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location:uchinome.jpトップ>自然の表情>風景の表情>岩国市・錦帯橋 |
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日本三名橋の一つに数えられている木造橋で、城下町岩国のシンボルとして知られている。精巧かつ独創的で強靱な五連のアーチで構成されていて、1922年(大正11年)に国の名勝に指定された。 初代の橋は1673(延宝元年)年、当時の岩国藩主吉川広嘉の創案によって造られた。現在の橋は2004年3月、50年ぶりのかけ替え孝治が完了した3代目。河原からは、釘をほとんど使わない伝統の建築技法「組み木の技法」を見ることが出来る。桜が華やかな春、鮎釣り人で賑わう夏、紅葉の美しい秋、静寂に包まれる冬など四季折々の風情が楽しめる。(※マップルマガジンより) 広嘉は、明の帰化僧である独立(どくりゅう)から、杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知る。これをもとに、連続したアーチ橋という基本構想に至った。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるというのである。(※ウイキペディアより) |
歴史・・・2 1950年(昭和25年)9月に発生したキリア台風により、錦帯橋は流失してしまうが、1953年(昭和28年)に再建。2001年(平成13年)より2004年(平成16年)にかけて橋体部分の架け替え工事が行われた。工事は各年の晩秋から早春の、錦川の水量が減る時期に施工された。 2005年(平成17年)9月6日から翌7日にかけて、九州北部・山陰沖を通過した台風14号により、第一橋の橋脚2基が流失した。後に復旧工事が行われ今に至る。(※ウイキペディアより) |
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橋を渡ったところに、斜めに川にせり出している松の木があります。立て札には「槍倒し松」と書かれてありますが、説明板には「槍こかし松」とあります。説明文を読んでなるほどなあと納得でした。 槍倒し松・・・この松は、岩国武士の負けず嫌いをまけず表徴する有名な槍倒し松です。 今では昭和10年の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが、元は河辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから、大名が槍を倒して坂を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたと言うことです。 昭和19年(1944年)頃、この地方に発生した松食い虫によって、この松も昭和27年(1952年)八月残念ながら枯れてしまいました。この松は、初代の松の実から自生した直系の松を昭和43年(1968年)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。樹齢300年、高さ14.5m。(※案内看板から) |