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         2010住田町・奇習水しぎ


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住田町・奇習水しぎの一団が家の前で一斗缶を叩きながらぐるぐると廻る様子です。
住田町は、私の住む奥州市江刺区と北上山地種山を境にして東に位置し、大船渡市や陸田高田市への通過地点でもあります。以前のことでしたが、住田町役場のHPを見て中心地の世田米町夏祭りでの火縄銃鉄砲隊の演舞があることを知りました。昔にタイムスリップしたような雰囲気の中で、目の前で「どかーん」という発砲音に度肝を抜かれたりもしました。

その頃から気になっていたのが、1月に行われる奇習と呼ばれる「水しぎ」の事でした。詳細資料等がありませんで、ネットで検索したら次のように書かれてありました。

毎年1月24日、住田町の世田米地区で「水しぎ(水祝儀)」と呼ばれる防火の行事が開催されます。顔にスミを塗ったり道化の化粧をして、ボロの衣装などに仮装して、ブリキの空き缶をガンガン打ち鳴らし、「ミッサイナ(火の用心)、ミッサイナ」 と、叫びながら町内を練り歩く世田米の伝統行事です。

昔の夜、宿場から火が出たときに、床下を寝グラにしていた乞食が 「火事だァ〜」 とわめき、鍋釜をたたいて一大事を知らせたお陰で難を免れたという “史実” にのっとっり、防火の行事として世田米の青年団「一の会」などが伝統的に行っています。(※SUMITA好いネットの記事から)

ある家の前で「ミッサイナ、ミッサイナ」て連呼し、手にした棒で一斗缶やバケツを打ち鳴らす仮装消防団の皆さん。仮装のスタイルや衣装等もそれぞれで変化がありました。車を置いてから早速追っかけをした私です。



HPを作製するようになってから、地域で行われる色々な行事やイベントを意図的に撮影するようになりました。私の好み等もありますが、その地域でなければ見られない郷土芸能や催し物を知ることが必要になります。題材を探す手順として、市町村自治体のイベント情報が欠かされません。

今回も1月24日までは分かっていましたが、それ以上詳しい資料がありません。以前の資料を参考にし、現地に12時頃着く予定で家を出ました。世田米迄はほぼ一時間かかります。

10:30家を出て、11:30にバイパスから旧街並みに入る。それにしても静かな世田米町である。中心地に向かって走ったいたら、水しぎの一団が歩いているのを見つかる。あれれ、もう始まっていたのか、空いている銀行の駐車場に車を置いて行ってみた。
世田米町中心地にて・・・

私が世田米の街中に着いた頃、すでに一斗缶をがんがん叩きながら歩いている一団があり、車を止めて後から追いかけてみました。

道路の反対側からの撮影です。消防自動車と、公約実行と書かれてあるポスターが凄く印象的でした。
最初に見た水しぎの行列です。消防の行事なので手前に消防車を入れてみました。
水しぎ行列最後尾の消防の方。 行列は一列になり、家々の間を通り抜けていきます。一番最後から制服姿の消防の方二人がついていきます。左側の方は大きな袋を背負っていますし、右側の方はお札の入った箱を持っていました。
お札を渡しご芳志を頂いています。 火災予防のお札のお礼にご奉仕が手渡されます。左にいる方が背中に背負った袋を差し出して、頂いたご奉仕をしまい込みます。


水しぎ行列の追っかけ・・・

さっきのグループとは違う一団(10人位と見ました)が、一斗缶を叩いてがんがんやっています。様子が一切分からないので、後ろからの追いかけである。たまたまだったが、側に制服姿の責任者と思われる消防の方がいたので色々と話をお聞きする。

この水しぎは、例年1月24日にやることが決まっています。今日はあいにくの日曜日でもあり、学校や官庁も休み
で少ないのは仕方ないのです。

廻るのは二グループあって、自分達の消防組合分担地域を廻ります。400戸ぐらいあり以前は夜遅くまで歩いたが、今は早く切り上げるようになってきました。

追いかけをして見ていると、廻り方は次のような手順になるようです。消防の方が先に家々をめぐり了解を取る。その後、一斗缶を持った方を先頭にして「ガンガン」叩き、「ミッサイナ・ミッサイナ」と言いながら足を上げて家の前で踊ります。気をつけて節回しを確認すると、小さい頃聞いたことがある節回し(大黒舞だったでしょうか)の様に聞き取れました。しかし、はっきりと聞き取りにくくて分からない。

先頭の方は、一斗缶をガンガン叩きながら玄関から家の中に入ります。そうでないときは家の前でぐるぐる回る。その後、一番最後に半纏を着た消防の方がお札を配り、家の方からご芳志を頂く。ご奉仕は、袋を背負った方が居てその袋の中に入れます。私が見た限り、ご奉仕はむき出しのお札でした。

行列の最後から追いかけながら撮影してみました。最初は距離を置いて撮影していましたが、その後先回りし待ち受けて撮影してみました。ここでは、五軒ほどの様子から気に入った画面を選んで紹介いたします。

一軒目のお宅 1・・・リーダーの方が先頭になり、ミッサイナ・ミッサイナと叫びながら叩きます。 一軒目のお宅 2
一軒目のお宅 3 一軒目のお宅 4・・・かなり一斗缶がつぶれていました。


二軒目のお宅(旅館)・・・

藩政時代の宿場町当時から続いている老舗の旅館です。その昔、この旅館の近くに住んでいた浮浪者が火事だーと叫んで歩いたのが始まりといいます。 ※知人のお話から。

二軒目のお宅 1 二軒目のお宅 2
二軒目のお宅 3 二軒目のお宅 4
二軒目のお宅 5 二軒目のお宅 6


三軒目のお宅・・・

このお宅の場合、庭先でぐるぐる回っていました。ガラス戸の側に後ろ向きの男性が居られますが、この家のご主人のようです。


三軒目のお宅 1
三軒目のお宅 2 三軒目のお宅 3
三軒目のお宅 4 三軒目のお宅 5
三軒目のお宅 6・・・ご主人がご奉仕を差し出していました。 最後に消防の方からお札を頂き、ご奉仕を出していました。
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