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       大崎市古川羽黒山公園・彼岸花


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一面に咲き誇る深紅の彼岸花、曼珠沙華という名前がぴったりかも知れません。
初秋を彩る花と言いますと、コスモスと共に真っ赤な彩りの彼岸花が頭に浮かびます。ネットで検索していたら、大崎市古川にある羽黒山公園に彼岸花の群落があるこことを知り、早速訪れたほっづぎ家族です。

彼岸花よりも曼珠沙華の名前が一般的ですが、お彼岸で墓参りするとお寺の境内に咲いているので、あまり親近感のある花ではないようです。大崎市古川の北に位置する羽黒山公園は、国道4号線の側にある小高い丘陵地帯になります。この丘陵地帯に15万本の彼岸花が満開状態で咲き誇っていました。


彼岸花についてウイキペディアから調べてみました。

全草有毒な多年生の球根性植物。散系花序で6枚の花弁が放射状につく。日本には、中国か朝鮮半島からの稲作の伝来時に土と共に、鱗茎が混入してきて広まった帰化植物といわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。



国道4号線古川市に入るバイパスの手前右側に、小高い丘陵の羽黒山公園があります。ここから公園に入るのですが、道路が狭くすれ違いが出来ません。入り口には一方通行の標識があり、少し入ると駐車場がありました。今が見所とあって、駐車場では係の方がいて誘導してくれていました。

車を置いてから、改めて入り口から眺めながら撮影しました。大きな看板には「羽黒山公園・彼岸花群生地」と書かれてありますし、少し入った斜面には「誰を待つやら咲く花の 紅に匂う曼珠沙華」と書かれてあります。曼珠沙華という言葉からは、子どもの頃に聞いた「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る・・・」歌謡曲が浮かんできます。
国道からの公園入り口で、看板が立っています。 誰を待つやら咲く花の 紅に匂う曼珠沙華、良いですね。
散策路から見た斜面、ここから一気に登る階段がありました。 公園と言うこともあり、色々な石碑が彼岸花の中に立っていました。


公園の頂上は平坦地なのですが、下の道路から10m位の高さがあるのでしょうか・・。この南側の斜面一面が深紅の花びらと鮮やかな緑色の茎が木漏れ日に輝き、思わず立ち止まって「きれいだなあ」と眺め息をのんでしまいます。赤と緑のコントラストが素晴らしいのです。

そして、上に行く散策路があちこちに作られております。一気に登る階段状道路や、折り返して上るスロープの道路でお年寄りにも優しい配慮がなされています。

有毒性・・・
鱗茎にアルカロイド(リコリン)を多く含む有毒植物。誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる。水田の畦(あぜ)や墓地に多く見られるが、これは前者の場合ネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、後者の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため、人手によって植えられたためである。

ただしモグラは肉食のため、ヒガンバナに無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まない。そのためにこの草の近くにはモグラが来ないともいう。

この毒は長時間水に晒せば抜くことが可能であり、鱗茎は澱粉に富んでいるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある。実際に同様のことを行った場合、毒抜きの時間が不十分であったり、長期間食して毒物が蓄積したために中毒を起こす危険があるため、絶対に真似してはならない。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。

斜面の坂と彼岸花 1・・・通路の斜面にはびっしりと植えられています。 斜面の坂と彼岸花 2・・・上の方が散策路であり、お年寄りが眺めています。かく言う私も同年齢ですが。
斜面の坂と彼岸花 3・・・散策路に木漏れ日による影があり、雰囲気がすごく良いのです。 斜面の坂と彼岸花 4・・・日当たりと日陰、花の色が微妙に違います。
一気に上に登る階段 1・・・木組みで作られた階段で周囲に彼岸花が咲いています。 一気に上に登る階段 2・・・折り返しのある階段で、この配置がとてもきれいに感じました。


ここでは花の様子をいろいろな角度から撮影してみました。超広角レンズを使用し15cm位の距離からの撮影です。

生長の仕方は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30〜50cmの花茎が葉のない状態で地上に突出し、その先端に5〜7個前後の花がつく。開花後、長さ30〜50cmの線形の細い葉をロゼット状に出すが、翌春になると葉は枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。開花期には葉がなく、葉があるときは花がない。

解説文にあるように今の時期は開花時期であり、葉のない茎がひょろりと伸び先端部に深紅の花が付いています。地面から緑色の茎が出ています。これが異様な雰囲気をかもし出すわけで、どこを探しても葉が見えません。我が家の彼岸花もすでに枯れていますが、その根元にやっと緑の細い葉が出かけています。これから春先にかけて、雪の下になりながら光合成をして球根を肥大させていきます。

春先になると葉が枯れてしまい、秋までその存在が忘れられます。初秋になると地表に花芽のついた茎が出て、しばらくしてきれいな花が開花します。当然ですが初秋に開花するのですから、その時期に茂っている雑草等の草刈り等が求められます。

名前に関わる話・・・
彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経中の梵語に由来する(梵語での発音は「まんじゅしゃか」に近い)。

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもある。

彼岸花の様子 1・・・ごちゃごちゃとなり花の区別がつきません。 彼岸花の様子 2・・・二個の花のアップですが。
彼岸花の様子 3・・・地面にある葉は彼岸花のものではありません。 彼岸花の様子 4・・・地面からにょっきりと出ている茎です。
彼岸花の様子 5・・・一つの塊の花です。 彼岸花の様子 6・・・逆光に浮き上がり鮮やかでした。


公園の頂上部分です。遊園地になっており、戦没者慰霊碑がありました。

斜面の坂を登り切ると平坦地になります。常時人が出入りする空間には彼岸花が咲いていません。この奥は遊園地になっていますし、戦没者を祀る慰霊碑がありました。春には桜の名所になっている様です。

羽黒山公園の由緒を知りたくて、ネット検索で調べてみたのですが良く分かりませんでした。たまたまですが次のような書き込みを見つけました。一部を紹介いたします。

この公園の彼岸花は近所の方々が植えたそうです。

彼岸花で有名になりましたが、羽黒山公園も最後の散り際でとてもすばらしい雰囲気です。桜が咲く前に、彼岸花が綺麗に咲くよう、山全体の下刈りも終わっております。この公園を訪れる方に、少しでも喜んで頂けるように、地域の方々が汗を流しています。お近くに来たときは、どうぞ立ち寄りください。

週末などは大変込み合うことから、交通指導隊の方々が先頭に立って、見学に訪れる人たちが安全に見られるようにと、付近の交通指導にも当たっておられました。

羽黒山公園のヒガンバナ開花期には、遠く関東方面より問い合わせもあるほどで、観光客の入れ込みは相当数に上るものと思われ、大手観光会社がツアー行程の中に組み入れています。このようなことで、数年前から羽黒山公園の駐車場について懸案事項となっておりましたが、市有地での駐車場6スペースを増設し、また、民有地を借り上げ、15 スペースを駐車場にしたことや、地元企業駐車場をお借りしました。また、地元の交通指導隊や羽黒山を美しくする会の皆様の御協力により、訪れました観光客の方々の評判も大変よかったと聞き及んでおります。・・・


地域の財産とも言える羽黒山公園、訪れる皆さんに安心してゆっくりと見学できる様に、地域の人々が心を込めて管理なさっております。皆さんのおかげで訪れた人は、きれいな彼岸花をゆっくりと眺めることが出来ます。この場をお借りして、地域の方々にご苦労さまでしたと感謝いたします。来年も見に来なくてはと思いました・・。