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          宮古市・又兵衛祭り



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又兵衛祭りの神事が終わった後の川の様子です。野鳥の群れ、特にも白鳥が沢山飛来していました。

何気なく見たあるサイトに、宮古津軽石川の又兵衛祭りについて書かれていました。11月30日に行われるということですが、津軽石川と又兵衛については少し内容を知っていました。川鮭漁が始まっている時期でもあり、以前に川開きを見たこと等もあって訪ねてみたくなった私です。祭りについての詳細が分かりませんので、宮古市役所商工課にお聞きしました。

11月30日、12時から津軽石川のさけ販売所付近でありますよ。但し神事だけであり、人が出てのお祭りではないですよ・・とのことでした。家から宮古までは3時間ぐらいかかりますが、天気も良いので出かけてみました。

この画像は川鮭漁で有名な津軽石川の川原です。Yの字の逆さに見えるのが11月30日から2月末まで飾られる(祀られる)又兵衛さんを模った人形だと言われます。R45の堤防下にあるので道路を走るだけでは見えませんが、鮭販売所の立て札が二カ所ありますので、そこから川原に降りればはっきり見えます。

又兵衛祭り・・由来
国々に領主が居て、勝手気ままに政治を行っていた昔のことである。津軽石川に鮭がのぼる頃になると、川に厳重な留が作られた。留の下流の鮭は領主のもの、上流にのぼった鮭は村のものという掟があった。だが、領主は留めの間かくを年々せばめたので、ついに鮭は上流にのぼらなくなってしまった。

ある凶作の年、村人は留の下流であふれるばかりに群れ游ぐ鮭の大群を眺めながら、飢えと寒さにふるえているばかりであった。掟に背くと本人はもとより、親類・縁者ことごとく極刑を受けるからである。

そのとき又兵衛という武士が、きびしい監視の目をぬすみ、一夜のうちに留の間かくを広げたので、鮭はどっと上流にのぼり、村人は餓死から救われたが、掟を破った又兵衛は川原で逆さはりつけ(磔)の刑に処せられたのであった。

                      津軽石鮭繁殖保護組合 宮古鮭まつり実行委員会・・・川原の看板から



釜石経由で大槌、山田と走り、津軽石川川原に着いたのが12時少し前でした。川原には竹4本としめ縄で結界が張られ、中にはYの字の形をした縄を巻いた人形(?)が立てられ、その前には祭壇が設けられています。周囲には漁業関係の方でしょうか、何人か集まっており神主さんも見えていました。

さけ販売所の小屋の片隅に、今日の価格と書かれた札があります。おす1kg180円、めす(腹割り)1kg80円(?)と書かれており、朝と夕方の漁で販売されています。
津軽石川川原のさけ直売所 祀られた祭壇と又兵衛人形。
津軽石川の下流です。川の中の杭は、ここに鮭を捕るための網を仕掛けるためのものです。 看板と川の留めです。まだ又兵衛人形は立っていません。


12時少し前に神事が始まりました。祭壇前にパイプ椅子が一列あり指定席になっています。その後ろに立ったままの漁業関係の方々が30名ほど見えていました。

神事は降神の儀から始まり、神主さんが「神様にご馳走をあげます」と言いながら、御神酒のふたを取ります。その後の祝詞奏上はかなり長いものでしたが、内容等については聞こえなかったし詳しいことは不明です。神主さんがて祭壇から小箱を下げ川原に行き、中から白い小さな紙を川原にまいて川を清め、その後に玉串奉奠がありました。漁業関係者が最初で、4名ほどのそれぞれの代表の方が行っていました。
神事 1 神事 2・・・関係者の皆さんがお祓いを受けています。
神事 3・・・祝詞奏上 神事 4・・・祭壇の小箱から小さな紙がまかれます。
神事 5・・・玉串奉奠 神事 6


玉串奉奠の後、神主さんが「故事にしたがって、又兵衛さんを川に送ります」と告げたあと、漁協組合長さん(?)を先頭に人形をかついで川まで運びます。

案内看板の脇にある杭にしっかりと縛ります。ここで又兵衛人形に御神酒をあげ、代表の方が礼拝して終わりになりました。
又兵衛さんを川原に運びます。
又兵衛さんを看板脇の杭にしっかりと結びます。 杭に結ばれた又兵衛さんに御神酒をあげています。



神事が終わると祭壇を壊しますが、たまたま祭壇にあげられていた鮭の雌雄を撮影させて頂きました。Jinさんのサイト・宮古大事典の記事には、この朝の一番に捕れた鮭の雌雄の一対(荒縄で口と尾をがっちりと結んだものでメス鮭が前)を祭壇に祀るとありました。 祭壇に献じられた一番鮭の雌雄。
又兵衛人形が立てられた鮭の留場

看板の後ろに見えているのが、川鮭漁のための留めの部分です。現在は簗場と同じで、ここから上流に鮭は遡上できない仕組みになっています。

そばで一緒に撮影していた人にお聞きしたら、この人形は川鮭漁が終わる2月までここに置いてあると言います。

神主さんにお聞きしたら、「幕末の頃からやっているようです。故事を大切にしてきているようですね・・」と答えてくれました。

先ほど撮影していた方のお話ですと、「ここの山手の方に又兵衛さんのお墓がありますよ」とのことでしたが現地を訪れてはいません。



神事を見ている私も、皆さんと同じように頭を下げていましたし、その他の方々と一緒に礼拝もしました。川鮭漁の期間中立てられている又兵衛人形ですが、地元の方々の大漁と安全を祈願するお願い行事なんだなあと思うと、故事を大切にしていますとさりげなく話された神主さんの話にじーんとくる暖かいものを感じました。

帰り際に又兵衛人形に触ってみました。荒縄でぎっしりとぐるぐる巻きになっています。川止めの脇に立っている姿、遠くから見ると不思議な感じの絵になります。以前からやっていますと話された神主さんです。私も若い頃に何回もこの川原の上にあるR45を走っていましたし、津軽石川の川開きまで見ていますが、残念ですがこの人形の存在に気が付きませんでした。

このページのテキスト文を作成するにあたり、 JinさんのHP Jin on webの中の宮古大事典を参照させていただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

宮古大事典から・・・

■又兵衛鍋(またべえなべ)
  鍋料理の一種。名称は、津軽石川の鮭と後藤又兵衛の伝承にちなむ。古くから鮭漁師が仕事の合間に食べてい
  た番屋の賄い料理。刻んだ鮭の卵膜、ニンニク、ネギ、醤油、酒少々を入れて煮込み、腹子を添える。

■又兵衛祭り(またべえまつり)
  毎年11月30日、南部鼻曲がり鮭の本場として知られる津軽石川の留め場で津軽石鮭繁殖保護組合が開催する
  奇祭。藩政時代、後藤又兵衛という武士が、飢餓に苦しむ村人のために川留めの禁を破って鮭を自由にとらせ、
  その罪で逆さ磔(はりつけ)の刑となったという伝承にもとづく。
  逆さ磔になった又兵衛をかたどり、Y字型の木に荒縄を巻いた藁人形を鮭留めのほとりに建てる。又兵衛の命日と
  される11月30日の朝に獲れた一番鮭、雌雄2匹を祭壇に捧げて供養する。人形は11月から鮭漁の終わる2月
  まで飾られる。
  又兵衛は藩の川役人だったとも、鮭を盗み取ったために撲殺された無頼の浪人だったとも言われる。又兵衛の死
  後、鮭がのぼってこなくなったので遺体を掘り出して懇ろに供養したところ、またのぼってくるようになったとも言わ
  れる。稲荷神社境内に又兵衛の墓といわれる五輪の塔があり、そばに1969年(昭和44)又兵衛尊碑が建立され
  た。1985年(昭和60)11月30日には川丁場淵ノ巻に“又兵衛の碑”が完成して除幕式が行なわれた。