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     2008奥州市江刺区熊野神社蘇民祭


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火のついた歳戸木上で気勢を上げる厄年連の男衆。
奥州市江刺区伊手地区で、厳寒時の1月19日に行われた熊野神社蘇民祭です。今年で174回目と言いますが、かなり以前から地元の人々によって家内安全、悪魔退散、病気平癒、そして五穀豊穣を願って行われてきたと言います。

私は今回で3回目の撮影になりますので、今までとは趣向を変えて火たき登りと清めの儀式、そして蘇民袋争奪戦を中心に特集してみました。暖冬の昨年とは違いマイナス6度の雪の中でしたが、42歳の厄年の男衆を中心に盛り上がった蘇民祭になりました。

画像は、火が入れられ激しく燃える歳戸木の上で、角灯を手にした男衆が「ジャッソー、ジョヤサー」と気勢を上げる様子を息子のブラカメが撮影したものです。最初は数多くの男衆が登っていますが、火勢が強くなるとどんどん降りてきます。最後まで残った方は勇者でしょうが、反面、火の勢いにあおられて火傷する危険が伴います。


奥州市江刺区伊手地区は、北上山地の麓に広がる純農村地区です。かつては銅採掘の赤金鉱山があり、町並み全体が景気のよい時代もありましたが、鉱山の閉山と共に当時の活気が薄れ過疎化が進んでいる地区でもあります。

伊手地区の東側は宮沢賢治の愛した種山が原、そして南側には阿原山が広がり風光明媚な地区でもあります。
天候が良かったので、前日に下見を兼ねて熊野神社を訪れました。江刺区の中心地岩谷堂からR397号線を進むと、江刺伊手熊野神社「岩手の火祭り 蘇民祭」の看板が見えてきました。

ここから少し行ったところで、阿原山に進む方向に右折します。この道路を直進すると、種山を通り住田町、大船渡市、陸前高田市に行くことが出来、年間を通してよく通る道路になっています。
道路からの参道入り口と鳥居。 R397号線の南側、阿原山入り口付近の小高いところに熊野神社があります。正面に参道と鳥居が見えていますが、前日ですが人の通った形跡がありません。

私はここから鳥居をくぐり参道を登ってみました。程なくして石段の上に神社の本殿が見えてきます。入り口の右側には鐘つき堂がありました。

本殿はかなり古い建物ですが、掛かっていた扁額がすごく立派なのです。
正面から見た熊野神社。 立派な熊野神社扁額。
黒いものは歴代の男衆がたたきつけた清めの炭の痕。 祭壇前の格子戸です。すごく頑丈な作りですが、蘇民袋争奪戦の時は男衆がこれに掴まって登り、気勢を上げる場所になります。

黒く見える部分は、清めの燃えさし棒で叩いた後の炭になります。今まで何回叩いたものでしょうか、歴史が染み込んだ痕と言えます。

お堂の中には、明日使うカツの木で作った清めの棒や松明、火たきの豆殻等々が置かれ明日の出番を待っています。
本殿内部に置かれた儀式に使う用具。 カツの木で作られた払い棒。
重さ6トンの歳戸木。 これが火たき登りに使う歳戸木です。3m四方ほどの杉の木を組んだものですが、重さが6トンほどあり岩手県下でも最大規模のものと言います。

蘇民祭当日の解説にありましたが、本来は「雷木(らいぼく)」と言って雷が落ちて焼けた木が一番良いのだと言いますが、なかなかそのような木は見つからないとのことでした。


大勢の人が出て賑やかになる前に、境内のあちこちをのぞいて見ました。時刻の経過がありますが、誰も居ないところで撮影したものです。

社務所本部前に立つ進行係と役員の皆さん。 18:50頃・・・

普段は無人の社務所です。今日はここが蘇民祭事務所にjなっていて、お札の販売や、蘇民袋争奪戦の参加を受け付けていました。
奉仕活動を終えた子ども達、ご苦労様です。 18:50頃・・・

子ども達が集まってお話を聞いています。ちょうど清掃活動が終了したところで、リーダーの方が「明日も奉仕活動で境内のゴミを拾います・・」、と言っていました。

地域の小学校子ども会の皆さんでしょうが、自分達で神社境内をきれいにして、お客様を迎えようという奉仕活動だと思われます。思わずご苦労さんと頭が下がりました。
経大入り口と大きな角灯。 20:10頃・・・

参道を登った境内入り口です。自然光線のみで撮影したものです。蘇民祭の幟と「五穀豊穣」「無病息災」と記された大きな角灯が目立っていました。間もなくここは、多くの人で賑わう所です。
祭壇の様子、何故か三宝に蘇民袋がありました。 20:15頃・・

ひっそりとした本殿の祭壇です。三宝の上をよく見たら、どっしりと蘇民袋が乗っていました。いつもならば、別当登りでがっちりと男衆に守られて運ばれるはずですが、今年は四角登りの時に運ばれたものでしょうか・・。

歳戸木の上に飾られる大きな松明や豆殻、奉納された御神酒の樽がありました。
男衆の登る格子戸。 静かに出番を待つ本殿内の格子戸です。
出番を待つ本殿内の広間、ここで蘇民袋争奪戦が始まります。 本殿東口です。ここから火のついた清めの棒を持った男衆が入り、床や壁を叩いて清めの儀式が行われます。正面の格子戸が跳ね上げられています。


21:30頃・・・

別当登りが始まりました。前厄が先頭で後厄が後ろに続きます。雪の参道をカツの木で叩いて清めながら進んで来ます。山門の鐘が鳴り、清めの男衆を先頭に御神楽と共に登ってくる。「思い切り叩け・・」の合図で叩いたのは良いが、勢い余って側にごろんと落ちたものがあった。何だろうと見たら、鐘を叩く槌の部分であり、これには驚いた。間違って身体に当たったら御利益どころか災難である。幸い何事もなく笑いですんだが、怖い一場面であった。

境内入り口で持ってきた二本の松明に、祭壇から運んだ火がつけられる。松明はそのまま本堂正面から入り、東口に抜け歳戸木に点火される。火がつく前から木の上には男衆が登っており、煙と共に雰囲気が一変する。
別当登り 1・・・歳戸木に掲げられる大きな松明が見えています。 別当登り 2 別当登り 3・・・松明二本が組まれる
別当登り 4・・・点火されます。 別当登り 5・・・点火された松明は本堂に運ばれます。 別当登り 6・・・山伏姿でホラ貝を吹く方。
別当登り 7 別当登り 8・・・御神楽の太鼓が運ばれます。 別当登り 9・・・赤はちまきの厄年男衆。
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