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           崩落前の玄武洞

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玄武洞・・・

私が玄武洞を知ったのは昭和30年代初めの学生時代のことです。岩手山登山口の一つでもある網張り温泉口から西に少し入った場所にありました。学校現場に勤めるようになった頃、盛岡市太田地区からはそれほど遠くない場所でもあり何回か訪れています。

玄武洞という名前は、洞穴と言うよりも玄武岩柱状節理の基部が崩れ落ち、渓流に凹んだ部分が生じ洞窟のように見えていたことから命名されたものです。

2012年10月末頃、テレビ報道された葛根田渓流の紅葉に誘われしばらくぶりに訪れた玄武洞でした。平成11年6月の地震で完全に崩落し、記憶にある玄武洞の面影はなくなっていました。現場には金網の高いフェンスが設置され、道路から河原に立ち入りことが出来なくなっています。

崩落前の玄武洞と比較するため、50年前に撮影したカラースライドを探したらその様子がはっきりと見られました。凹んだ部分の奥行きと高さは不明ですが、頭上に張り出し威圧感を与える窪みであったと思いだしています。

ここでは、昭和36年(1961)頃に訪れて撮影したリバーサルフィルムからの画像を紹介します。使用したフィルムはサクラカラーとフジカラーのリバーサルです。使用しての感じですが、サクラカラーは赤色が強くフジカラーは青色が強く発色したことが記憶にあります。モノクロ自家現像でプリントしていた私ですが、リバーサルフィルムは高価(36枚撮りで1000円ほど)であり、現像も東京まで郵送していました。

使用カメラはアサヒペンタックスSV、レンズは35ミリワイドレンズでした。フレームには、シャッター1/8絞りf11とメモされています。どちらのフィルムもASA50であり、感度としては低いものでした。


フィルムには撮影日の記入がありませんので、周囲の草木から判断すると夏頃であったのかなあと思います。適正露出でなかったこともあり、画面が暗かったり色調も正確ではないのですが、モノクロフィルム専用の私の目には鮮やかに映った覚えがあります。画像化はフィルムスキャナーで取りこみ、色調補正をしています。

崩落前の玄武洞 1 道路側の河原から見た様子です。

入り口に見える窪み右側には、六角柱の玄武岩柱状節理が垂直に伸びています。
崩落前の玄武洞 2 同じ場所からの横位置画像になります。

窪み左下見えている赤いものは、フィルムに生じたカビです。
崩落前の玄武洞 3。。。見事な柱状節理です。 対岸に渡り、柱状節理の真下から見上げた様子で、窪み右側になります。

規則的な六角形の岩石の柱(節理)、天井基部からもぎ取られて落ちた跡がはっきりします。

崩落前の玄武洞 4・・・窪みから渓流を見る。 窪みの中に入り河原を見た様子。

水量が多くないので、石を伝って対岸まで行けました。

川底の石は流れで削られ丸くなったいます。木の生えている側に、上流に向かう道路があります。
崩落前の玄武洞 5・・・窪み天井部分。

窪みの天井部分の撮影です。記録では露出が2秒、絞りがf11となっていました。

天井までの高さは不明ですが、かつてはこの部分にも玄武岩の柱状節理があったはずです。

基部壁面には小規模ですが柱状節理が見られますし、崩れ落ちた節理の破片が転がっています。

画像を見ながら当時に想いを馳せますが、今となると定かではありません。