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    2010奥州市鎮守府八幡宮・加勢蘇民祭


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                 ・加勢蘇民祭

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鎮守府八幡宮に坂上田村麻呂が寄進した弓(台になっている箱には鏑矢、宝剣がある)です。

家から車で15分程離れた北上川沿いの水田地帯に、歴史的にも著名な胆沢城址があります。胆沢城址のほぼ北側の木立の中に鎮守府八幡宮が鎮座しております。

あまりにも近くにある鎮守府八幡宮なので、神社までは一回しか訪れていません。広大な胆沢城址は、初夏の花として話題になるアヤメが沢山植えられており、アヤメを撮影に行ったときに訪れたのみでした。

今まで気がつかなかったことでしたが、鎮守府八幡宮では加勢(かせ)祭として蘇民祭の原点とも言える神事が、2月21日にあることを知り訪れてきました。


鎮守府八幡宮略記・・・
當宮御祭神は国家を鎮護し学問産業を盛んにし災いを除き人の一生を守り給ふ八幡の大神とまをし 誉田別尊 息長帯姫命 市杵島姫命の三神にまします

桓武天皇 延暦二十年(801)に坂上田村麻呂をして東奥鎮撫のとき崇敬勅請せらる宇佐八幡神霊 この地に鎮まり給ひ 鎮守府八幡宮と号して東北開拓経営の守護神となられ給ふ 国家の崇敬厚く嵯峨天皇より宸筆の八幡宮印を賜る

源頼義 義家 奥州藤原氏は共に神威を蒙り報賽するに新領新宝をもってす 文治五年(1189) 源頼朝は殊に欽仰し神事悉く幕府の御願とし陸奥出羽両国の官物をもって諸祭を執行し恒例とす

豊臣秀吉及び伊達氏も亦厚く崇敬し社殿を奉納す 文化年中伊達奥七郡の総寄進をもって現社殿を造営す 明治九年御巡幸のとき 明治天応の御代拝を賜る 朝廷将軍領主庶民の尊崇厚きにより県社に列す
 (※現地にある案内板から)



タイトルの画像は、鎮守府八幡宮に坂上田村麻呂が寄進した弓(台になったいる箱には鏑矢、宝剣がある)です。八幡宮の社宝と言います。加勢祭と言われる蘇民祭(悪魔払いの場面)は神事の中の一場面でもあり、時間にして3分間位の流れでした。

※私の所には一切の事前資料等がありませんので、ネット資料、現地でお借りした案内状、岩手の蘇民祭(岩手県文
  化財愛護協会編)を参考にしております。思い違い等があると思われますがご容赦下さい。



胆沢城址から八幡宮へ・・・

すごく良い天気になり暖かい日になりました。旧R4号の鳥居から入るが大変狭い道路であり、車も一台しか通れない田んぼ道です。

私が訪れた時、駐車場には半分ぐらい車が止まっていたし、結構人の出入りがありました。
旧R4号の鳥居から入る入り口道路。
八幡宮正面鳥居。 鳥居を正面から撮影し境内に入る。今回で二回目になる神社境内ですが、さすが日陰には雪がありました。奥の方から「どーん、どーん」と太鼓の音が聞こえてきます。まだ始まっては居ないはずだが、何の音だろうと思った。

正面に近づいたら、どうやら社殿内でのリハーサルをやっているようでした。
鳥居から境内に入る。何故かここで右に折れますね。昔の城みたいです。 手洗い場(穢れを祓う場所)。
もう一つ鳥居をくぐると正面に神社本殿が見えてきます。 八幡宮の本殿全景。
大きな扁額と正面のガラス戸。悪魔退散儀式はガラス戸を開けるようです。 拝殿前の広場に、若い女性が祭り半纏をもって立っていた。今日の係かなと思い「係の方ですか」とお聞きしたら、仙台から着いたばかりですとのことだった。

神社正面の外にいたら、神官さんが出て来られた。せっかくなので、神官さんにお聞きしてみた。「写真撮影はご自由にどうぞ、祝詞の時に上から写さなければいいですよ・・」と笑っておられた。

「気合い入れはどうするのですか?」とお聞きしたら、「外に向かって正面にいるもの(悪霊や災い諸々)を追い払います。写真を撮られる方は斜めの方向に居るようですね。正面にいると追い払われますので・・」とのこと、思わず納得した私でした。

「どうぞ中に入って見て下さい」と言われ、入り口から神社拝殿に入って見た。祭壇正面に小振りの権現様が置かれ、その後ろには古い弓が置かれてありました。

拝殿左には狩衣姿の武人の二人が待機しています。


神事を待つ武人、世話人の方々。
権現舞でした舞いを演じる小学生。 祭壇前左側には太鼓や鉦の方、右側には小学生の子ども達が衣装を着けて座っています。
首から白い襷を掛け始めたようです。 左側の奥ではホラ貝を吹く練習をしていたのでしょうか、寒いせいか良い調子が出ないで大変そうでした。拝殿後ろには子ども達の母親が座っていたし、正面には白い襷をかけた総代の方が何人か座椅子に座って居られた。


私も右側の方に場所をとりましたが、太鼓の側を見てこれは・・となりました。祭壇に飾られてある宝剣と鏑矢の箱でした。
宝剣と鏑矢の入っていた箱。 奥にある神殿とその前に作られた祭壇です。権現様と宝物の弓が置かれてあります。
宝物の拡大です。この弓が、坂上田村麻呂が寄進した由緒のあるものです。 たまたまでしたが、水沢テレビカメラマンが隣に座っておられた。手に白い紙を持っており、今日の案内状とのことでした。

見せて頂いたら、今日の神事の内容説明や由来、神歌が書かれてあります。本物を欲しかったがそれは無理なので、お願いして案内書を撮影させていただいた。

水沢テレビの方から、神主から教えられたが「祝詞が始まったらすぐなので外に出ていた方が良いよ・・」との事でした。

この画像は、普段は見ることが出来ない弓と箱に収められた宝剣と鏑矢とのことでした。


2月21日 特殊神事 加勢祭(そみん祭)のご案内

平成二十二年二月二十一日(旧暦正月八日)
午前十時 八幡宮神前にて執り行います。

神歌 「八幡の斎垣の内に弓張りて 向かふ矢先に悪魔来たらず」
    「八幡の斎垣の内の八重桜 花が散るとも氏子もらさず」
      この神歌は八幡大神さまが氏子崇敬者御守護御願いの歌です

今を遡ること千二百年余前、当宮の別当慈覚大師が氏子万民の平安を祈り八幡宮の御前において【そみん祭】を始めてより、一年も休むことなく行われてまいりました。

当日参列者は慈覚大師が御下賜そみん像、嵯峨天皇宸筆の八幡宮寶印、田村麻呂将軍奉納の御剣御弓矢を捧げ鬨の声をあげ、悪霊を退散させ八幡大神さまの御神霊を我が家へ、我が身体へ受け入れ『天下泰平、風雨順時、家内安全、家業繁栄、身体堅固、願望達成、五穀豊穣、郷土発展、諸災消滅』など、参列者一人一人が赤誠をこめ神前にこの一年の平安を祈る神事で、他のそみん祭とは形を異にし全国でも他に例を見ない当宮のみ一社にて斎行される特別な神事です。

本年も八幡権現舞保存会により小学生らの権現舞が神前に奉納されます。祭典終了後、皆様にはそみん像、嵯峨天皇宸筆八幡宮寶印が授与されます。皆様方のご参列を賜りますようご案内申し上げます。
 ※会場で見せられた案内状から・・・


10:05頃神事・・・


特殊神事『加勢祭(そみん祭)』とは、八幡宮の神前で氏子万民の平安を願う一時間ほどの神事です。資料によりますと、1200年ほど前から一年も休むことなく行われていると言います。そして、武人が宝剣と弓矢を構え神主の「鬨(とき)の声」に併せて、天下太平・五穀豊穣、家内安全・諸災消除等の祈願を真心をもって神前に祈ります。

案内文にもありますが、他地区で行われる蘇民祭とは違っており他に例を見ない特別な神事と言えます。別の見方をするならば、蘇民祭の原点とも言えますし、全員が参加する静かな蘇民祭とも言えそうです。

ここでは神事の流れに沿って、降神の儀、お祓い、祝詞奏上、悪魔退散(そみん祭)、権現舞、昇神の儀に分けて構成しております。

神事 1・・・進行役の世話人との打ち合わせ。 始まる前に進行役の世話人と打ち合わせをする神主、その隣は息子さんでしょうか若い神官でした。

10:05神事が始まった。若い神官が右にある大太鼓を打ち鳴らし開会を告げる。進行役の方がおり、次第を読み上げていました。

若い神官が右手にしゃくを持ち、祭壇右側に座り降神の儀を行っています。進行係からは「御低頭下さい」と指示がありました。
神事 2・・・若い神官がしゃくを右手に持ち祭壇に向かいます。 神事 3・・・降神の儀で全員が頭を下げる。
神事 4・・・祭壇をお祓いする。 神前を祓い、神主、権現舞の皆さん、そして世話人や総代、一般参加の順序にお祓いを受けます。
神事 5・・・神主をお祓いする。 神事 6・・・世話人、氏子代表をお祓いする。
神事 7・・・神主が祝詞を奏上します。 10:16祝詞奏上が始まったので、撮影するために数名の方とこの場を離れて外に出ました。

祝詞奏上では、今日の加勢祭のために参加した方の名前と家族数も奉読されると言います。慌てて外に移動していましたので詳細は分かりません。

悪魔退散、氏子もらさず・・・

名称    加勢蘇民祭 加勢祭 蘇民祭 勢子祭
実施時期 旧暦 1月8日 10時〜12時

由来伝承・・・850年(嘉祥3年)、鎮守府に来た慈覚大師は、管内が疫を患い、民庶死に尽くすと言われるほどの病災に悩んでいることを知り、八幡宮心経会に、大師所持の疫病除けの護符(今これを「そみんぼう・又はカラス」という)を捧げ、庶民の苦患を八幡大神に祈りました。

この「そみんぼう」の由来は、大師が嘗って大病を患いしとき、夢に天より薬を送らる。形、マクワウリの如くして、それを喰うとその味密のごとく甘味であった。「是は三十三天不死の妙薬なり」と、「飲むこと三度、十日ほどして身健に、眼明らかに、心にわだかまるものなく、病患を絶つことを得た。」 三代実録より

このマクワ瓜の形に葉と花をそえて薬神の像として版刻し、正月七日夜おこもりして白紙に押し、八日早暁に国家安穏、悪魔退散、諸病消除の祈祷をして氏子の戸口に貼る。この門には疫病、災害が入らないという。

のちにこの薬神を八坂神社の牛頭天王とし、スサノオノカミとし、蘇民将来の故事によって「そみんぼう」と言うようになった。現在行われている「蘇民祭」はこれである。 ※岩手県文化財愛護協会編 岩手の蘇民祭より


本殿前のだガラス戸が半分ずつ開けられ、じーっと外を見て待機する中、神官が幣束を振り回して「天下泰平、国家安穏・・・」と口上を述べ、神歌を二回唱え、「いやーっ」の合図と共に全員が「鬨の声」を上げます。

同じ口上が再度述べられ、二つ目の神歌の後同様に「鬨の声」があげられる。レコーダーで記録したが、思うようには再生できなかったが概ね次のように聞こえた。「天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、交通安全、家内安全、郷土発展、火災盗難、・・・」、さきわいたまえ・・・

諸々の災難は・・・  
「八幡の斎垣の内に弓張りて 向かふ矢先に悪魔来たらず」
「八幡の斎垣の内に弓張りて 向かふ矢先に悪魔来たらず」
「いやーっ」。このとき参加者全員が手ばたきをし、足踏みをする。太鼓や笛、鉦の音も聞こえていた。神官の側に立つ武人姿の方も同様に足踏みをし、剱や弓を前方に突き出していた。

同じ口上が述べられ、諸々の災難はの次に、二番目の神歌を唱え
「八幡の斎垣の内の八重桜 花が散るとも氏子もらさず」
「八幡の斎垣の内の八重桜 花が散るとも氏子もらさず」
「いやーっ」・・・

時間にして三分位でしょうか、夢中になって撮影していました。何回か訪れて様子を知っていないとうまく撮影できないようでした。

悪魔退散儀式 1・・・外に出て正面を祓います。 10:26ガラス戸が開けられ、神主が外に出て正面をお祓いをします。その後、開けたガラス戸の内側に立って祝詞のような口上が述べられます。神官の右側には宝剣を手にした武人姿の方、右側には弓と鏑矢を手にした武人が並んでいます。

本殿前両側のだガラス戸が半分ずつ開けられ、じーっと外を見て待機する中、神主が幣束を振り回して「天下泰平、国家安穏・・・」と口上を述べ、神歌を二回唱えます。その後、「いやーっ」の合図と共に全員が「鬨の声」を上げます。

「いやーっ」の合図のあと、全員で足踏みや手ばたき、太鼓・鉦・笛・ホラ貝がならされます。
悪魔退散儀式 2・・・神主はここで口上を述べています。 悪魔退散儀式 3・・・緊張した表情で聞いています。
悪魔退散儀式 4・・・宝剣をもつ武人、緊張の一瞬です。 両手で宝剣をしっかりと携え、緊張した表情で合図を待つ武人姿の方です。

諸々の災難は・・・「八幡の斎垣の内に弓張りて 向かふ矢先に悪魔来たらず」「八幡の斎垣の内に弓張りて 向かふ矢先に悪魔来たらず」「いやーっ」・・。

このとき参加者全員が手ばたきをし、足踏みをする。太鼓や笛、鉦の音も聞こえていた。神官の側に立つ武人姿の方も同様に足踏みをし、剱や弓を前方に突き出していました。
悪魔退散儀式 5・・・「いやーっ」の合図で皆さんからわーっと言う鬨の声が上がります。 悪魔退散儀式 6・・・宝剣の根元が見えています。
悪魔退散儀式 7・・・ガラス越しの弓と鏑矢は分かりませんが。 同じ口上が述べられ、諸々の災難はの次に、二番目の神歌を唱え、「八幡の斎垣の内の八重桜 花が散るとも氏子もらさず」「八幡の斎垣の内の八重桜 花が散るとも氏子もらさず」「いやーっ」・・・。

この画像はかなり焦点が合ってませんが、ガラス越しの弓と鏑矢を持つ武人をねらったものです。しかし、その景色の反射があり内側の様子はほとんど分かりません。かろうじて弓を持つ手の指先がわかりますが・・。

3分位で終わった悪魔退散儀式です。その後は元の位置に座り権現舞の奉納が始まります。
悪魔退散儀式 8・・・足踏みや手ばたきをして気勢を上げています。 悪魔退散儀式 9・・・3分間の儀式が終わり、もとの緊張した表情になり戻ります。
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