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          2005江刺市伊手・熊野神社蘇民祭


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『蘇民祭』・・語源は蘇民将来という言葉に由来するようです。蘇民将来とは、『備後風土記』の説話に出てくる疫病よけの神様の名前で、貧しいが神に宿を貸し、子孫が疫病を免れることを保証したと言われる。このことが転じて、疫病よけの護符のことを言う。柳の木で作った短い六角柱のものや長方形の紙や板に、蘇民将来の子孫也と記してあるものを疫病よけとして正月に社寺が分け与えた。 (日本語大辞典より)

正月行事である蘇民祭は、昔の人々の疫病などに対する恐れ、無病息災家内安全を祈る人々の願いだと思われます。神社や寺で昔から行われていますが、私の近くでは水沢市にある黒石(こくせき)寺が全国的に有名です。江刺市伊手(いで)地区にある熊野神社では、400年以上前から蘇民祭が行われてきていました。

この画像は、2005年1月に行われた伊手・熊野神社での蘇民祭の様子です。当日は大雪になり、写真撮影が困難になり、一番の山場である蘇民袋争奪戦を見ないで帰ってきたのが悔やまれます。


最初は、蘇民袋争奪戦の前に行われる火たき登りの様子です。直径40センチ、長さ3mの杉の木を井桁状に組み上げた高さ3mを超すやぐら( 歳戸木 )の下に火が入り、猛烈な勢いで燃え始めます。あんどんを持った下帯姿の男衆は、「じゃっそー、じゃっそー」とかけ声高らかに気合いが入ります。猛烈な煙と火の粉が立ちこめる中、迫力満点の光景が展開されます。


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