前回の表紙画像でも紹介しましたが、紅葉を訪ねての蔵王・お釜を訪れたのは10月19日のことでした。季節や天候条件にもよりますが、この素晴らしいお釜(火口湖)を目に焼き付けるとまた訪れたくなるお釜(火口湖)風景です。ここまで来る途中の蔵王エコーラインは濃霧に被われ、ガスの切れ間から周囲の風景が見えるだけでした。
山形方面に下る峠付近から濃霧が切れかかり、時折高曇りの空が見えるようになりました。山頂外輪山にある駐車場につく頃には、快晴にはなりませんが遠くの山並みも見えていました。もちろん下界は雲の中でした。
蔵王のお釜(火口湖)を訪れたのは今回で四回目になります。最初は昭和39年(1964)頃の秋でしたが、快晴に恵まれお釜の様子を撮影したスライドを今でも持っています。時期が遅かったせいか、訪れる人がほとんどいなかったと思いました。また、我が家の子ども達が幼少の頃訪れた時は完全に濃霧の中であり、車から降りたものの寒くてすぐ引き返した記憶があります。
今までは駐車場から出た外輪山通路(馬の背)付近からしか撮影していなかったのですが、今回は欲張ってお釜正面付近まで下に降りる通路を歩き撮影しました。ここではその様子を紹介してみます。
お釜の概要・・・
お釜は、火山活動による水温御釜は、蔵王連峰の中央部の最も標高の高いエリアにある。同エリアはカルデラとなっているが、外輪山は東側が崩壊している。外輪山の尾根をたどると、北側が「ロバの耳岩」辺りから西側の「馬の背」を経て、南側の「刈田岳」(標高1758m)に至るラテン文字の「C」、あるいは、馬蹄形になっている。
この外輪山の内側に標高1674mの「五色岳」という中央火口丘(後カルデラ火砕丘)があり、同岳の西側中腹に直径約400mの爆裂火口がある。この火口の底に水が溜まってできた火口湖が「御釜」である(カルデラ湖や火口原湖ではない)。
刈田岳頂上には、「蔵王連峰」の名称の由来となった「刈田嶺神社(奥宮)」があるが、特に同神社周辺から見ると御釜は、外輪山の「馬の背」と爆裂火口によってえぐられた中央火口丘の「五色岳」とによってぐるりと周囲を囲まれているように見え、水を入れた釜に例えることが出来る。
また、御釜の湖水は火山活動によって度々沸騰している。御釜という名称のはっきりした由来は不明だが、このような周囲の地形、あるいは、火山活動による水温上昇や水蒸気爆発との関係で語られることがある。
御釜(五色沼)・・・
水は常に淡い緑色に濁り、その色調は季節によって様々である。水質は、Ph3.5の酸性であり、生物は一切生息していない。御釜は、濁川と言う河川の源流である。東に向けて流れ出ており、遠刈田温泉の手前で澄川と合流して松川と名を変え、さらに白石川、阿武隈川を経て太平洋に注ぐ。激しい噴火活動があると、この川に沿って泥流が流れる傾向がある。
火山活動・・・
蔵王の火山活動は、約100万年前から始まったとする説もあるが、少なくとも70万年前には始まっていたと考えられている。約3万年前には山体崩壊が発生してカルデラが形成された。その後、約3000年〜2000年前頃の活動で東側の外輪山が崩壊し、現在のような東側に開いたC形あるいは馬蹄形の外輪山となった。
約2000年前からは同外輪山の内側での活動により、中央火口丘(後カルデラ火砕丘)である五色岳が形成された。当初の火口は、現在の五色岳の最高部の南側、すなわち、現在の御釜の中心から見て南東方向にある窪地である。
御釜は1182年(養和2年)の噴火により誕生した。1820年(文政3年)以降に水が溜まり始めたと推定されている。なお、最新の噴火は1918年(大正7年)に発生し、噴気が発生した。その後、噴火には至っていないが、1939年(昭和14年)頃に水温の上昇が見られた。現在も湖底に何箇所かの気孔が存在し、火山ガスの継続した噴出が続いている。
お釜データ・・・
面積0.9Ku、周囲長1080m、最大水深27.6m、平均水深17.9m、水面の標高1550m。
(※ウイキペディアより) |