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       2012毛越寺・常行堂二十日夜祭

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山門を入って来た松明を持つ男達。

一月二十日は、毛越寺常行堂の祭神で霊験あらたかな「摩多羅神」の春祈祷の日にあたります。午後七時頃からJR平泉駅に集合した毛越寺常行講(五ヵ所の地区に分かれている)の皆さんは、午後七時半に行列を組んで常行堂まで行列を組んで進みます。この講は、二十日夜祭の蘇民祭と献膳行列を行う講です。(※岩手の蘇民祭から)

岩手の蘇民祭行事三番目にあたる毛越寺常行堂二十日夜祭は、今回で四回目の訪れになります。2009年にも訪れ駅集合から常行堂までの追いかけ撮影をしていますが、何故かその時撮影した画像はページ作成をしていません。今回訪れるにあたり、その時の様子を分析しながら行列の時間配分と撮影ポイントを決めて参加しております。

例年になく暖かい日になり、いつもの重装備の私には動き回るのに少々大変でした。長靴を履き撮影道具を持っての平泉駅往復はかなり応えるからです。今回は三脚を持たず一脚のみでしたが、夜景の大泉が池や街並みの撮影は難しかったようです。

最初の画像は、献膳行列の後ろから一緒に移動してくる松明を持った男達の様子です。平泉駅から毛越寺までの街道行列では、先頭に位置する松明のみに点火されていますが、山門を入った所で一斉に男達の持つ松明に点火されます。松明の長さは170センチ、太さ12センチあり手に持つ部分に紐、左足股にあたる部分には布が巻かれれています。かなりの重さがありそうです。


一月三日に訪れた初詣の毛越寺です。中尊寺は車が置けないほどの賑わいでしたが、ここ毛越寺はそんなに混んではいませんでした。私としては観光客の多い中尊寺よりは、ゆったりとした気分にひたれる大泉が池や廃寺跡が気に入っています。

真冬の毛越寺を訪れるのは、夜間に行われる二十日夜祭の時を除くと今回が初めてのことになります。白一色になりますが、池は凍っていますので周囲の木立との対比がポイントになります。しかし、曇っていてはどうにもなりませんでした。


毛越寺(もうつうじ)・・・

毛越寺は中尊寺と並び平泉町を代表とする寺院で、国特別史跡と特別名勝に指定されています。「吾妻鏡」によると慈覚大師円仁が開山し、主に藤原氏二代基衡、三代秀衡が再興し伽藍の造営にあたりました。

建物の数は記録によると「四十余宇、禅坊五百余宇」と言われ、中尊寺(四十余宇、禅坊三百余宇)よりも規模がかなり大きかったようです。主な建物は金堂、開山堂、嘉祥寺、講堂、金堂円隆寺、鐘楼、経楼、常行堂、常行堂、法華堂などですが嘉禄2年(1226)と天正元年(1573)、慶長2年(1597)の3度の火災で焼失し、藤原三代が滅亡した事により次第に勢力が衰えていったようです。

毛越寺庭園は平安時代を代表する浄土式庭園と言われ、東西に長い「大泉池」があり南東に出島があります。出島の先端から数m池の中には飛島があり立石が設えられ、これらの風景は荒海を現していると言われています。又、遣水と呼ばれる池に水を取り込む水路があり、平安時代の遺構としては唯一のものです。遣水には玉石を底に敷き詰め、曲線の流れを作ったり、水切り石や水越など「作庭記」で見られる技法が使われています。

(※平泉町観光協会サイトより)

毛越寺山門・・・

向かって右側に拝観券の売り場があり、500円を払って中に入ります。いつもは頭上の提灯は無いのですが、二十日夜祭の準備のために吊されてあります。
毛越寺山門
毛越寺境内 山門から本殿を望む・・・

初詣の日とあって参拝に来られた方々は、手に手に御守りなどを携えていました。右手に居られた家族の方、お神籤を引いて読んでいるところでした。
毛越寺本堂 毛越寺本堂・・・

毛越寺一山十八坊の本坊。本尊薬師如来(平安時代作)脇士日光・月光両菩薩を安置。(※観光資料より)

真冬の大泉が池・・・

本堂横にある南大門跡から湖畔を眺めました。完全に結氷し雪が積もっていますので、いつも見ているのどかな様相の池とは趣が違ってきます。

南大門跡の左側は築山といわれる場所で、東側にある出島と対応の場所に設けられています。海岸の岩山の景観が表現されていると言います。(※観光資料より)
真冬の大泉が池 1
真冬の大泉が池 2 築山の場所から振り返った場所から見た様子、正面の出っ張りが南大門跡であり、その向こうに出島の石組みが見えています。
真冬の大泉が池 3 開山堂前から見た大泉が池で、池の西側になります。湖面は結氷し雪が積もっています。
遣り水 おなじみの遣り水の流れです。六月にはこの畔で、優雅な曲水(ごくすい)の宴が開催されます。右上の場所の建物が常行堂です。
真冬の大泉が池 4

西側の築山に対応して造営された出島石組と池中立石です。

荒磯の趣を表した出島。その先端の飛島に約2.5mの立石を中心とする石組みがあり、庭の景観中最も印象的である。(※観光資料より)

曇っている日でしたのではっきりとは分かりません。



奥まった場所に常行堂があります。この場所の東側にはかつての常行堂の礎石が残っています。

常行堂・・・

この堂は、享保十七年(1732)、仙台藩主伊達吉村公の再建。本尊宝冠の阿弥陀如来、脇士四菩薩、奥殿に摩多羅神をまつる。祭礼は正月二十日で、古式の修法と、法楽として重要無形文化財「延年」の舞いが奉納される。

(※観光資料より)
奥まった場所が常行堂です。
常行堂正面、階段は二十日夜祭のためのもの。 二十日夜祭のために中央に階段が設けられてあります。当日はこの周辺が多くの人で埋め尽くされ、鬼子登りや男衆がこの階段を駆け上ってきます。
常行堂の内部 1 初詣のために、いつもは閉じている周囲の扉が開けられ中の様子がはっきりと見えます。不謹慎とは思いつつ、正面から撮影してみました。

祭壇手前は護摩焚きの場所になります。
常行堂の内部 2 祭壇真横から見た様子になります。
常行堂の内部 3

祭壇前の板間の部分、二十日夜祭の時はこの場所で延年の舞が奉納されます。

常行堂の内部 4 大きな賽銭箱の前に、ちょこんと置かれた鏡餅です。ああお正月の光景だなあと思わされました。
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