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蘇民祭と言いますと、最初に頭に浮かぶ情景が水沢市黒石寺での裸の祭りでした。カメラを購入し本格的に撮影するようになって半世紀以上経ちますが、蘇民祭という催しは知ってはいても撮影の対象にしていなかった私です。白黒のポスターに見られる裸の男性達が見せる荒技に凄いなあと共感しても、厳寒の雪の中を出かけて撮影することにはなりませんでした。

2005年になりウチノメサイトを立ち上げ、撮影対象の中心が風景や動植物から身近な祭りや郷土芸能、民俗伝統行事に惹かれるようになったのは当然の成り行きでした。2005年2月の江刺市伊手地区・熊野神社蘇民祭をスタートとし、身近な場所の蘇民祭に出かけ撮影を始めたのもこの頃のことです。

蘇民祭に関わる資料を調べようにも適切なガイドブック等が見当たりません。黒石寺蘇民祭に訪れたとき、何気なく入った売店で見つけたのが『岩手・水沢 黒石寺蘇民祭』でした。妙見山・黒石寺の建立の歴史と共に、一千年もの間檀家集により受け継がれてきた伝統行事であることに驚きました。

冊子の裏表紙には「岩手の蘇民祭」の紹介が地図と共に紹介され、現在執行中(実施されている)の蘇民祭が十ヵ所あることも初めて知りました。それから足かけ七年が経過しますが、開催日の情報を確かめつつ自分の都合等に合わせて各地の蘇民祭を訪れました。

蘇民祭は厳冬期の歴史ある伝統行事ですが、思いつきで出かけても気に入った場面の撮影はできませんし、何よりも忍耐力と気力がないと長時間の滞在はできません。私の場合は、蘇民祭の撮影は開始時刻の二時間前には現場に居ることが経験からの鉄則です。

それと共に、どのように蘇民祭の流れが展開されるのかを知ること、現場の様子がどうなっているのか下見の必要性が出てきます。現場の下見はともかくとして、肝心の蘇民祭当日の流れの様子についてはネット検索で他の方の訪問記事が参考になりました。そんな頃ですが、ある雑誌の参考文献の欄に『岩手の蘇民祭』と言う出版物があることを知り早速取り寄せました。

この出版物は編集発行が岩手県教育委員会であり、『岩手の蘇民祭調査報告書』と言うA4サイズの書籍です。平成十四年三月に出版された内容には、現在行われている十ヵ所の蘇民祭はもちろんのこと、すでに廃止されている蘇民祭までまとめてあります。内容詳細については省略しますが、岩手の蘇民祭についての詳細を知る唯一の資料であると言えます。撮影した画像を編集し、現場でメモした人々の様子の記録を参照にして説明記事を書いています。この『岩手の蘇民祭』は参考文献資料として役立っていることを申し添えておきます。


岩手の蘇民祭について・・・

書籍の中で、宮本升平氏(岩手御札研究会)は岩手県の蘇民祭について次のようにまとめておられます。以下抜粋でその概要を紹介いたします。


二つの蘇民祭

蘇民祭争奪戦を巡る人々は、よく「蘇民祭は二つある」と言う。それは蘇民祭が形態的に見ると、二系統あると言うことなのである。本論では、二種類の蘇民祭の特徴を、その差異を論ずることにより明らかにしていきたいと考える。

二種類の蘇民祭とは地域的に言うと、花巻を中心とする旧南部領に分布する蘇民祭と、水沢を中心とする旧伊達領に分布する蘇民祭となる。そのうち旧南部領の蘇民祭を「南部型(南部系)」、旧伊達領の蘇民祭を「伊達型(伊達系)」と、便宜上ここでは呼ぶことにする。

南部系の蘇民祭は花巻市胡四王神社、石鳥谷町五大堂光勝寺、大迫町早池峰神社で行われており、伊達系の蘇民祭は水沢市黒石寺、江刺市伊手熊野神社、大東町興田神社、平泉町毛越寺二十日夜祭で行われている。この二系統の蘇民祭は「裸参り」や「蘇民袋争奪」といった儀礼について共通しているが、その他の形態においては異なった点が多い。それでは、その差異について述べていきたいと思う。

@伊達系の小間木は円筒状であるが、南部系の小間木は正方形の板状である。

A南部型の蘇民袋には「親札」が入っている。

B伊達系の蘇民袋は争奪中、蘇民袋に刃物で切れ目を入れる。

C南部型の蘇民袋は伊達系に比べて小さく、「取り口」の形状も異なる(袋の形状と大きさの差異)。

D伊達系の蘇民祭では鬼子登りを行う。

E伊達系蘇民祭では松明で餅をあぶる。

F南部系の蘇民祭では、決勝点が「一の鳥居」である。

G伊達系の蘇民祭には、柴燈木(火焚き)登りがある。

以上が伊達系と南部系の大きな違いであるが、細かな点ではそれぞれ個々の祭りで、異なっている。しかも旧南部領のすべての蘇民祭でこれらの差異がはっきりとしているという訳ではない。それらのことも考慮した上で、一層の考察が必要であると思われる。さらに、時代の流れと共にその形態も変化しており、情報が氾濫しているためにこれらの差異もなくなってしまうかもしれない。それもまた民俗であると言えるのではないだろうか。

(※この項の説明は、岩手の蘇民祭「二つの蘇民祭」宮本升平氏(岩手御札研究会)より)



念願であった岩手の蘇民祭完全訪問撮影を達成です。2012年(平成24年)1月28日に執行された石鳥谷町光勝寺五大尊蘇民祭最後の蘇民祭でした。一月から三月にかけて、岩手県内十ヵ所で執行されている蘇民祭の姿を夢中で撮影し、厳冬期に開催される男達の裸の祭りを「岩手の蘇民祭」と言うカテゴリーでまとめてみました。

ただし、十ヵ所中四ヵ所はただ一度の訪問でページを作成していますので深まりがないように思えます。いまだに再度行けないで居る理由として、蘇民祭が同じ時期に集中していることや、遠距離になる事等がその主な原因です。その後体調を崩してからは、一切の行事撮影には出かけていません。何より辛いのが、寒さが身にしみて大変だと言うことと、歩くことに自信がなくなっていますので困ったものです。

体調回復を最大の努力目標に挙げて、これからの自分の生き甲斐の追求に努力する気持ちで一杯です。


岩手県内で執行されている十一ヵ所の蘇民祭は、下記のタイトルかサムネイル画像をクリックしてお入り下さい。

※平泉町達谷窟・毘沙門堂で、百数十年ぶりに復活する鬼儺會(おにばらえ)の神事があり追加しました。残念です
  が、当日は雨降りになり撮影を断念しました。次回に期待するところです。


花巻市・胡四王神社蘇民祭 花巻市・胡四王神社蘇民祭

◎2007花巻市・胡四王蘇民祭

◎2008岩手・花巻胡四王神社蘇民祭

◎2011年花巻市・胡四王神社蘇民祭
  平泉町達谷窟・毘沙門堂・鬼儺會
大東町・興田神社蘇民祭 一関市・興田神社蘇民祭

◎2011年一関市・興田神社蘇民祭
平泉町・毛越寺常行堂二十日夜祭 平泉町・毛越寺常行堂二十日夜祭

◎毛越寺・常行堂二十日夜祭り

◎2007毛越寺・常行堂二十日夜祭

◎2012毛越寺・常行堂二十日夜祭
江刺区・熊野神社蘇民祭 江刺区・熊野神社蘇民祭

◎2005江刺市伊手・熊野神社蘇民祭

◎2006江刺市伊手・熊野神社蘇民祭

◎2008奥州市江刺区熊野神社蘇民祭

◎2010奥州市伊手・熊野神社蘇民祭

◎2012奥州市江刺区・熊野神社蘇民祭

◎2017奥州市江刺区・熊野神社蘇民祭
金ヶ崎町永岡蘇民祭での争奪戦。 金ヶ崎町・永岡蘇民祭

◎おらが村の永岡蘇民祭・水かけ祭

◎2011年金ヶ崎町・永岡蘇民祭
水沢区・鎮守府八幡宮加勢蘇民祭 水沢区・鎮守府八幡宮加勢蘇民祭

◎2010奥州市鎮守府八幡宮・加勢蘇民祭

◎2011水沢区・鎮守府八幡宮特殊神事加勢祭
花巻市・光勝寺五大尊蘇民祭での袋出し、争奪戦が始まる。 花巻市・光勝寺五大尊蘇民祭

◎2012花巻市石鳥谷・光勝寺五大尊蘇民祭
水沢区・黒石寺蘇民祭 水沢区・黒石寺蘇民祭

◎岩手水沢黒石寺・蘇民祭


◎2008奥州市黒石寺・蘇民祭

◎2009水沢黒石寺蘇民祭ポスター

◎2009岩手水沢黒石寺・蘇民祭
一関市・長徳寺不動尊蘇民祭 一関市・長徳寺不動尊蘇民祭

◎2010岩手藤沢町長徳寺・不動尊蘇民祭
花巻市・早池峯神社一の鳥居前の争奪戦。 花巻市・早池峯神社蘇民祭

◎2010花巻市・早池峯神社蘇民祭