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        2011SLがんばろう岩手号


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水沢駅を発車して北上市に向かうSL勇姿
2011年11月19日と20日の二日間、JR東北線一ノ関駅と北上駅の間でC61型蒸気機関車による運行がされました。前回は2005年10月8日から三日間、一関駅と盛岡駅の間でD51型蒸気機関車による運行がありましたので、6年ぶりのことになります。

今回の蒸気機関車(以下SLと表記します)による運行は、2012年4月から6月の「いわてデスティネーションキャンペーン」のプレイベントであり、平泉の世界遺産登録記念と、3月11日の大震災からの復興を願い行われたものです。イベントを企画した東日本旅客鉄道株式会社盛岡支所発行の資料から抜粋で紹介します。


「SLがんばろう岩手号・DLがんばろう岩手号」運転に伴うイベントについて

JR東日本盛岡支社では、2012年4月から6月まで実施される「いわてデスティネーションキャンペーン」のプレイベントとして、震災からの復興に向けて頑張る岩手県に元気を送るとともに、平泉の世界遺産登録を記念し、SL「C6120号機」と旧型客車で「SLがんばろう岩手号」・「DLがんばろう岩手号」と運転いたします。

出発式・・・
2011年11月19日(土)に、いわてデスティネーションキャンペーン推進協議会関係者によるテープカット、運転士への花束贈呈等の出発セレモニーを実施いたします。
  ・「SLがんばろう岩手号」 一ノ関駅 10時から
  ・「DLがんばろう岩手号」 北上駅 13時50分


おもてなしイベント・・・
いわてデスティネーションキャンペーン推進協議会と地元自治体の協力で一ノ関駅、前沢、水沢、北上の各駅で、SLの発着に合わせて地元郷土芸能の披露等のおもてなしを予定しております。

試乗会・・・
実施日:11月17日(木)、震災からの復興に向けて頑張っている沿岸地域12市町村にお住まいの皆様を対象とし、公募及び自治体・観光関係事業者の特別招待、総計240名をご招待します。また、SLの運転にご協力いただく沿線自治体等の関係者も合わせてご「招待いたします。

JRグループの東日本、北海道、東海など全6社と全国の旅行会社、観光関係団体や協賛企業が一体となって1つの地域の観光のPR、総客に取り組む国内最大規模のキャンペーン。2012年4月1日から6月30日に本県で開催される「いわてDC」は、「じっくり時間をかけて”いわて”を感じていただく旅の訴求」をコンセプトに、単独開催としては32年ぶり2回目の実施となります。



デスティネーションキャンペーン(DC)とは・・・

北海道旅客鉄道・東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道・四国旅客鉄道・九州旅客鉄道のJRグループ旅客6社と指定された自治体、地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーンのこと。デスティネーション(目的地・行き先)とキャンペーン(宣伝戦)の合成語。「DC」「デスキャン」と略される例が見られる。

(※ウイキペディアより)


トップの画像は、上野から475kmポイントでの記録であり水沢駅を発車して北上市に向かう途中の様子です。


SLがんばろう岩手号・・・

6年ぶりになるJR東北線でのSL運行です。何とかしてその勇姿を撮影したいと思っていたのですが、試運転を含めた5日間の間に様々な予定が入り、天候条件等とも相まって自由には動けませんでした。最終日の20日、朝から急遽予定が入り予定していた撮影場所には行けなくなりました。

事前に決めていた予定地は平泉でしたが、今年の世界遺産登録の事もあり全国から多くのフアンの方々がお出でになり、当日では場所の確保等も困難で断念しました。19日の様子では、線路敷地内(赤い標識棒が立っている)はもちろんのこと、危険と思われる場所には警備のJR関係者が配置されているとのことでした。そのくらい圧倒的は人気があると言うことなのです。

午前中の予定を早めに切り上げて、今回は水沢区佐倉河地区線路沿いの場所を目指しました。最初に予定した場所は車を置けないので断念、狭い道を入り線路下の田んぼ付近の場所を見つけました。往路にあたる線路は下り線ですから、私が居た場所の右側になります。しかも、向かってくるSLの頭上に太陽があり撮影条件は良くありません。曇っていたので直射はありませんが、このままではシルエットに近くなりますのでスポット露光で対処しました。また線路より60センチ以上下がった場所ですから、脚立に上り丁度線路と同じレベルにカメラをセットしました。

この場所を通過するのは11:50過ぎですが、上り線をコンテナー列車が二回ほど通過しています。たまたま見ていた電気機関車に、「金太郎」の絵が描かれ「ECO−POWER」と書かれてありました。


11:50 南の方にSLと汽笛の蒸気が見えてきた・・・

遙か遠くにSLの姿が見えた頃、上り車線にコンテナー列車が入りかなりのスピードで通り過ぎていきます。見ていたらSLとドッキングするかの如くに見えてきます。こんな事はめったにありませんので記録し続けました。両方の車輛の距離がどんどん縮まって来ます。コンテナー列車の機関士もすれ違う瞬間は感動的であったと思われます。

SLとコンテナー列車のコラボ 1
SLとコンテナー列車のコラボ 2
SLとコンテナー列車のコラボ 3
SLとコンテナー列車のコラボ 4

10:51 すれ違ったコンテー列車からSLが顔を出す・・・

C6120型SLに曳かれた旧型客車5両編成の列車です。間近で見るSL機関車は力強く、いかにも重い列車を曳いて走るのだという印象を見ている私達に与えます。今からうん十年前の終戦直後、陸前高田市広田に住んでいた私は一関駅から大船渡線で小友駅まで列車に乗りました。終戦直後の石炭不足(粗悪な品質)のこともあり、急勾配になると速度が落ち歩くほどの速さでした。

もちろん時間もたっぷりとかかりましたし、トンネルの中でのゆっくりスピードで車内に煙が充満し、トンネルを出ると一斉に窓を開けて空気の入れ換えをしました。当然ですが、乗っている皆さんの顔も煤だらけになりました。そんな昔の話しは遠くに過ぎ去ってしまいましたが・・・。

水沢駅から発車して一定の速度になると、この場所はほとんど平地に近いのでもくもくと出る黒煙は出ていません。しかし、やはりSLであり上空には黒煙が上がり汽笛の鳴る音とともに白い蒸気が出ています。遅いSLとは言え、またたくまに近づき迫力ある姿を見せてくれました。

正面にさしかかった頃、カメラのハプニングでシャッターが切れません。いい気になってコンテナー列車を連射したためか、はまたまた設定おかしかったのか、焦ってもSL列車が通り過ぎていきます。5年前も連射していたら、肝心の場面でシャッターが切れなかったことを想い出しました。

時間にして2分ほどのことですが、待っている時間は長くても目の前を通り過ぎるSL列車は速いのです。やっとシャッターが切れたのはテールランプが見えるときでした。

驀進するSL列車 1
驀進するSL列車 2
驀進するSL列車 3
驀進するSL列車 4
驀進するSL列車 5
驀進するSL列車 6
通り過ぎていくSL列車


DLがんばろう岩手号・・・

北上駅に着いた列車は、牽引する機関車の関係から「SL→DL」に変身します。理由は簡単なことで、北上駅にはSL機関車の向きを変える装置がないことにあります。学生時代に盛岡まで通学していた私は、機関車を乗せた台車を180度回転させて方向転換をしているのを何度も見ています。現在の気動車や電車は、ギヤーの回転方向を変えるだけで進行方向を変換できます。SLとて逆進は不可能ではありませんが、構造的に無理が生じます。

一ノ関駅からはC6120SL一台で牽引してきましたが、北上駅からは面白い構成になりました。DL(ディーゼル機関車)二台に曳かれた逆進のSLが5両の客車を曳きます。別の見方をすれば、三重連の機関車に曳かれた客車と言うことになり、普通の状態ではほとんど見られない光景だと思います。

先頭に付けられたエンブレムも「SL→DL」に替えられていました。あざやかな赤っぽいDLと真っ黒なSL、面白い構成になります。

北上駅を出発するのが14:23分です。往路ほぼと同じ場所の踏切サイドから撮影しましたが、午前中のSLの時とは違いあまり人出がなかったようでした。やはり皆さんのねらいは、真っ黒な煙を吐き力強く走るSLに最大の関心があると思いました。


14:43 DLがやってくる・・・

現場は見通しの良くない踏切サイドで、私の隣にはカメラとビデオをセットした若者が陣取っていました。待つ間に小雨になりレンズに雨粒が着いてきました。早く来ないかなあと思いながら待つことしばし、SLの時とは違いかなりのスピードがありました。復路は順光線になりトラブルはありませんが、目の前を通過するのが早くて多くは記録できません。
あれれと言う間に通り過ぎていきました。

乗客は400人ほどと言いますが、ほとんど窓を閉めて外の景色を眺めていました。窓を開けて手を振ったり、カメラを出している方はごく僅かの人達でした。
DLに曳かれた列車 1
DLに曳かれた列車 2
DLに曳かれた列車 3
DLに曳かれた列車 4
DLに曳かれた列車 5
DLに曳かれた列車 6
DLに曳かれた列車 7

走り去る列車と線路 1
走り去る列車と線路 2
走り去る列車と線路 3
14:43 DL列車が通り過ぎた踏切から・・・

少し下り坂気味の場所ですから、たちまち視界から遠くなりました。踏切を通過し過ぎ去っていく列車に敬礼をして見送っていた監視人の男性です。かつてのJR職員であったと思われますが、気さくな方で待つ間に色々とお話をお聞きしました。『5日間かけて一関で練習したようだよ、石炭のくべ方から。そして昨日と今日が本番。なにせSLを運転できる人がどんどん居なくなってるからね(亡くなっていると言うこと)・・・』

過ぎ去っていく列車を見送りながら、次は何時になるのかなあと期待する私です。しかし、あまりにも混み合い、場所取りや撮影ポイントの決定で騒動するとなると、足が遠のくのは仕方ありません。広い場所で煙を吐きながら走るSLに、幼き日に見た想い出を重ねながら撮影するのも一興がありそうです。


参考資料として・・・

C61について
C61形蒸気機関車は、戦後の旅客輸送需要の急増に対応するために、余剰のD51形のボイラや部品を活用し、C57形の足回りをベースに製造された旅客用機関車です。1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて33両が製造されました。

C61 20号機」について
長さ 20.375m 幅 2.936m
高さ 3.98m 動輪直径 1.75m
機関車重量 78.8t 炭水車重量 42.0t
石炭搭載量 6.2t 水タンク容量 15.4.
最高速度 75km/h

C61 20 車両履歴
1974年 1月 伊勢崎市 華蔵寺公園展示
2010年 1月 復元工事開始
2011年 3月 車籍復活

(※ウイキペディアより)

                                                        2011.11.21 作成