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    釜石市・貨物船海に戻る(ダイジェスト版)


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7月17日に撮影した貨物船です

打ち上げられた貨物船・・・

3月11日に発生した未曾有の大津波とそれによる原発事故、あれから7カ月を過ぎましたが現地の復旧は依然として進んでいません。岩手県沿岸の方々にとって、大津波による住居の壊滅、沿岸部の生活の基盤になる漁業が壊滅状態になっていることは論を待ちません。

全国各地からの支援と励ましにより日に日に復旧してきているとは言え、以前の生活を取り戻すのは何時になるのか不安要素があまりにもあり過ぎる現状です。いつも書いていますが、国の復興方針と言いますか目に見える具体的な動きが不可欠だと思います。

打ち上げられた貨物船については何回か記事にしましたが、釜石市港町岸壁に打ち上げられた大型貨物船の撤去作業が10月20日未明から行われました。本来は18日の予定であったのですが、天候等の条件が悪く20日に延期されていました。海に戻す作業を見て撮影したいなと思いましたが、作業等の予定が一切分かりません。そんなこともあり、家を出たのが5:40頃でした。

現場に着いたのは7:30頃でしたが、取材の方々や私と同じ目的の方、地元の方々等々かなりの人出がありました。引き上げる頃になると、上空には取材の飛行機やヘリが飛来し賑わっていました。


ここではダイジェスト版として、7:30〜10:00頃までの作業の様子をダイジェスト版として紹介いたします。詳細の記事については後日になりますがまとめる予定です。画像の配列は、引き上げの準備、引き上げ、方向転換、着水、接岸の内容でまとめてあります。

トップの画像は、7月17日に開催された釜石夏まつりに訪れたときに撮影したものです。なお、つり上げに使用されたクレーン船は、寄神建設株式会社所属の4000トン吊『洋翔』が使用されました。

※船腹に刻まれた喫水レベルの高さから換算すると、全長100m位はありそうです。資料等によるとパナマ船籍の貨
  物船は自重2,300トン積載量4,724トンであり、被災時にはフィリピン乗組員が17名乗っており全員無事に救
  助されたと言います。


7:48 引き上げ準備・・・

大型のクレーン船を見たのは初めてですが、作業現場に着いたときは船を吊すワイヤー(両側に16本、合計32本)がたるんでいましたが、車から降りた時はピーンと張っていました。慌ててカメラを持って近くまで寄ってみました。

作業現場はタグボートのエンジン音が響き、クレーンの動き等は一切分かりません。後で気がつきましたが、2,300トンもの船を引き上げるのですから、その動きは微々たるものだったとおもわれます。

ここでは、クレーン船と引き上げられる船の全体の様子、32本のワイヤーで吊される船の様子、船首部分が防潮堤にくい込んでいる様子を紹介します。
大型クレーン船と打ち上げられた貨物船、ワイヤーが張られています。
32本のワイヤーで吊される貨物船
防潮堤にくい込んでいるバルバス・バウ

8:57 引き上げる・・・

クレーンのワイヤーが微々たる動きで吊り上げていますが、はっきりとしないのは最初の場面だけでした。クレーンの台座付近に『洋翔 YOSHO』と書かれてありますが、この文字の沈み具合で引き上げているのが分かります。YOSHOの文字が沈みかけた頃、ゆらりと船底が岸壁から離れたのが分かりました。

最終的には、現場で作業をしている方の身長の倍ぐらいの高さまで引き上げられましたので、高さにすると3m位かなと思われます。
引き上げ作業 1
引き上げ作業 2
引き上げ作業 3
引き上げ作業 4
引き上げ作業 5

9:11 海に戻すために方向を変える・・・

引き上げただけでは海に戻せないので、クレーン台船ごと方向を変えなくてはなりません。大型クレーンが二基ありますので、クレーンを回転することはできません。見ていたら、クレーン船を係留しているワイヤーを交互に引き合い、両側にぴったりとついているタグボーによって徐々に移動します。

最終的には、岸壁に斜めに乗っていた貨物船を岸壁と並行になるまで移動させ、クレーン船も沖合に後退して隙間を空けていました。(※クレーン船ですから自走は出来ないとのことでした)

方向を変える 1
方向を変える 2
方向を変える 3
方向を変える 4
方向を変える 5

9:31 下ろして着水させる・・・

岸壁とほぼ並行になると、ワイヤーが戻りゆっくりと船底が海面に近づき着水しました。それにしても船底は平らで、大きな鍋とでも言えそうです。海面に降ろしたら何処まで沈むのか気になりましたが、意外と沈まないのには驚きました。赤い喫水線までは8m程ありますが、これは荷物を積んだときのことです。拡大してみたら1m程しか沈んでいません。

引き上げ作業をするために、燃料や積み荷の金属部分を撤去して軽くしたと言いますので、ほとんど沈んででいない事になります。もっと沈み込むと思っていましたので意外でした。

これ以上ワイヤーがたるまず、船体も沈みそうもありません。ここからの作業に時間がかかりますので現場を離れました。引き上げられてからほぼ2時間ほどで、7カ月ぶりに海に戻された貨物船「ASIA SYMPHONY号」でした。

接岸・・・

無事着水したので、現場を離れ山田町大浦まで走りました。最後の勤務地での住宅が大浦地区にあり、ここで3年間生活した懐かしい場所です。大津浪で壊滅状態になった大浦地区や、外洋に面している小谷鳥地区を訪れあまりの変わりように言葉がありません。

しかし、大浦地区でも復旧に向けての作業が進み破壊された岸壁の改修や、漁協女性部の皆さんが復旧作業に総出で取り組んでおられました。

大浦からの帰りに釜石市の現場を訪れましたが、クレーン船からのワイヤーが外されタグボートに曳かれて沖合に向かっていました。また、7カ月ぶりに海に戻された貨物船は漏水等の点検を行い、その後は曳航されて広島県の江田島まで向かうと聞いています。
接岸した貨物船
船首にあるバルバス・バウ。
大型クレーン船洋翔とバックの釜石観音