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        八幡平市・焼走り溶岩流


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雄大な岩手山と焼走り溶岩流。

5月19日は盛岡市に所用があり、午後の会議に先立ち午前中に訪れたのが上坊牧野の一本桜です。その帰り道に寄ったのが焼走り溶岩流でした。この場所は今までにも何回か訪れていますが、見た目の美しさとは違い、真っ黒い溶岩流と岩手山の対比の表現がかなり難しいことです。

今回は晴れてはいましたが、岩手山がもやっとかすみコントラストがない状態です。デジタルカメラは正直であり、見たとおりには記録できません。今まで何回も訪れて撮影していますが、気に入った画像が得られないためにHPでまとめてはいませんでした。からりと晴れ上がった青空の下、岩手山と溶岩流の対比がはっきりする早めの午前中がグッドタイミングのような気がします。


昨年頂いた資料には、五感に刻む、地球の鼓動「大地の力を体感するネイチャーゾーン」と書かれ、次のような解説文が紹介されてあります。

標高2038m、日本百名山の名峰岩手山。その北東斜面は火山砂礫で被われた美しい裾野が広がっています。約280年前(1732年)噴火の際、標高970m付近から流出した溶岩は東北方向へ2.8kmまで至り「焼走り溶岩流」を形作りました。暗褐色の大地は、まるで大地の鼓動が体感できる天然のネイチャーゾーン。その規模は面積約149ha、長さ2.8km、最大幅は1kmにも達しています。現在に至るまで自然状態のままに維持され、溶岩流の成り立ちなどが詳細に観察できる、岩原の全貌を留めていることは希なことです。

焼走り溶岩流は貴重な原生自然地域として、昭和27年に特別天然記念物として国から指定され、昭和32年には、十和田八幡平国立公園の特別保護地区に指定されています。(※八幡平市発行、岩手山焼け走り溶岩流から)


2006年当時の現場案内板より

岩手山は有史以来たびたび火山活動を繰り返したことは、史実に明らかな通りである。その最後の活動即ち享保17年(1732)正月、今を去ること二百数十年前の噴火の際、東側の小噴火口より流出した溶岩流を「焼走り溶岩流」と称している。恐らく赤熱した溶岩流が急激な速度で流下したのを当時の人が目撃してかく命名したものであろう。

その小噴火口は小さい円錐形をなして山腹より突出し、その高さは僅かに4〜5mに過ぎない阿、直径4m程の凹穴をなし不完全ではあるが一個の寄生火山と見なされる。迸出した溶岩流は東北斜面を流下し、山麓の小丘たる三ツ森山の西にまで達している。

溶岩流の延長は約4,000m、幅は一様ではないが下方ほど次第に広く、末端部では約1,050m程に達している。これはその噴出時期が比較的新しいので、風化作用は未だ充分進まず、その表面に土壌を生成するに至らない。

従って上端の一小部分をのぞく外は未だ樹木の発生を見ず、シラガゴケその他の蘚苔類、地衣類が着生しているに過ぎない。その表面には波紋の様な凹凸があって、一見虎の斑紋の如く見えるので、これを「虎形」とも称している。

これは流動の途中で冷却して、所々で停滞して起伏を生じたことによるものである。溶岩は暗黒色を呈し、著しく多孔質な塊状溶岩で小は拳大より大は経数mに達する溶岩塊が雑然と堆積している。火山国たるわが国では、決して珍しいものではない。

然しこの焼走り溶岩流の如く、噴出時代が明らかで、噴出後二百数十年を経た今日なを樹木の発生を見ず、荒涼たる岩原を現出しよく全貌を留めているのは希に見るところであって、学術的に貴重なものである。かつて宮沢賢治が訪れて詩「溶岩流」にその深淵の激しい鬼気をを表現しています。

尚、この溶岩流は特別天然記念物に指定されておりますので持出し、積重ね、き損等現状を変更したときは、文化財保護法により罰せられますのでご注意下さい。

岩手営林署・西根町



入り口の案内看板、四カ国語で書かれてあります。

国指定特別天然記念物「焼走り溶岩流」

享保16年(1732年)岩手山中腹から流れ出した溶岩が冷えて固まったものです。噴口は海抜970m位で、溶岩流の長さは約3km、幅は末端部の最も広いところで約1kmあります。

表層部は、直径数センチから数メートルに達する溶岩で被われ、噴出後すでに二百余年ですが樹木の育成を許さず、蘚苔類、地衣類が着生するに過ぎません。その表面には波紋のような凹凸があり、虎の斑紋のように見えるので「虎形」とも呼ばれています。(※案内看板から)

散策路の入り口階段

道路東側に散策路の入り口があります。道路から階段を登りますので、その高さ分が入り口の溶岩流の厚さと言うことになります。

いつものことですが、入り口右側にはボランティアの監視員の方が常駐しています。毎回気軽に挨拶を交わしますが、「看板にあるツツジはどこで撮影できますか・・」とお聞きしたら、通路以外は立ち入り禁止なので・・と笑っておられました。多分、「登山道路の上の方だと思いますよ・・」とのことでした。

自然散策路 1・・・ここから1km続く散策路。 資料によると、「焼走り自然散策路」の全長は1km程あります。入り口と出口が違いますので15分ほど歩き、噴出口がよく見える場所まで行き引き返しました。

散策路は幅が2m以内で、両側に鉄鎖が張られ立ち入り禁止の表示が各所にあります。入り口から近い頃は溶岩が細かくて歩くのにさほど苦労はしませんが、少し歩くと塊が大きくなり気をつけないと足を取られます。
自然散策路 2

こんな表示板がありました。

耳を澄ましてみましょう。目を閉じて3分間、何種類の音が聞こえましたか?。溶岩流を流れる風の音も含めてください。野鳥の鳴き声は何種類ですか?。

キビタキ、シジュウカラ、ヤマガラ、ホオジロ、ウグイス

一休みしながら聞き入らないと分かりません。

進むにつれて、所々に松の木がしがみついて生育している場所が見えてきます。

自然散策路 3・・・溶岩流の端には松の木が生えています。 自然散策路 4
自然散策路 5

この付近で植物に目を向けてみましょう。

マツが生育している島状地が見えますね。アカマツ、ダケカンバ、ミネサクラなどを見ることができますか。

オオイタドリ、ススキなどありませんか。どうしてこうしたところだけ生育しているいるのでしょう。考えてみましょう。そうそう、足元にコケ類が生育していますね。そうっと優しく踏みつけないようにしましょう。

植物等が生育するための土壌等がないので、長年の間に溜まった土砂等が種子を捉えて発芽させ、ここまで成長させたと思われます。

自然散策路 6・・・しがみついて生きている松の木。 自然散策路 7・・・遙か遠方には緑がありますが、足元は黒い溶岩だけ。
自然散策路 8 雄大な岩手山の麓に拡がる溶岩流、厚い所で10mはあると言います。一緒に入った同年代のご夫婦が黙々と先を歩いておられます。

若い頃に伊豆の大島に出かけ、三原山の溶岩流の中を歩いたことがあります。ここ焼走り溶岩流と同じような光景だったことを思い出していました。
自然散策路 9・・・溶岩流の流れを観察するポイント。

溶岩の流れた状況が良く分かります。噴出口は観察路前方の姫神山頂上と同じ1200mです。

早池峰山・八幡平が遠望できる地点まで約250m

左側の画像は噴出口全体の様子です。扇形に拡がって流れてきたのが分かります。右側は望遠レンズで撮影した様子で、中央に窪地のような場所が二ヵ所あるのが分かります。

その上には、左側から斜め上に一直線の登山路が見えています。駐車場から3kmあり、2時間のコースのようです。体力と気力があれば噴出口を見たい気もします。

自然散策路 10・・・焼走り溶岩流噴出口付近の全景。 自然散策路 11・・・二つの窪みがあり第一、第二噴出口です。
自然散策路 12 入り口からここまで15分位かかりましたが、私はここで引き返しました。ここからさらに進めば、早池峰山と八幡平が遠望できるとありますが戻ってくるのが大変です。私の観察と撮影はここまでであり引き返しました。
自然散策路 13 私の前を歩いておられたご夫婦は、ひたすら前の方へと進んでおられました。天候と撮影条件に恵まれれば、また訪れて別の角度から撮影したいと思います。

入り口の監視人の方と話しながら「江刺から来ました」と言ったら、「私も江刺を知っていますよ。家内の実家が江刺なので・・」と言われて驚きました。

学生時代と若い頃に何回も登った岩手山です。今の年齢と体力を考えると、登ってみたい願望はあるものの、ちょっとした山道に喘いでいる私には、若い頃の夢追いにしかなりません。

岩手山噴火の歴史・・・

岩手山は、今から約70万年前にできたと考えられています。今までに何度も噴火をくり返しているのですが、縄文時代(12000年前〜2000年前)ごろから、東側と西側の2つにわかれて噴火するようになりました。

記録に残っている岩手山の一番古い噴火は、1686年の大噴火です。このときから1919年までに4回の噴火の記録がのこっています。1732年の噴火は、たくさんの溶岩が流れて「焼走り」ができたといわれています。このときは、盛岡にも火山灰がふりましたが、その後約270年間マグマ噴火はおこっていません。

また、一番新しい噴火は1919年の水蒸気爆発で、その後噴火はおこっていませんが、ときどき噴気(山から水蒸気がふき出ること)が出ることがあります。


岩手山の最近の火山活動・・・

最も新しい岩手山の火山活動は、1995年9月15日に東側で火山性微動(火山活動でおこる小さい地震)が観測されたことに始まります。1997年12月29日から、東側にかわって西側で地震が多く観測されるようになり、次の年の1998年の4月29日には、1日で285回もの地震を記録しました。6月から7月はじめにかけても、1日100回以上の火山性地震が観測された日が数日ありました。

1998年9月3日午後4時58分ごろ、雫石町で震度6の地震があり、ガケくずれなどがおこりました。また、西側では、1998年の5月ごろから強い噴気がふき出し始めて、火山の活動が活発になって水蒸気爆発がおこるかもしれないので、注意深く監視が続けられています。

(参考資料:岩手山の地質-岩手県滝沢村教育委員会)