金ヶ崎町・永岡蘇民祭・・・
◎名称
永岡蘇民祭、通称、おらが村の永岡蘇民祭。
◎由来伝承
昭和六十三年、金ヶ崎町は百年に一度といわれる集中豪雨に見舞われた。三日三晩滝のように振りそそいだ雨は、
奥羽山脈から流れ出る宿内川、黒沢川、永沢川とこれらに注ぎ込む小河川の全てを氾濫させ、人家、田畑、道路、
橋、建造物に多大な被害を及ぼした。とりわけ町の基幹産業である農業が受けた被害は甚大であった。
この災害から立ち上がるべく、当時の金ヶ崎町農業協同組合青年部永岡支部の役員が、「若者達が沈んでいたので
はだめだ、地域に祭りを立てよう」と、正月にやれる祭りを検討した。災害から「よみがえる民の祭り」として水沢の黒石
寺でやっているような蘇民祭はどうか。新しい年の初めに支部の会員が裸でぶつかり合い連帯を強くし、災害から立ち
上がろうということになった。
黒石寺の蘇民祭の他に、県内各地で行われている蘇民祭と正月の行事を調べ、勉強会を重ねた。その結果、町内永
岡地区にある熊野神社で蘇民祭が行われていたことが判り、さらに意を強くした。蘇民袋の争奪と、大東町大原で行わ
れている「水かけ祭り」を組み合わせた形がいいのではないかとなった。観音寺に協力を依頼し、平成元年から始めら
れた。
◎実施時期
正月第四土曜日(前夜祭)、第四日曜日(本祭)。
◎実施場所
岩手ふるさと農業組合永岡支店広場(永沢上野中地内)。
(※岩手の蘇民祭から)
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