location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>遺跡・史跡アラカルト>秋田象潟・九十九島>その2 |
サイトマップ |
慈覚大師の開創による蚶満寺は、西行法師、北条時頼、松尾芭蕉など多くの歴史上の人物が訪れた場所でもあり、当時の俳人や文人墨客のあこがれの地でもあったようです。「奥の細道」の中で、松尾芭蕉は当時の象潟を次のように紹介しています。 |
芭蕉の詠んだ句に出てくる西施の絵が彫られた石碑がありました。残念なことですが、私は中国四大美人である西施の名を知りませんでした。 後、呉国が滅び会稽の恥をすすぐや、越国では西施を愛国精神の具えた天下第一の美女として讃え、現在まで知られている。 (※説明碑文から) |
救国のためとはいえ、敵国に身を捧げた悲劇的な美女西施を、俳人芭蕉は松島に比べて「うらむがごとし」と象潟の風景に似通うものとして俳諧の世界に生かした。その句が「奥の細道」に見られる次の句である。 |
おなじみの松尾芭蕉行脚時の姿です。周囲に池がありますが、当時の潟湖が取り残されたものでしょうか・・・。凄く雰囲気を感じる散策路でした。 |
散策路から出ると、目の前に多くの小島が迫ってきます。一番近いところの丘に登ってみました。太い松が何本も生えていて、田んぼからは3m位の高さがあり「駒留島」の名が付いていました。驚いたのは頂上に墓碑があったことです。○○家累代の墓と書かれ、周囲には何基か墓石が立っています。他家の墓地ですから長居は出来ないと、早々に降りてきました。 |
蚶満寺に戻りながら周囲を見ると、九十九島の名の通り大小様々の丘陵が見えてきます。田んぼから見た角度ですからはっきりとはしませんが、田圃に水が張ってあればきれいだろうなと言う想いが生じます。 |
蚶満寺につながる山門への通路です。近くで見た山門は、凄く年代を感じさせる造りであり扁額の文字がやっと読めるくらいでした。木彫りの造作物が沢山あり、入り口の両側には阿吽の仁王様が祀られています。木の格子ががっちりあり、内部の様子は撮影できません。 この山門は、象潟地震の液状化現象で埋まらなかったのかなと思いました。 |
境内の入り口に受付があり、拝観料を払い(300円)中に入りました。参拝客は私一人ですが、静かな中に一際大きな芭蕉が目をひきました。松尾芭蕉の関わりでしょうから、後世になって植えられたものと思います。本堂には入りませんが遠くから撮影したのみでした。古さを感じる山門と比べて、比較的新しいのかなと思いました。 境内には苔むした地蔵さんや巨木が沢山あり、歴史の重みを感じます。それと、ノラネコの姿が大変多いのです。しかも人の姿など気にしないで寝そべっています。管理人の方は笑いながら、「近所の人がここに置いていくの・・」と話しておられました。 境内の裏には、船で通っていた当時の場所が保存されているとのことです。何も資料が無いまま見ていたので、家に来てから気がつくお粗末でした。お寺以外の場所とて同様でした。春に訪れたときにでも、改めて散策しなくてはと思います。 最後になりますが、象潟地震についての詳細は「宇佐美龍夫著 大地震・・古記録に学ぶ」「象潟町郷土資料館編集景勝地象潟と地震・・象潟地震から200年・・」の記事を参考にしました。 2008年5月上旬のことでしたが、念願でえあった田んぼに水を張った状態の九十九島を見てきました。まずまずの天候であり、私なりに満足できた鳥海山や水面に映る九十九島の様子を撮影できました。2008象潟・水鏡の九十九島としてまとめてあります。よろしかったらこちらからご覧下さい。 |
秋田象潟・九十九島に戻る → |