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母家の西側に南天の木があり、この場所が記念撮影等の写場になっていたようです。
当時は記念撮影がほとんどであり、正装をして構えて撮影しています。
最長老の女性が65才、中央の男性が41才となっていました。
この画像はキャビネサイズのガラス乾板からプリントしたもので、残っている写真もほとんどが同じような表情です。 |
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秋の日和で、午後の放課後であった。学校の後ろの萱野原。
子ども達の表情がバラバラですが、笑顔が見られるスナップです。 |
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床の間のある部屋での撮影です。今にも笑い出しそうな子どもに惹かれます。
きーっとレンズをにらんでいるような子、目のぱっちりとした子、それぞれが目立ちます。
当時の女の子の髪型が皆同じです。笑顔の可愛い女の子です。 |
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写真には大正3年12月上旬撮影とあります。柏原道路上で撮影、12時頃だったようです。
祖父が勤務していたのは分校であり、中学年の子ども達と本校に来た時に撮影したと思われます。
当時の分校は現在でも残っており、地域の集会場になっています。 |
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腕白わらし達の軍団です。高学年から低学年の子ども達がが一緒に見えています。
高学年は着物と袴でしょうか、低学年は着物だけのようです。
何故か一人だけ、洋服姿の子どもが見えています。 |
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ヒゲを伸ばしたいかめしい男性、私の祖父の若かりし頃の姿です。
大正3年頃だとすると、この時36才位と言うことになります。
中央に皮のバックがありますが、これがカメラバックなのでしょう。
無邪気な女の子の表情が自然です。 |
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男子生徒ならば、用水路でざっこ捕りと言うことになります。
なんか、春の小川はさらさら行くよのメロディーが浮かんできます。
着物の裾をまくり、川遊びなのでしょうか・・。
おきまりの家族写真とは違い、子ども達の遊んでいる様子を撮影する祖父、かなりスナップ写真的要素がが入っているなと思えました。 |
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今スタイルで言えば、二人の記念写真とも言えます。
しかし、目線の方向が何故か交叉しています。
子ども達のアップの写真はありませんので、切り取ってみました。背景のガラス戸の上には、裁縫室と書かれていました。 |
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