location:uchinome.jpトップ>心のオアシス>遺跡・史跡アラカルト>釜石市・橋野高炉跡見学会>その2 |
サイトマップ |
フイゴ座方向から見た二番高炉跡です。この方が発掘担当者であり、現地の様子を説明をしてくれました。 約2.8m四方、高さ約4.8mmp花崗岩の石組(8段か?)を積み、下には花崗岩の基壇が1段敷かれています。石組みの石は、中央がふくらんだ加工になっています。一番二番とも、フイゴ座が南側、湯出し口が東側に配置されています。 フイゴ座跡・・・ 高炉内に空気を送り、温度を上げた。フイゴは高炉一座に二基使用され、ピストンの上下どちらでも送風されるように工夫されていた。 |
![]() |
![]() |
---|
花崗岩の石組みの一部に出っ張りの凸部と、それがはまり込む凹部があります。これは石組みのすれをなくすための仕組みだと言います。 |
![]() |
![]() |
---|---|
![]() |
![]() |
案内看板から・・・鉄のできるまで 「両鉄鉱山御山内高炉之図」より ・採掘 鉄槌やくさびを使い露天掘りをする。 |
最後に残ったのが三番高炉になります。一番高炉は漆喰塀、二番高炉は上まで花崗岩、三番高炉は花崗岩です。三番高炉は今までのものと違いまして、四隅に長い棒があります。実はこのタイプの方が形としては古いのです。何故かと言いますと、大橋の方のは全部縦長でこのタイプなのです。上の方は熱が低いので耐火煉瓦にすることがなく赤煉瓦になっています。 坑道は基本的には露天掘りで、釜石ですと大正2・3年あたりまでで、その後穴になります。露天掘りをし石塔にいれて運んできて、その後に砕き高炉に入れます。 炭で3日ぐらい、温度が上がったところで鉄鉱石を徐々に入れます。たたら製鉄では10分に一回ぐらい、そうすると最後には鉄が流れ出します。できた鉄は冷やしてある程度の形にして日払い所で売ることになります。基本的に連続操業の期間は大体30日ぐらい、長いときでも60日ぐらい。一番二番三番が稼働していたときは、30日やってこっちを補修しこの連続で操業し、一年間最高で250日間、25万貫(約1000トン)ぐらいを生産していたことになります。この1000トンの内、何トンかはお金になっています。 三番高炉は1865年以降にやっています。これを改修したおかげで残っているのですが、仮高炉はもうない。フイゴの位置が上でみたのと逆です。湯出しは同じ方向です。改修に先立ってフイゴの位置を変えたようです。フイゴの位置を改修することは、石組みを全部取り払わなければなりません。取り払ったら同じ位置に作ることはないので、場所を移動している可能性が大きいのです。 |
![]() |
![]() |
---|
中を見てみます。作りはほとんど同じです。湯出しとかフイゴの位置は同じですが、外側がすごくきれいで中の面は汚いです。これは作業面が残部内側になるからです。ここには一個だけ唯一の「チキリ」が残っています。 ※ちきり・・・石が崩れないように石の左右に蝶型の刻みを入れ、ここにチキリと呼ばれる鉄をはめ込んでいる。 この中はすごい水蒸気が貯まりますので、それを出すための気口(気管)になっています。一番二番には無かったのですが、基本的には上の方にあるからです。第三高炉の場合は下の方からあります。これだけが明治27年の最後まで残った高炉ということになります。 |
![]() |
![]() |
---|---|
![]() |
![]() |
二番高炉跡にもあった炉底材で、巨大な鉄の固まりに見えました。 |
![]() |
![]() |
---|
← 前のページに戻る | 次のページへ → |