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          明治・大正の子ども達

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可愛い表情の女の子達。

2011年3月11日の地震、そして4月の余震により我が家も被害こそ無いものの、積んであった物が崩れて後片付けが大変でした。昔の茅葺きの天井は高く、隙間から年代物のゴミ等が遠慮無く落ちています。地震後立ち入らなかった部屋を片付けをした際に、祖父の保存写真スクラップを取り出してみました。

私もそうでしたが、最初に写真に取り付かれて頃は引き延ばし等は出来なく、全部フィルムからの密着焼きでした。そして、思うように調子が出ないので何枚も試し焼きをします。祖父のスクラップも同様であり、名刺判以下の色の褪せた印画紙がかなり大量にあります。

今回はその中から、笑顔が見られる子ども達の写真を選んでみました。 正確なことは知るよしもありませんが、明治の終わりから大正の初期といいますと、今から98年も前のことになります。今も昔も子ども達の笑顔は未来への希望です。

大震災の被災地でも、不便な学校生活ですが笑顔あふれる子ども達を見るにつけ、子ども達のこれからに幸せと発展を願う気持ちになります。

けっぱれわらし達・・、負けるなわらし達・・、笑顔一杯で困難を乗り越えて欲しいと願います。


まだまだ画像がありますので整理が出来次第ページに掲載し、およそ100年程前の子ども達の表情を紹介していきます。タイトルには明治・大正の子ども達と書きましたが、あまり区別が出来ないのが本音です。



記念撮影の定番スタイル。 母家の西側に南天の木があり、この場所が記念撮影等の写場になっていたようです。

当時は記念撮影がほとんどであり、正装をして構えて撮影しています。

最長老の女性が65才、中央の男性が41才となっていました。

この画像はキャビネサイズのガラス乾板からプリントしたもので、残っている写真もほとんどが同じような表情です。
秋の放課後とのことです。 秋の日和で、午後の放課後であった。学校の後ろの萱野原。

子ども達の表情がバラバラですが、笑顔が見られるスナップです。
笑顔に惹かれる女の子。 床の間のある部屋での撮影です。今にも笑い出しそうな子どもに惹かれます。

きーっとレンズをにらんでいるような子、目のぱっちりとした子、それぞれが目立ちます。

当時の女の子の髪型が皆同じです。笑顔の可愛い女の子です。
97年前の子ども達。 写真には大正3年12月上旬撮影とあります。柏原道路上で撮影、12時頃だったようです。

祖父が勤務していたのは分校であり、中学年の子ども達と本校に来た時に撮影したと思われます。

当時の分校は現在でも残っており、地域の集会場になっています。
腕白わらし達の軍団 腕白わらし達の軍団です。高学年から低学年の子ども達がが一緒に見えています。

高学年は着物と袴でしょうか、低学年は着物だけのようです。

何故か一人だけ、洋服姿の子どもが見えています。
若かりし頃の祖父と子ども達。 ヒゲを伸ばしたいかめしい男性、私の祖父の若かりし頃の姿です。

大正3年頃だとすると、この時36才位と言うことになります。

中央に皮のバックがありますが、これがカメラバックなのでしょう。

無邪気な女の子の表情が自然です。
着物の裾をまくり川遊びする女の子達。 男子生徒ならば、用水路でざっこ捕りと言うことになります。

なんか、春の小川はさらさら行くよのメロディーが浮かんできます。

着物の裾をまくり、川遊びなのでしょうか・・。

おきまりの家族写真とは違い、子ども達の遊んでいる様子を撮影する祖父、かなりスナップ写真的要素がが入っているなと思えました。
二人の記念写真 今スタイルで言えば、二人の記念写真とも言えます。

しかし、目線の方向が何故か交叉しています。

子ども達のアップの写真はありませんので、切り取ってみました。背景のガラス戸の上には、裁縫室と書かれていました。