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       釜石市・橋野高炉跡見学会



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三番高炉・湯出し口側から見た様子。

この画像は、橋野高炉跡にある三番高炉・湯出し口側から見たものです。

10月13日、釜石市橋野地区にある「橋野高炉跡」で橋野高炉跡見学会が行われました。この企画は、釜石市が行っている「橋野高炉跡国指定50周年記念イベント」の一環として行われ、正式な名称は「橋野高炉跡発掘調査現地説明会」と言います。初日の早い時間帯で20名足らずの見学者でしたが、市教委の係の案内で普段は接することの出来ない様子を見学することができました。

このページの説明文は、会場で頂いた見学資料・現場にある説明看板・そして係の方の説明を利用させていただきました。

この橋野高炉ですが、今から50年前の昭和32年に国の指定遺跡になっています。その理由として、今から150年前に釜石の地で日本で初めて近代製鉄が成功し、その高炉が唯一残っているからです。橋野高炉は釜石では二番目の高炉でして、一番目は焼け山で、大体10kmぐらいの山の中にありました。

橋野高炉で一番古いのが仮高炉と呼ばれるところです。仮高炉は改修してしまったので、今から147年前のものが残っていることになり、日本で残っているものとしては一番古いものが残っています。

焼け山の大橋のものは二番目でして、橋野高炉の仮高炉は三番目になります。一番最初のものは鹿児島での試験高炉でしたが、これもまだ見つかっては居ません。大橋のものも事務所の下だと言われていますが、まだ見つかっては居ません。そんなことで一番古いのが橋野高炉ということになります。



遠野市と釜石市・鵜住居を結ぶ県道35号の頂上には笛吹峠があり、昔から沿岸部と内陸部を結ぶ重要な交通路でした。

峠の東側に橋野地区があり、ここを通るときはこの標識を見ながら通ったものでした。

この標識から入りしばらくすると、遺跡の入り口が見えてきます。頂いた資料によると、ここは橋野高炉跡大門となっていました。巨大な花崗岩の上に、「日本最古溶鉱炉記念碑」と書かれてありました。

橋野高炉跡入り口です。
橋野高炉跡遺跡の入り口です。 日本最古溶鉱炉記念碑と書かれてありました。
天皇陛下ご訪問時に作られた休憩所。 以前、天皇陛下が皇太子の頃、橋野高炉跡を見学に来られたことがありました。その時に作られた休憩所です。

奥にあるのは、超法規的建物でして、今の天皇が来られて時に作られたものです。ここは国の史跡ですが、あそこだけは石組みがありまして史跡ではないのです。


安政時代 橋野鐵山図・・・看板から。
現場にあった当時の様子が描かれた絵図で、「安政時代 橋野鐵山図」となっています。右端から一番高炉、二番高炉、鉄鉱石を砕いた場所の種焼き竃・種積場・種砕水車場、高炉の管理等をした事務所の御日払所や従事していた方々の長屋、そして三番高炉が書かれています。


橋野高炉跡大門から道路沿いに上から一番高炉、二番高炉、三番高炉と並んでいます。全体説明を受けた後、私たちは一番高炉に向かいました。

ここは一番高炉跡です。

約5.8m四方の広さで、高さ約2.4mの花崗岩の石組4段と、その上に甘石(丼石・・凝灰岩?)を積み漆喰が塗られている。下には花崗岩の基壇が一段敷かれている。(※頂いた資料から)

仮高炉の次に二番目に作られた高炉になります。仮高炉ですが、大島高任が作ったものですが、この高炉は弟子の田鎖仲が作っています。高炉を造るきっかけは、大砲の弾を作るために銑鉄が必要になりました。その中で、砂鉄製のたたら製鉄では無理だと言うことで、洋式の高炉が入ってきました。反射炉の従業員は皆身分の低い人なのですが(水戸藩)、南部藩は身分の高い人でした。

湯出し口から見た一番高炉。

一番高炉の湯出し口から見る。湯出し口とは、高炉で作られた銑鉄を流し出す部分とのことです。

花崗岩の石組みの中に、タタキ石、甘(丼)石、石灰、耐火煉瓦の順で、高さ7m位の高炉が組まれます。現在残っている花崗岩は、その一番外側の部分になります。

フイゴ座の方向から見た一番高炉。 フイゴ座の方向から見る。

花崗岩のここは、フイゴで風を送るために開けておかなくてはなりません。そのために上の壁が崩れないように鉄の棒を渡しています。

今残っているのは花崗岩の部分だけですが、この中にたたき石と言われる石の壁があり、さらに中に煉瓦のタワーが入っています。

この高さは大体7mぐらいあり、煉瓦を大体千個ぐらい積んでいます。
フイゴ座の基礎石 フイゴ座のあった場所の基礎石

この四角いところに今でも石が埋まっています。これは礎石です。ここに箱が設置されていて、これが風を送る装置になっています。

ここに水車を置いておき、ひっかき棒があり板(木)が上がる。これがポンプのように上がったり下がったりして風を送ります。
石組みの中の様子。 崩れないように鉄の棒を渡した跡でしょうか。
高炉に使用された耐火煉瓦。 ここら辺で落ちた一番高炉の耐火煉瓦です。この煉瓦は基本的には釜石では焼けません。花巻の台温泉、ここの土を使って焼いたものを持ってきたと思われます。
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