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盛岡地方裁判所前の石割桜は、市内で一番早い開花宣言が出されるサクラと言います。16日付の新聞紙上で満開の情報を知り、早速訪れたほっづぎ我が家です。暑いくらいの日和になり、現場は多くの人々で賑わっていました。 |
4月16日は素晴らしい天気に恵まれた日でした。同年代のお年寄りの方々、子どもを連れた若いお母さん達、盲学校の生徒さん達でしょうか、説明を必死に聞いている姿に見とれていた私でした。 ここでは、正面入り口から入り東側に移動し、後ろを廻って見た桜の枝振りを中心に紹介してみます。巨大な石(花崗岩)が二個並んでいますが、この石の詳しいデータが無くて少々不満なところが残りました。また、あまりの人混みと皆さんのカメラの放列に、前に出て花崗岩の様子を撮影することが出来ませんでした。 |
この石割桜は、樹齢約350年のエドヒガンです。ここはかつて盛岡藩南部家の家老屋敷があり、花崗岩の庭石の割れ目に桜の種が飛んできて芽を出し、成長とともに石の割れ目を押し広げていったものと言われています。 1923年に国の天然記念物に指定され、市民に愛され続けてきた石割桜です。今では幹の周囲4.6m、高さ10.6m、枝の張りが17mの見事な大木となっています。(※ネット資料から) 正面から見た様子です。花崗岩の割れ目の上に太い桜の幹が乗っています。今を盛りと咲き誇っている花も素敵でしたが、年齢を感じさせる枝振りが何とも言われません。それにしても、どうやって巨大な桜の木本体を支えているのでしょうか・・。 |
正面から右に廻り眺めた様子です。裁判所の前に大きな花崗岩が二個見えています。更にぐるりと廻って左側に行きますと、一本の木に見えていたのが二本になっているのが分かります。 |
ほぼ真後ろから見た様子です。南側の木は日当たりが良くかなり太いのですが、北側は日陰になるせいか細いように感じました。それにしても、ここまで管理してきた歴代の庭師の苦労は大変だったと思われます。 1932年(昭和7年)盛岡地方裁判所が火災に遭い石割桜も北側の一部が焼けたが、幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせた。火事の際、庭師・藤村治太郎が身につけていた半纏(はんてん)を水で濡らし、濡れた石で足を滑らせて口を切るケガをしながらも石割桜を守ったというエピソードは有名である。 |
私の最大の関心事は、桜の木よりもこの巨大な花崗岩でした。花崗岩そのものの資料がないので、ネット資料で検索しやっと見つけたのが次のデータでした。楕円形型の花崗岩の長径が7.5m、短径が3.7m、高さが1.5m、地上の周囲が21mあると言います。肝心の花崗岩中央部の割れ目ですが、23センチ位とのことです(目視では30センチぐらいかなと思いました)。ネット資料によると、桜の生長と共に年間1ミリぐらいの割合で広がっていると言います。 巨大な花崗岩が中央から割れた原因は落雷のためとありますが、その場所が岩石の摂理面なのか興味のあるところです。本当にまっぷたつに割れていますが、南側の割れ目の上の方に後から切り取ったように見える部分があります。ここら辺の資料等があれば私にとって嬉しい限りです。 裁判所前の巨大花崗岩、岩手公園内の巨大花崗岩等々を見ながら、どうやってここにこんな岩石があるのか・・、しかもまるくて河原にある石と同じ形をしています。想いを遙か遠くの有史以前に巡らせることになりますね・・。 また、正面の岩石の裂け目と桜の木の太さから、岩石の間で桜の木部がどうなっているのかが不思議なところです。正面からだけでは分かりませんが、後ろの様子を見るとある程度納得できます。巨大な桜の木は前と後ろの3.7mの部分一杯に根が広がり、あの狭い石の隙間でY字型になって上の部分を支えていることに気がつきます。 狭い場所に根を張り、上の木を支えるためには地下深く、そして石の廻りに広く根が張っていると思われます。350年間生き延びてきた桜の木の生命力に驚嘆し、だから人気のある石割桜なんだとなあと思います。桜のシーズンが終わり、じっくりと目の間で見られる時期に撮影する予定でいます。 |