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         2011平泉大文字送り火


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燃え上がる送り火の大の字

お盆最後の16日、各地で送り盆行事がもたれました。毎年気にしながらも、訪れることが出来なかった平泉大文字送り火です。例年使われてきた平泉大文字まつりの名称を、今年から「平泉大文字送り火」として開催することになりました。

殉国戦没者追福と先祖代々精霊供養に加え、東日本大震災の物故者供養の為、送り火と法要等を行います。
16:30から追善法要のあと、中尊寺本堂前にて中尊寺に伝わる千古の不滅の法燈より分火します。分火した不滅の法燈を地元の中高生がトーチリレーで駒形峯まで運びます。大文字点火は20:00。
(平泉町観光協会HPより)


大文字送り火を撮影するために午後6時過ぎに家を出ましたが、水沢地区を過ぎたあたりからR4号は大渋滞で動けません。仕方なく北上川の東側を南下し、平泉町高舘橋北側(ライスアートの場所)の田んぼ道で待機しました。今にも雨降りになりそうな空模様で、見えていた月もおぼろ状態です。点火は午後8時ですが、大の文字を書く筆順の通りに点火され、40分後には薄れてきました。

かなり前から知って平泉大文字焼き(今までそう呼んでいました)ですが、初めて現地を訪れ眺めながら撮影しました。いつ頃から始められたのか定かではありませんが、その起源と言いますか発祥をネット資料検索で調べてみました。藤原氏時代のいにしえの頃はともかくとして、五山送り火として特に有名な京都に由縁するようです。


岩手・平泉で16日夜、毎年恒例のお盆行事「平泉大文字送り火」が行われた。今年は世界遺産登録が決定して初めてのお盆だが、東日本大震災で亡くなった人たちの供養を願う思いも込められた。

平泉の大文字送り火は1965年から行われている伝統行事で、中尊寺で1200年もの間、ともされ続けている「不滅の法燈」を分火して山まで運び、午後8時ちょうどに火床に火をつけると、山肌に大きな「大」の文字が燃え盛る火で浮かび上がる。

16日は各地で送り盆の行事が行われ、京都市では、毎年恒例の「五山送り火」が執り行われた。当初、この送り火には岩手・陸前高田市の薪(まき)も使用される予定だったが、放射性物質を懸念する声が上がった結果、中止になった。その後、再び計画が持ち上がったものの、検査で薪の皮から放射性物質が検出されるなど、二転三転し、取りやめとなった。(※日本テレビ系(NNN)のネット記事から)



R4号と高舘橋交差点付近 19:00頃の高舘橋周辺・・・

ライスアート付近のたんぼ道に駐車しましたが、最初は誰も近くには居りませんでした。柳の御所資料館駐車場が開放され、その場所から撮影する予定でしたが現地に入るのは無理でした。

画像はR4号と高舘橋の交差点で、ひっきりなしに往来する車が多く見えています。皆さんも思いは同じで、駐車場を目指しますがほとんどの車が橋を渡ってきます。

気がついたら周辺には車が多くなり、行列状態で駐車していました。
高舘橋東側交差点付近 高舘橋を渡ったところにある交差点です。そのまま直進すると束稲山の方に入るので、灯りのある場所から左折してたんぼ道に入ります。

真っ暗ですから写っているのはライトとテールランプの軌跡のみです。
高舘義経堂の展望台 最初は中尊寺月見坂の展望台とも思いましたが、それにしては近すぎます。付近の地図から確認したら、高舘義経堂の展望台でした。

普段は夜間に入る立ち入る場所ではないのですが、今回の「大文字送り火」の鑑賞には最高の場所です。眼下には雄大な北上川の流れ、遙か遠くには「大」の送り火文字の両方が見られます。

右側の一段と高い場所に義経堂があります。


20:00点火される・・・

16日夕方の天候は、雨こそ上がりましたが月がやっと確認できる厚い雲に覆われ束稲山の存在すら分からないほどの暗闇でした。車を止めていた場所から東上の方向に小さな灯りがあり、見ている内に左から右へ点火されていきました。少し前からカメラを設置すれば良かったのですが、ちょっぴり遅れてしまいました。

点火は「大」の文字の筆順通りで次々と火が増えていきます。ここでは筆順通りに撮影し8コマにまとめてみました。趣も何もないと失笑されそうですが、120mmレンズで撮影した画像から切り取ってあります。


実際に送り火を間近で見ていた感じとして、送り火の燃えている時間は30分(火勢が強い)ほどしかありません。毎年準備をされている方々の苦労は大変です。古い記事ですが紹介いたします。

平泉地方の盆行事として定着した「平泉大文字焼き」。今年は44周年目を迎える。

年にたった数時間、束稲山に浮かび上がる「大」の文字。 薪用材の切り出し、200束分の薪割り、山の草刈、薪の運搬、そして設置。これらの作業を25年間たった一人で行っているのが、千葉茂留(ちば もとめ)さん(80)。70歳を過ぎた頃から、家族は千葉さんに引退を勧めるが「やれる内はやる」と言って頑張っている。しかし、後継者が現れないことへの不安も漏らす。

その様な中、5年前から平泉中学校PTAを中心とする「親子レク」の生徒たちが、千葉さんの手伝い行っている。当時のPTA会長だった大内さんは「地元に住んでいながら、伝統行事の裏方の仕事を知らない人が多い。伝統行事に携わる機会を子供達に与えたいし、伝えたい」と声をかけた。今年も千葉さんの下に手伝いの申し入れがあった。

もうすぐ迎えるお盆。平泉の送り盆「大文字焼き」の陰には、一年間かけて準備をする千葉さんと、伝統行事の裏を教えたいという親の願い、そして伝統行事を理解しようとする子供達の輪が作られつつある。
(※2008年のネット記事より)
点火される大の文字 1
点火される大の文字 2
点火される大の文字 3
点火される大の文字 4
点火される大の文字 5
点火される大の文字 6
点火される大の文字 7
点火される大の文字 8


20:08には点火が終わり、真っ暗な夜空に「大」の字が浮かび上がりました。観光案内の写真には、「大」の火と束稲山の陰影が写り込み、北上川の川面に映りこむ送り火と花火が一緒に写っています。今年も花火があるだろうと期待しましたがありませんでした。

天気が良ければ十六夜の月が山の方向にあり、月明かりで束稲山が写り込むはずでした。厚い雲に覆われた月は、かすかに存在を示す程度ですから暗闇状態です。「大」の文字だけでは趣がありませんので、麓にある民家の灯りや通過する車のライトを意図的に写しこんであります。偶然でしたが、私の前を車が通過したので転作作物の「大豆」の葉が写り込んでいました。

正面には通過車輛のライトの軌跡が写り込んでいますし、画像処理をしてうっすらと山陰を残してみました。テクニカルデータですが、ほとんどが画像は感度ISO400、絞りF8、露出10秒前後になっていました。
夜空に浮かぶ大の字 1
夜空に浮かぶ大の字 2・・・手前は転作の大豆。
夜空に浮かぶ大の字 3・・・テールランプの断続は車の動きを示しています。
下の画像は300mmレンズをD300に着用して撮影しましたので、画角的には450mm相当になります。さらに文字部分だけを切り取りましたので、火床の場所と数を数えることが出来ます。画像をじっくりと見ると、火床が置かれている場所は周囲よりより高く見え(火が燃え移らないように溝を掘っている?)、その前に火の管理をする方々が居られるのが確認できます。

関心のある方は、「大」の字を筆順にしたがって数えてみてください。私は火床が22個、23個、16個の合計61個程かなあと数えてみました。(※ネット記事によると64個とのことです)

画像は20:18頃の様子です。16日17時頃まで雨が降り、雲の中にあった束稲山でした。先祖供養と大震災で亡くなった方々への鎮魂の炎は周囲の樹木を照らしだし、火の管理をしていた方々は大変であったろうと思います。ほとんど風がなかったのが幸いでしたが・・・。
燃え上がる大の文字の火床、手前に居られる皆さんが分かります。
20:30頃の様子・・・

点火されるのを待つ間、午後8時の点火は遅いなあとぼやいていたのは事実です。実際には点火後、勢いよく燃え上がりますが薪等の補充はありません。30分後には火勢が衰えますが、先に点火された部分から燃え尽きていきますので仕方ありません。花火等があげられますと丁度午後9時には終われますが、今年は中止したようでした。


「平泉の文化遺産」が世界遺産に登録された岩手県平泉町で16日、恒例の「平泉大文字送り火」が行われた。今年は、東日本大震災の津波で被災した同県と宮城県の沿岸14市町村から集めたがれきを燃やし、犠牲者を供養した。

平泉観光協会が7月下旬、がれきとなった漁具や住宅廃材を回収して用意。地元中学生らのリレーで中尊寺本堂の火を駒形山(430メートル)まで運び、午後8時に火が付けられた。約100メートル四方の「大」の字が浮かび上がると町民たちは静かに手を合わせた。

「京都五山送り火」では、薪(まき)の表皮から放射性セシウムが検出され、岩手県陸前高田市の松の使用が中止となったが、同協会によると、平泉では放射性物質の濃度測定は議論にすらならず、京都市の中止発表後、「平泉は被災者の気持ちをくんでいる」などと賛同の声が寄せられたという。
(※ネット記事読売新聞より)
点火後30分経過の送り火、うっすらと束稲山を入れてあります。
点火後30分経過した送り火と麓の様子。


大の文字跡が残る束稲山西斜面と麓の様子。
平泉町中尊寺の送り盆行事、平泉大文字送りが点火される束稲山西斜面の様子です。丁度一年ほど前の8月22日にライスアートを撮影したときの画像です。撮影場所は高舘橋の上からですが、16日に大門字送り火を撮影した場所とは少し違っています。

大門字送り火が燃やされる場所は、かなり広範囲に樹木や草等が刈り払われています。関心をもって眺めると「大」の字跡が一年中確認できます。撮影は標準レンズですので大きくはないのですが、雰囲気とその様子はお分かりになると思います。