歩き撮影しました。ここではその様子を紹介してみます。


お釜の概要・・・

お釜は、火山活動による水温御釜は、蔵王連峰の中央部の最も標高の高いエリアにある。同エリアはカルデラとなっているが、外輪山は東側が崩壊している。外輪山の尾根をたどると、北側が「ロバの耳岩」辺りから西側の「馬の背」を経て、南側の「刈田岳」(標高1758m)に至るラテン文字の「C」、あるいは、馬蹄形になっている。

この外輪山の内側に標高1674mの「五色岳」という中央火口丘(後カルデラ火砕丘)があり、同岳の西側中腹に直径約400mの爆裂火口がある。この火口の底に水が溜まってできた火口湖が「御釜」である(カルデラ湖や火口原湖ではない)。

刈田岳頂上には、「蔵王連峰」の名称の由来となった「刈田嶺神社(奥宮)」があるが、特に同神社周辺から見ると御釜は、外輪山の「馬の背」と爆裂火口によってえぐられた中央火口丘の「五色岳」とによってぐるりと周囲を囲まれているように見え、水を入れた釜に例えることが出来る。

また、御釜の湖水は火山活動によって度々沸騰している。御釜という名称のはっきりした由来は不明だが、このような周囲の地形、あるいは、火山活動による水温上昇や水蒸気爆発との関係で語られることがある。

御釜(五色沼)・・・
水は常に淡い緑色に濁り、その色調は季節によって様々である。水質は、Ph3.5の酸性であり、生物は一切生息していない。御釜は、濁川と言う河川の源流である。東に向けて流れ出ており、遠刈田温泉の手前で澄川と合流して松川と名を変え、さらに白石川、阿武隈川を経て太平洋に注ぐ。激しい噴火活動があると、この川に沿って泥流が流れる傾向がある。

火山活動・・・
蔵王の火山活動は、約100万年前から始まったとする説もあるが、少なくとも70万年前には始まっていたと考えられている。約3万年前には山体崩壊が発生してカルデラが形成された。その後、約3000年〜2000年前頃の活動で東側の外輪山が崩壊し、現在のような東側に開いたC形あるいは馬蹄形の外輪山となった。

約2000年前からは同外輪山の内側での活動により、中央火口丘(後カルデラ火砕丘)である五色岳が形成された。当初の火口は、現在の五色岳の最高部の南側、すなわち、現在の御釜の中心から見て南東方向にある窪地である。

御釜は1182年(養和2年)の噴火により誕生した。1820年(文政3年)以降に水が溜まり始めたと推定されている。なお、最新の噴火は1918年(大正7年)に発生し、噴気が発生した。その後、噴火には至っていないが、1939年(昭和14年)頃に水温の上昇が見られた。現在も湖底に何箇所かの気孔が存在し、火山ガスの継続した噴出が続いている。

お釜データ・・・
面積0.9Ku、周囲長1080m、最大水深27.6m、平均水深17.9m、水面の標高1550m。

(※ウイキペディアより)



外輪山通路から 1 駐車場からレストハウスの脇を通ると、程なくして外輪山尾根にある通称「馬の背」と呼ばれる通路に出ます。以前来た時と違い通路が整備されているのには驚きました。

正面に見えるのが刈田岳であり、頂上には刈田嶺神社が鎮座しています。最初にお釜まで降りたので、帰りには疲れて刈田岳までは行きませんでした。最初に行けば良かったと思いましたが、後悔なんとかやらでした。
外輪山通路から 2 上の画像にある通路を手前に歩くと、馬の背と称する外輪山通路を遙か遠方に見えている「熊野岳」まで行くことが出来ます。

限られた時間でもあり、体力的にも思いつきでは歩けませんので今回は断念です。いつか機会があれば是非歩きたいと思います。
外輪山通路から 3 駐車場から上った通路と馬の背通路が交叉する奥には、ちょっとした展望場所があり眼下に広がる山々に名称札が置かれてあります。よく見ると、山の名前と標高、そして絵図面が書かれてあります。

この場所からでも、五色岳とお釜(火口湖)がきれいに見えていますので、体力的に自信のない方や車椅子の方には格好の場所だと思いました。

外輪山通路から 4 外輪山通路から 5
外輪山通路から 6 遙か遠方に見える熊野岳までの通路は、馬の背と呼ばれる外輪山の尾根部分にあたることが分かります。この外輪山から右側に斜面を下ると、そこに一本の道が整備されています。

通路から先は、急斜面になるので立ち入りは危険になります。画像からもお分かりでしょうが、赤茶けた火山礫岩と噴石等がごろごろしていて、歩くのはちょっと大変になります。

馬の背から下る 1 下の通路まで降りる・・・

間近にお釜(火口湖)を見るためにはこの斜面を下らなければなりません。ご覧の通りの噴石だらけなのですが、幼児でも手をつないで歩けますのでそれほど苦労ではありません。

下の画像は、通路フェンスの所から見た五色岳と左側に大きくえぐり取られた爆裂火口の様子です。火口に水が溜まり、お釜(火口湖)になっています。普通はこの場所で撮影して終わりになるのですが、かなり東側からの様子しか分かりません。

下の通路から見た五色岳全貌。 お釜(火口湖)をアップする。

もっと正面からの様子を撮影したいので、先ほどのフェンス脇の通路を更に下りました。先ほどの通路とは違い、ガレ場の登山道になります。

大きな噴石があちこちにありますので、カメラを手にしての歩行には細心の注意が必要になります。
通路を更に下ります。
お釜の拡大 中頃から見たお釜(火口湖)の様子です。先ほどの場所とは違い、爆裂火口の東側が更にはっきりとしてきます。

ここでは、中央火口丘でもある五色岳についてじっくりと観察してみました。一番高い場所が五色岳(1672m)であり、湖面の標高が1550mと言いますから火口壁の高さは120m位になります。

ネットで資料を収集していたら、五色岳は立ち入り禁止にはなっていないと言います。かなりの方が登っているようですが、素人は危険なので専門家のガイドが必要とありました。自己責任で登山するしかありません。
五色岳として見る 1 五色岳として見る 2
五色岳として見る 3 五色岳の東側画像画見ていたら、ハート型をした部分に目がいきました。多分ですが、いつの時代か分かりませんが、この場所から小噴火して火口を造ったと思われます。

拡大画像でご覧になるとはっきりとしますが、ハート型中央部に盛り上がった部分があり、ここが爆裂火口の中心だなと思われます。
五色岳として見る 43 五色岳の東側は急斜面の崖になっており、この場所には中央火口丘が爆発をしながら成長した様子の痕が見えたいます。きれいな地層になっていますので、おだやかな噴火で堆積したものと思います。

その後、急激な噴火爆発があり左側の山体が吹き飛んで爆裂火口が生じたと思われます。
更に下まで下ります。画面中央まで下りました。 あと少しでお釜のlほぼ正面(南側)になります。画像の中心付近まで更に下りました。ここまで来ると、歩いている方はそれなりの装備をしていますし、尾根伝いに歩いている様子が伺われます。

そんなことを思うと私は普通の格好ですし、カメラザックを背負い首から重いカメラをさげていますので大変でした。

お釜ほぼ正面からの様子 1

今回の最終地点から撮影した五色岳とお釜の全貌です。欲を言えばきりがなくなりますので、これ以上先に進むのは断念しました。

資料によると、御釜は1182年(養和2年)の噴火により誕生し、1820年(文政3年)以降に水が溜まり始めたと推定されます。

爆発後830年ほど経過していますが、風化作用により火口壁が崩れ落ち、お釜周辺に堆積しています。
それにしても間近で見る爆裂火口は迫力満点です。

お釜ほぼ正面からの様子 2 お釜ほぼ正面からの様子 3
お釜ほぼ正面からの様子 4 お釜(火口湖)の西側は、爆裂火口の一部が破壊し外輪山の土砂が流れ落ちている場所があります。資料によると、火口湖から流出した水が下流に流れ濁川になるとありました。

私が見た限りでは、火口湖からの流出口が見つけられません。火口壁のどこかに浸食された部分があり、そこからお釜の水が流れ落ちているのかも知れません。
遙か熊野岳を望む・・・本当は行きたかったのですが・・。 西側外輪山斜面の部分です。浸食が激しくガレ場になっています。このガレ場の一番高い部分が熊野岳であり、蔵王連峰で一番高い所(1841m)になります。
谷の低いところを濁川が流れ駒草平まで続きます。 外輪山の東側の様子です。ここからは一気に浸食され谷を形成しています。お釜から流れ出る川は濁川の源流となり、河川が合流し太平洋まで流れると言います。

ここまで来る途中で見た駒草平にある滝なども、源流がお釜にあると知り興味が湧いてきます。お釜からの流出口はどこにあるのだろう・・・。
お釜正面から見た刈田岳です。拡大画面にするとかなりの皆さんがここまで歩いていました。 最後に撮影した場所から見た刈田岳です。ここからあえぎながらの帰り道でした。しかし、今回はなんとかここまで来られましたので、次回は夏のシーズンに訪れたいものです。

今は紅葉も終わり枯れ葉状態でしたが、夏場には高山植物の「コマクサ」がガレ場に咲き誇ると言います。