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明治末期の我が家 この画像は、明治末期から大正初期にかけて撮影された我が家です。中央にあるのが主屋で、右側が馬舎、左側が別棟のはなれです。

ここには写っていませんが、馬舎の隣には厠がありました。大小の違いはありますが、当時の一般的な農家の作りであり、すべて茅葺きでした。主屋と馬舎の前に小さな小屋がありますが、別棟の風呂場になります。

およそ90年後の今、残っているのは主屋とはなれで、屋根が茅葺きからトタンに替わっています。ちなみに主屋の年齢は、110歳ぐらいになっています。

私のカメラに対するのめり込みは、どうやら祖父のDNAを引き継いでいるようです。若い頃、小学校の教員をしていた祖父は、1907年(明治40年)頃にこの道にはまり込んだようです。当時の写真撮影は普通の人が手を出せる分野ではなく、写真館や高級な道楽の部類だったと思います。

祖父が亡くなって40年程になりますが、使い残した印画紙やガラス乾板を見つけ、こっそり遊んだ覚えがあります。その戸棚には、箱に入ったガラス乾板がごっそりとあり、薬品等も残っていました。

ガラス乾板に記録された画像はほとんどが肖像写真であり、当時珍しかった写真撮影が記念写真的内容になるのは当然だったと思われます。およそ400枚の乾板は、キャビネ版、手札版、名刺判の三種類に分けられ、名刺判の乾板には気軽に撮影したらしい当時の風景や生活の様子が記録されています。セピア調に変色し、コントラストの無くなった写真はスキャナーで画像化し、ガラス乾板はデジタルカメラで撮影し画像化しました。


アーカイブスウチノメ屋敷編の内容を変更してみました。今までは祖父の残したガラス乾板(100年ほど前のもの)に限定していましたが、私の撮影した画像も古いものは50年を超えています。当時かなり高価であったリバーサルフィルム画像を何気なく見ていたら、今となると貴重で見ることが絶対に出来ない内容がありました。カビが生じたり色調が変化していますが、当時の様子を想いだしていただけたら幸いです。モノクロフィルムの画像とリバーサル画像を含めて紹介いたします。(※父の撮影した画像も含みます)

◎東北本線を走る列車
  変色したアルバムにあった小さな写真からのスキャナー画像です。拡大したら機関車の番号が何とか読めます。現
  像に失敗した乾板がありましたが、画像化したら何とか分かるので掲載しておきます。

◎人力車
  この画像も変色したアルバムからのスキャナー画像です。今ではほとんど見ることが出来ない人力車ですが、現在
  のようなバスやタクシーが珍しかった当時の人にとって、大切な交通手段だったと思われます。

◎北上川を上る小繰船(おぐり)
  祖父の撮影した写真からの画像です。名刺判より小さめの写真ですが、96年位前の写真でもありセピア調に変色
  しています。スキャナーで取り込み画像化し、画像処理をしてみると細かいところが見えてきました。原画の写真は
  昭和55年に北上市で発刊された「写真帖・きたかみの今昔」に掲載されています。

◎明治・大正の子ども達
  祖父の保存写真スクラップを取り出してみました。私もそうでしたが、最初に写真に取り付かれて頃は引き延ばし等
  は出来なく、全部フィルムからの密着焼きでした。そして、思うように調子が出ないので何枚も試し焼きをします。祖
  父のスクラップも同様であり、名刺判以下の色の褪せた印画紙がかなり大量にありました。今回はその中から、笑
  顔が見られる子ども達の写真を選んでみました。

◎崩落前の玄武洞
  学校現場に勤めるようになった頃、盛岡市太田地区からはそれほど遠くない場所でもあり何回か訪れています。昭
  和36年(1961)頃に訪れて撮影したリバーサルフィルムからの画像を紹介します。使用したフィルムはサクラカラー
  とフジカラーのリバーサルです。


◎東北新幹線・一関トンネル築造工事
  あまり新幹線を利用しない私ですが、用事があると水沢江刺駅から新幹線利用をする時があります。発車してほど
  なくjして一関駅に着きますが、この間は長短数カ所のトンネルを通過します。一関トンネルは束稲山の下を通過し
  ますが、ここを通るたびに昭和48年夏頃にトンネル工事現場に入ったことを思いだします。

  カビが生えかかったり露出不足のリバーサルフィルムでしたが、スキャナーで取りこみ画像処理をしてみました。

◎北上和賀地区・想いでの中学校
  父の残してくれた手作りアルバムに、今は見られない新制中学校開設当時の懐かしい写真があります。昭和二十
  四年から三年間和賀出張所に勤務していた父は、管内の小中学校の指導に携わっていました。
  当時の父は自分用のカメラは持っていませんので、役所のセミ版カメラで撮影しフィルムから密着焼きした手作りア
  ルバムです。以前から気になっていたアルバムでしたが、今回アーカイブスウチノメ屋敷編を作成するため、セミ版
  写真からスキャナーで取りこみ画像化してみました。

◎湯田ダム建設工事メモリアル
  4月29日から三日間、湯田ダム・錦秋湖スプリング放流が実施されました。そんなことで、湯田ダムがかなり身近
  な存在になっていたことは否定出来ませんでした。そして、若い頃に湯田ダム工事現場の様子を撮影していたこと
  を想い出していました。ここでは、1960年と1963年に撮影したフィルムからスキャナーで取り込み画像化したもの
  から、50年以上前の
湯田ダム建設工事メモリアルとして紹介してみたいと思います。