![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|---|
![]() |
![]() |
![]() |
location:uchinome.jpトップ>自然の表情>風景の表情>奥州市胆沢区・通水前の円筒分水工 |
サイトマップ |
![]() |
![]() |
やっと暖かくなった四月中旬のある日、奥州市胆沢区にある灌漑用水の円筒分水工を訪れてきました。胆沢平野(扇状地)の西側にある奥羽山脈から流れる胆沢川、この扇状地に住み着いた先人達は米作りに欠かせない用水を胆沢川から取水していたと言います。 胆沢平野の民人、代々この地に育ち、先人、先輩の血涙と汗によって造られし溝渠の恩沢に浴す。時移り、この歴史的遺構の再生と水不足解消のため、土地改良技術の粋を結集し、胆沢平野のさらなる発展を図らんと、村人額を寄せ、相計り事そ起こせり。 人これを「第二期国県営かんがい排水事業」と呼ぶ。時あたかも平成という新しい時代の旅立ちとともに起工、爾来18年県営事業完工、ここに、斯業の完工を祝し記念に碑文を寄せ、その偉業を称えん。 胆沢平野水利の開祖寿庵、茂井羅は、共に胆沢川に取水口を求め取水していた。しかし取り入れ口は、それぞれ上下流にあることから、後世は常に水争いが絶えなかった。 これを解消すべく国営事業を導入し、昭和三十三年円筒分水施設の完成を見るに及び、夢にまで見た取入口の一本化が実現したのである。人々は大いに喜び、この地を聖地と定めて当時の総代、役員、職員らが樹木や岩石を献じ労力を奉仕して、後藤寿庵、北郷茂井羅、千田左馬、遠藤大学の碑を合祀した。 徳水園の名は、これら先人の威徳を永遠にしのび賛仰するために命名したものである。
|