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     奥州市胆沢区・通水前の円筒分水工


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満々と流れるダムからの水がここで二方向に分かれます。
通水前の円筒分水工の全容。

やっと暖かくなった四月中旬のある日、奥州市胆沢区にある灌漑用水の円筒分水工を訪れてきました。胆沢平野(扇状地)の西側にある奥羽山脈から流れる胆沢川、この扇状地に住み着いた先人達は米作りに欠かせない用水を胆沢川から取水していたと言います。

歴史をひもときますと、この地での米作りは農業用水の確保にかなりの困難点と騒動があったと伝えられます。この灌漑用水の円筒分水工のある場所は「徳水園」と名付けられ、「昭和の一里塚」といわれる桜の名所と「水の歴史記念公園」になっています。この園内には昔の水争い解決で貢献のあった先人達の石碑が建立されてあり、その中の一つに前岩手県知事「増田寛也」の手による碑文があります。


水陸万頃・・・

「続日本紀」延暦8年(789)の条、胆沢の地を「水陸万頃」と記す。豊かな水と肥沃で広大な大地があるさまを「水陸万頃」という。胆沢平野の古さを尋ねれば、旧石器時代縄文の古代よりこの地にすぐれた文化あり。人々は豊かな大地を耕し、恵み多き自然の中に獲物を追い、馥郁たる日々の生業ありと聞く。

胆沢平野の民人、代々この地に育ち、先人、先輩の血涙と汗によって造られし溝渠の恩沢に浴す。時移り、この歴史的遺構の再生と水不足解消のため、土地改良技術の粋を結集し、胆沢平野のさらなる発展を図らんと、村人額を寄せ、相計り事そ起こせり。

人これを「第二期国県営かんがい排水事業」と呼ぶ。時あたかも平成という新しい時代の旅立ちとともに起工、爾来18年県営事業完工、ここに、斯業の完工を祝し記念に碑文を寄せ、その偉業を称えん。

(岩手県知事 増田寛也)  平成18年10月建立


徳水園・・・

胆沢平野水利の開祖寿庵、茂井羅は、共に胆沢川に取水口を求め取水していた。しかし取り入れ口は、それぞれ上下流にあることから、後世は常に水争いが絶えなかった。

これを解消すべく国営事業を導入し、昭和三十三年円筒分水施設の完成を見るに及び、夢にまで見た取入口の一本化が実現したのである。人々は大いに喜び、この地を聖地と定めて当時の総代、役員、職員らが樹木や岩石を献じ労力を奉仕して、後藤寿庵、北郷茂井羅、千田左馬、遠藤大学の碑を合祀した。

徳水園の名は、これら先人の威徳を永遠にしのび賛仰するために命名したものである。

昭和五十五年十月建立


上下に二枚の画像を配置しました。上の画像は昨年四月末に撮影したのもので、石淵ダムから引かれた水が円筒内部に噴き出し、二ヵ所の赤い水門から均等に流れ出している様子です。下の画像は先頃訪れたときの様子で、まだ水が流されていない様子です。今まで春先に訪れてはいませんでしたので、内部の構造を知ることができました。



胆沢平野の日本一と書かれた説明図。

胆沢平野の日本一・・・

胆沢平野の心臓部でありシンボルといえる円筒分水工は、国営胆沢川農業水利事業の一貫として昭和32年に施工されました。

胆沢平野の農業用水は、その大半を400年程前から胆沢川に求めていた歴史があります。

しかし、二大幹線である寿安堰と茂井羅堰は取水口が近く、また、胆沢川の水量不足から水争いが絶えず、その解決策として採用されたのが水路に公平に水を分ける円筒分水工でした。

サイフォン吹き出し口の構造。

平成元年度に着工した国営胆沢平野農業水利事業で平成7年に改修され、これまでより一回り大きくなった円筒分水工に生まれ変わり、流量(通水量)・受益面積で全国最大であり総合的に「日本一の円筒分水工」です。

規格・外円径:31.5m
内円径:24m
流量:16.0トン/秒
受益面積:7,400ヘクタール

サイフォン吹き出し口の構造です。中央の円筒内部にはサイフォン出口がありますが、この位置かららは見ることが出来ません。

東屋の奥は水辺の公園になっています。 円筒分水工・・・

円筒分水工は、サイフォンにより下から吹き上げられてた水を同心円状越流させることにより、用水を均等・公平に分けることが出来ます。さらに、円筒分水はその公平性が「誰の目にも明らか」なので、水争いを解消することができました。

中央部がダム上流からの水路で、この位置から地下に潜りサイフォンになります。

東屋の奥は水の歴史記念公園で、水車等が配置され遊びながら学べる場所になっています。
この水門で二方向に均等に分水します。 二ヵ所の水門が見えていますが、左側が茂井羅堰、右側が寿庵堰に流れ込みます。

碑文に書かれているような水争いがあったと思われない、穏やかな様相です。
石淵ダムからの水路の端。 上流にある石淵ダムからの水路の端で、この下にサイフォンが作られ円筒分水工中央に流れ込みます。

かなりの水量になり危険ですので、かなり上流から暗渠水路になっています。
中央部の円筒内にサイフォンの出口が見えています。 中央部のサイフォン出口の円筒、切り込み窓の中に円筒部分が見えていますがお分かりでしょうか??・・・。

少し前の新聞に、石淵ダムが水を流したと報じられていました。

通水式の神事が行われた後に水が流されます。通水の瞬間を撮影したいと思いましたが、残念ですが来年です。

現在は、トップの画像のような状態になっているはずです。

後日になりますが、水が流れている様子と水辺の公園の様子を紹介いたします。