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      東北新幹線・一関トンネル築造工事

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二段に掘削された一関トンネル本坑工事現場、下には水が溜まっています。

東北新幹線・一関トンネル・・・

あまり新幹線を利用しない私ですが、東京都内への用事があると水沢江刺駅から新幹線利用をする時があります。発車してほどなくして一関駅に着きますが、この間は長短数カ所のトンネルを通過します。長いトンネルでは黒石トンネル(2013m)・一関トンネル(9730m)があります。一関トンネルは束稲山の下を通過しますが、ここを通るたびに昭和48年夏頃にトンネル工事現場に入ったことを思いだします。

胆沢地区中学校に勤務し理科担当でもあったことから、夏休みの職員研修で東北新幹線トンネル工事現場を見学する機会に恵まれました。今考えると、部外者が掘削先端部まで行けるのは珍しいことだと思います。

画像を見ながら黒石トンネルか一関トンネルか迷いましたが、前沢町生母地区から工事現場に入りましたので間違いなく一関トンネルだと判断しました。参加した理科サークルのメンバーは十五人位でしたが、その中に
女性教師が居られました。しかし、案内の方から女性の方は中には入られないのでと言われ入られなかったことを思いだしています。昔からトンネル工事現場には「女人禁制」のしきたりがあり、今でも続いているのかなと思わされました。

私にとってはめったにない機会なので、リバーサルフィルム(フジカラー)とストロボを使用し一眼レフで撮影です。40年ほど前のことでもあり、はっきりとしたことは定かでありません。カビの生えているスライドをスキャナーで画像化し、じっくりと見ながら想いを馳せますとおぼろげながらにその時の様子が浮かんできます。


説明記事を書くため、一関トンネルのことやトンネル工法についてネットで調べてみました。

意外にも大半のトンネルは在来工法です。山陽新幹線、東北・上越新幹線が着工された昭和40年代は、日本はシールド工法でも世界トップレベルの技術力を持っていましたが、シールド工法は工費が非常に高く、国鉄の財政事情から在来工法が採られました。

但し在来工法とは言っても当時世界最高の技術の掘削機が用いられています。しかしながら一部トンネルについては出水事故で工期が遅れました。それ以降の長野・九州新幹線では上記の反省からNATMとなっています。

また、新幹線に限らず、多くの山岳トンネルは在来工法で作られたトンネルでも断面は円に近い形です。地圧に耐えるにはこの形状しか無いからです。在来工法のトンネルも天井部分の断面は真円です。横壁は円弧で、下底は平面です。                                          (※ネット資料・・教えてコーナーより)



矢板工法(在来工法)・・・

掘削した壁面に矢板という木板(主に松が使用され「松矢板」と呼ばれた)や鉄板(「鋼矢板」と呼ばれる)をあてがい、支保工という支柱で支え、その内側をコンクリートなどで固める「巻き立て」によって仕上げる。日本では1980年代の東北新幹線・上越新幹線建設までこの方法が取られていた。


本坑と先進坑・・・

トンネル掘削の際、本坑と呼ばれる主となるトンネルに並行して、先進坑(先進導坑)と呼ばれる断面積の小さいトンネルを掘削することがある。先進坑は本坑に先行して掘削を行い、工事中は本坑を掘削する際の地質把握や水抜きとして、開通後は緊急時の避難ルート(避難坑)や保守通路として、それぞれ役割を持つ。

在来工法では文字通り「先進」として小断面にて導坑を掘り、それを切り広げて本坑を掘削する。支保を行いながらの掘削で1本(底設導坑:下半部の真中)或いは2本(側壁導坑:下半部の両壁)の導坑をまず掘削し、その後トンネルの上半部を掘削、導坑の支保を取り除きながらの下半部の掘削となる。   (※ウイキペディアより)



工事現場入り口付近・・・

今となると、入り口がどうなっていたのか記憶がありません。全員がヘルメットをお借りし、狭い場所から工事現場に入りました。
現場入り口付近 1

入った所で見た標識、左側に本坑下口(盛岡方)、右側に本坑上口(東京方)と書かれています。

私達はここから右側の東京方に進みました。

どのように移動したのか忘れましたが、歩いた場所と移動用のトロッコに乗った記憶があります。

現場入り口付近 2 何とキノコが生えています。光合成には関係ありませんので、暗い所でもキノコが生長します。

と言うことは、この柱は木材と言うことになります。
現場入り口付近 3 排水ポンプが置かれています。

奥の方には立ち入り禁止の札があり、奥村組と書かれていました。

この中は変電設備と書かれています。
現場入り口付近 4 右端の白い部分、私達が被っているヘルメットになります。

工事現場の方のヘルメットは黄色であり、広いつばがありました。

トンネル本坑・・・

今となると記憶が定かではありませんが、トンネル掘削工事は二段構えになっていました。最初に上の方(天井部分)が掘られ、その下にずり運搬用のトンネルが掘られていました。下のトンネル地面にはかなり水が溜まっていますが、運搬用トロッコの軌道が敷かれています。

上のトンネル基礎岩盤には所々に大きな穴があり、その穴から切り出した「ずり」岩石を落としてトロッコに積んでいました。画像を見ながら当時を思いだしていますが、我ながらよく撮影できたなあと驚いています。はっきり覚えていることは、トンネル内部は粉塵が飛び交いストロボの光が届かなかったことです。

※ずり・・・
  鉱山や土木工事などで掘り出された土砂や岩石のかけら。

トンネル本坑 1 トンネル内部の様子になります。二段に掘られているのが分かります。

天井部分には送風管があり、湾曲した鉄骨に吊されて奥の方へと繋がっています。

トロッコ通路の両側には切り立った岩盤があり、その奥には崩されていないトンネル部分が見えています。
トンネル本坑 2 接近して撮影したはずですが、詳しいことが思い出せません。

奥に連なる送風管、電源ケーブルが見えています。

トンネル下は水浸しで、照明の光が反射して輝いています。
トンネル本坑 3 取り壊されている部分であり、木材や「ずり」が転がっています。

画面あちこちにカビがあり、その部分が紫色になっています。

何となく両側の岩盤が緑っぽく見えますが、この地帯の岩石は蛇紋岩ですから納得です。
トンネル本坑 4 トンネル工事天井部分になりますが、この場所にどのように移動したか思い出せません。

膨らんだ送風管、天井に張り付けられた鉄骨が分かります。
トンネル本坑 5 鉄骨で支えられた天井部分、足元の「ずり」の側には作業中の方が三名見えています。

粉塵が多く重労働だなあと思いました。
トンネル本坑 6 どの場所かはっきりしません。

天井を支える鉄骨ではなく、天井部分の加工かなと思います。

ずり運搬トロッコ・・・

間近で見たトロッコが撮影されていました。何輛か繋がっていますが、けん引する動力車が見えません。先端にワイヤーが見えていますので、外から引っ張るケーブルカーなのかも知れません。
ずり運搬トロッコ 1 鉄骨と板(矢板?)で囲われた掘削岩盤、「ずり」が散らばっています。

奥の方に作業中の方が居られます。
ずり運搬トロッコ 2 八輛ほどのトロッコが確認できます。
ずり運搬トロッコ 3 トロッコの側に重機が入り作業中でした。
ずり運搬トロッコ 4 トロッコに積まれ運ばれる大量の「ずり」。
ずり運搬トロッコ 5 トロッコ先端にワイヤーが見えています。

トロッコの構造をじっくり見ると、向かって右側にバケットが傾き「ずり」を降ろす構造だと思われます。

切り羽・・・

掘削現場の最先端を切り羽(きりは)と言います。トンネル掘削工事は両側から同時進行するのが一般的ですが、地形によっては途中から本坑に入ることもあります。私達は工事現場入り口から右側(東京方)に入りましたが、実際には何カ所かの入り口があったと思われます。したがって、今となるとトンネル内をどの位の距離を移動したのか定かでありません。

僅かに残る記憶によると、行き止まりの掘削現場(切り羽)は薄暗くもの凄い粉塵が舞っていました。かろうじてストロボの光が届き撮影できていましたが、もしかすると切り羽では無いかもしれません。大型掘削機械の様子から判断しました。
切り羽現場 1 切り羽近くの現場であったと思います。四名の方が作業中でした。

現場はそれほど明るくないのですが、ヘルメットには照明のライトが付いていません。
切り羽現場 2 大型削岩機だと思われます。台車に削岩機が乗せられ、何本ものエアホースが見えています。

この時は作業中ではなかったと思いますが、今となると間近で撮影できたのは本当に珍しいことだと思いました。
切り羽現場 3 記憶に残る切り羽の様子です。

画像には作業中の方が見えませんが、粉塵が舞う中での厳しい作業現場であった記憶が残っています。
トンネルと迷信・言い伝え・・・

日本では「山の中に女が入ると、女神である山の神の嫉妬に遭い事故が起こる」という迷信が長らく信じられてきた。そのためトンネルや坑道などへの立ち入りは長らく女人禁制であった。また、実際トンネル工事は危険が伴うこともあり、労働基準法第64条の2項において女性のトンネル建設への従事など坑内労働を禁じている。

この規定は男女雇用機会均等法などの流れの中でも見直されないままであったが、2005年になってようやく国によるこの規制の見直しについての検討が始まった。しかし、安全性や縁起を重んじる工事現場からの反発も予想される。

                                                          (※ネット資料から)


東北新幹線一関トンネルは、昭和48年(1973)12月に貫通しました。その後、大宮・盛岡間が昭和57年(1982)6月23日に暫定開業しています。当時の新聞記事に盛岡初の一番列車の様子の記事があり、岩手から首都圏までの時間が大幅に短縮しました。岩手山をバックに、発車する新幹線の写真を今でも覚えています。

昨年(2012.12.2)のことになりますが、中央自動車道笹子トンネルの悲惨な事故が報道され、改めて高度成長時代に建設されたトンネルや道路の安全性(耐用年数も含め)が大きな社会問題になっています。人工的な建造物には必ず耐用年数があり、今後の安全点検が不可欠です。

悲惨なトンネル事故を知り、東北新幹線一関トンネル掘削現場を見学したことを思い出し画像化しました。最初にもふれましたが、なにせ四十年ほど前のことですし文章による記録等も一切残っていません。カビが生えかかったり露出不足のリバーサルフィルムでしたが、スキャナーで取りこみ画像処理をしてみました。

説明文等もおぼろげな記憶だけですから正確ではないと思われます。しかし、今では見ることが出来ない当時の貴重な記録でもあります。四十年後の今、改めて見学できたことに感謝するとともに、何気なく通過するトンネル工事の一端を知っていたければ幸いです。

撮影:1973年8月、使用カメラはアサヒペンタックス、フジカラーリバーサル。
                                                           2013.01.02 作成