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       2011年金ヶ崎町・永岡蘇民祭


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取り主が間もなく決まるところであり、審判長が赤い布をくわえています。

一月から三月にかけて、私の周辺では十ヵ所の神社・寺院で古式の習わしによる蘇民祭が行われます。例年にない豪雪の中、一月末で五ヵ所で蘇民祭が執行されています。蘇民祭にがっちりと惹かれている私は、今までと違う観点から三ヵ所の蘇民祭を訪れ撮影することが出来ました。

北上川を境とするお隣の町金ヶ崎町は、トヨタ系列関東自動車の生産拠点として知られています。R4号に出ますと、完成した乗用車がトレラーで運ばれている様子を目のあたりにすることが出来ます。


永岡蘇民祭・・・

昭和63年、金ヶ崎町は百年に一度という集中豪雨に見舞われた。三日三晩滝のように降り続いた雨は、町内の小河川の全てを氾濫させ、人家、田畑、道路、建造物等に多大の被害を及ぼした。とりわけ町の基幹産業である農業が受けた被害は甚大であった。

この災害から立ち上がるべく、当時の金ヶ崎町農業協同組合青年部永岡支部の役員が、「若者達が沈んでいたのではだめだ、地域に祭りを立てよう」 と、正月にやれる祭りを検討した。災害から「よみがえる民の祭り」として水沢の黒石寺でやっている蘇民祭はどうか。新しい年の初めに支部の会員(盟友)が裸でぶつかり合い連帯を強くし、災害から立ち上がろうと言うことになった。黒石寺の蘇民祭の他に、県内各地で行われている蘇民祭と正月の行事を調べ勉強会を重ねた。

その結果、町内同地区にある熊野神社で蘇民祭が行われていたことが判り、さらに意を強くした。蘇民袋の争奪と、大東町で行われている「水かけ祭り」を組み合わせた形がいいのではないかとなった。観音寺に協力を依頼し、平成元年から始められた。(永岡蘇民祭、通称、おらが村の永岡蘇民祭  ※岩手の蘇民祭より)



昭和50年前後にこの地の中学校に勤務した私であり、金ヶ崎町は色々な想い出のある地域でもあります。千貫石堤の悲しい伝説「おいしの人身御供」、この地をよく訪れて自然景観の移ろいを撮影しています。しかし、残念なことでしたが、HPを立ち上げて「蘇民祭」特集を組むまでは永岡蘇民祭のことは知りませんでした。

私にとって今回は二回目の撮影になります。2008年にも撮影していますが、水かけ祭りが中心であり蘇民祭については撮影しましたが、内容的には触れていません。今回は、1月29日の「炎のまつり」と呼ばれる「功徳山 観音寺」で行われた前夜祭の様子と、翌30日にJA岩手ふるさと元永岡支店前で行われた水かけ祭り・蘇民袋争奪戦の様子をまとめてみました。

タイトルの画像は、蘇民袋争奪戦が終盤に入り取り主が決まる瞬間でもあります。気温も低いので熱気が湯気になり煙が立つ様に見えています。寸前までバケツの水をかけられていますので、蒸発する湯気も多いのです。

内容が多岐になりますので、それぞれの内容毎にサムネール方式でまとめてあります。



松明を手にし参道を登ってくる行列の皆さん、足下の雪明かりが幻想的でした。 前夜祭 炎のまつり・・・

午後6時、JAふるさと・元永岡支店前を出発した行列は、30分ほどかけて「功徳山観音寺」まで歩いてきます。

境内入り口で松明に火が入り、歴代住職の墓参の後、正門参道石段を登り本堂に入ります。ここでは、住職による護摩焚き法要が行われます。
アトラクションで勇壮な演舞を披露したYOSAKOIWAの皆さんと旗振りの男性です。 開会・アトラクション・・・

開会行事の後、永岡幼稚園児によるよさこいが舞われ、その後、メロディージャックスと奥沢きく子さんとのジョイントコンサート、YOSAKOIWAの皆さんの演舞があり、42才歳祝いの男性4名によって餅がつかれます。
裸の男衆の入場です。先頭は中学生です。 水かけ祭・・・

ホラ貝、太鼓、実行委員長が持つ蘇民袋、中学生による福飴や供物、そして、昨年度取り主の持つ蘇民塔、下帯姿の男衆が入場します。今回の参加者は、遠くは北海道・京都から来られた方もあるとのことです。

住職の御祈祷後、水垢離をとった30名ほどの男衆はスクラムを組んで通りに出て行きます。待ちかまえている人達が、バケツに入った水を遠慮無くかける様は壮観です。
観音寺の御札をまく男衆、わき上がる湯気がすごいのです 縁起物まき・・・

蘇民袋争奪戦に先立ち、縁起のものの御札、福飴、餅捲き、御福銭、そして、蘇民袋に入っているコマ木がまかれます。

雪は小降りにはなりましたが、男衆の中から立ち上る湯気と一緒になり少々ピントが甘くなっています。

最後のコマ木がまかれると、男衆の集まりが一気に崩れ蘇民袋争奪戦になります。
取り主が決まる寸前の様子です。 蘇民袋争奪戦・・・


文字通り蘇民袋の争奪戦です。時間にして13分ほどで取り主が決まりますが、後半の荒技として、審判員が同じ姿になり男衆の上に乗り立っている集団をつぶしてしまいます。

その後、審判長が潜り込み、「お前はだめ」と言う形で取り主周辺の男衆を外します。最後に取り主には赤い布を咬ませ、準取り主には木札を咬ませていました。

その後表彰式があり、今年の優勝者が皆さんの前で万歳をします。