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        遠野物語百年に舞う・しし踊り


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駒木鹿子踊りが入場するときの舞です。

遠野物語百周年を記念し、6月12日・13日に様々な催しがありました。特にも興味を抱いたのが夜神楽としし踊りでした。夜神楽は当然ですがストロボ撮影になりますので、場所等の制約がありますので出かけませんでした。私の郷土江刺に伝承される鹿踊りとは違う形態のしし踊りです。

秋の遠野まつりや六角牛神社例大祭で間近に撮影していますが、良く分からない遠野のしし踊りでした。市内の13団体が見られるとのことで出かけて来ました。



平成22年(2010)は、柳田国男が『遠野物語』を発刊してから100周年を迎えます。明治43年(1910)、当時高級官吏だった柳田国男遠野出身の大学生・佐々木喜善が数多くのふるさとの伝承を話したことがきっかけで、『遠野物語』が誕生しました。

遠野の地勢にはじまり、神々の由来、天狗や河童、ザシキワラシ、魂の行方、神隠しや歌謡など、遠野に伝わる不思議な話が119話にまとめられています。『遠野物語』は民俗学の金字塔と称され、柳田の洗練された見事な美文により文学的にも高く評価され、今なお、多くの人々を魅了しています。(※遠野物語百周年しおりより)


『遠野物語』としし踊り・・・(会場で頂いた資料から)

遠野の民俗芸能と言えば「しし踊り」である。そのしし踊りを印象的に書き留めたのが 『遠野物語』序文である。

天神の山には祭りありて獅子踊りあり。ここにのみは軽く塵たち、紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊りといふは鹿の舞ひなり。鹿の角をつけたる面をかぶり童子五、六人剣を抜きてこれと共に舞ふなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。

また『遠野物語』119話には、しし踊りの歌の曲が納められている。百年あまり以前の筆写なり、とあることから、遠野市内のしし踊り団体に伝わる歌本手に入れて書き写したと思われるが、原本の所在は明らかではない。現在歌われている歌詞も、団体ごとに少しずつ異なり、119話と全く同じものはない。

由来・・・
頭につけたカンナガラ(たてがみ)が印象的な風流しし踊りの一種。宮城県北から岩手県南地方に分布する太鼓踊り系しし踊り(腹につけた太鼓を打ち鳴らしながら踊る八鹿踊り)に対し、身にまとった幕を持って踊るところから幕踊り系しし踊りという。旧盛岡藩領の岩手県中北部に伝承され、遠野地方ではドロノキ(柳)をカンナで削った薄く長い経木状のものをつけるので特にカンナガラジシと呼ぶ。

伝承では、領主阿曽沼氏時代の慶長初年(1596)頃、京都の松尾から伝えられたしし踊りに、郷民の間で親しまれていた豊年踊りや神楽の山神舞を加えて創られたという。

通りの隊列は、旗、種ふくべ、子踊り、中太鼓、刀掛け(太刀振り)、中立、中立の両側に中太鼓がつき、太鼓、笛、ししの順で一列となってゆるやかに踊りながら行進する。



会場の様子・・・

8時に家を出て丁度9時に市内に着きました。12・13日は市内の駐車場は無料とのこと、それほど車が多くはなかったのですが、静岡ナンバーの車もあり人気の一端が伺われます。道路脇には、遠野物語百年の幟旗があちこちに見られました。
幟旗が掲げられてある駐車場です
天幕の下で演技についての打ち合わせをする代表者の皆さん。 舞の舞台になるところは広場の芝生で、大型の天幕シートが張られていたし、観客席も同様で全席パイプ椅子が置いてあります。演ずる方も見る方も日差しが直接あたらないので快適なのですが、写真撮影をする立場からすると厳しい条件になります。

舞台となって演じる背景には白壁の倉があり、前に出て舞うと直射日光が当たるので光源のバランスが崩れ大変です。

下の画像左は、一番目の駒木鹿子踊り保存会の皆さんの入場と、右側は二番目に舞う佐比内しし踊り保存会の皆さん(画面右端)の様子です。
一番目の駒木鹿子踊り保存会の皆さんが入場してきました。 二番目に舞う佐比内しし踊り保存会の皆さん。
この日に併せて刊行されたというしし踊り大図鑑。

場所取りをしてから時間があったので、本日の資料等を求めて会場周辺を廻ってみました。入り口の方へいったら本を売っています。何か関係するものがないかなと思ってのぞいてみてびっくり・・。「写真で分かる 遠野郷しし踊り大図鑑」と書かれた本が置かれてありました。

係の若い男性が、「今、刷り上がったばかりです。これを見ると今日の内容が全て分かりますよ・・」とのことです。そして、「全部自分で撮影しました・・」と満面の笑みを浮かべながら売りさばいています。

早速一冊求めましたが2100円でした。ちょっと高いかなとも思ったが、正直の所、遠野しし踊りについては良く分からないし、資料等は一切手元にありません。「いやあ助かります・・」と嬉しくなって支払いました。

※遠野生まれで東京都にお住まいの中野さんが企画編
  集発行された唯一の解説本、「写真でわかる 遠野郷
  しし踊り 大図鑑」です。お求めになりたい方は、有限
  会社中野商店までどうぞ。遠野市内の書店でも販売し
  ていました。

本日のプログラムとタイムテーブル。 頂いた資料表示のプログラムです。全部で4ページある資料ですが、遠野物語としし踊りについて、由来、演目、芸態、そして、参考資料として119話の内容が書かれてあります。

広場の東通路にきょうの演目次第とプログラムが張ってありました。撮影していたら、しし踊りの装束をまとった同年代の男性が寄って来られ、今日の演目のことについて色々とお聞きしました。

50年ぶりに演じられるのは5番目の浪合・なみあい(しし酒盛り)です。板沢ししが舞いますが、私も板沢ししのメンバーですと聞かされ嬉しくなりました。その男性のお話によると、50年ぶりに再現したがで大変だったと言います。

口伝書はあるが具体的な舞の動きが書かれていないし、舞い方を誰も知らない。曲の流れを聞きながら、同じ様な動きを考えたと言います。昔は長男にしか伝えなかったので、そんなことから途絶えてしまったのです。

なるほどなあと思いながら、伝承活動の難しさを改めて知らされました。しし踊りに限らず、地域に伝わる郷土芸能には長男にのみ伝承されている事が以前は多かったと言います。しかも、男性のみで、女性が舞うなんて考えられないことです。

開会挨拶をされる遠野郷しし踊り連絡協議会会長の佐々木さん。 開会挨拶をされる遠野郷しし踊り連絡協議会会長の佐々木さん。

厳かな自然の営みで命の躍動が盛んなこの季節に、遠野物語が発刊されたことに大きな意義を感じます。真実は常に目の前にあること、神や自然を恐れ敬う心、そして多くの人々の故郷の心として、生き生きと永遠の日本の故郷遠野の宝として世に出て百年、民俗学の記念碑としても位置づけられている遠野物語です。

本日ここに、柳田国男先生に感謝の気持ちを表す百年祭を祝おうと、しし踊り13団体が集結しました。119話はしし踊りの秘伝書であります。大きく五つの演目からなっており、これをそれぞれの団体に振り分けてございます。ほめ歌は15分で、それ以外は20分の持ち時間で踊りを披露いたします。午前の部で一通り、午後の部で一通りご覧頂けます。

12時10分から25分の間、5分程度の踊りになりますが全体大群舞を行います。遠野ならでは独特のしし踊りを、本日はじっくりとご覧頂きたいと思います。

                   (※会場での記録から)



観客席は自由で制限が無いとのことで、一番前の席はすでに埋まっています。しかも皆さん三脚を手前に置き、ビデオ撮影の方がほとんどでした。開演一時間前ですが、良い場所で見たいときは仕方がありません。かくいう私もその一人でなので、大型ビデオ撮影の隣に三脚を置きました。目線で撮影するカメラは自分だけになり、後ろの方の妨げになるのが気になります。後ろの方に気配りをし、芝生に座って低い位置から撮影することになりました。

ここでは13団体すべてのしし踊りを紹介したかったのですが、今日のねらいであった50年ぶりに復活させた「浪合(しし酒盛り)」を中心に構成してあります。その他として、将来の伝承者であるちびっ子達の活躍場面等をまとめてみました。

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