飛行機による太平洋横断については、以前から知っていましたが、何故青森県の三沢近くなのか・・素朴な疑問を抱いていたのは事実でした。たまたま用事で出かけて時間があったので、北の方に足を伸ばしたほっづぎ親子でした。
今日の目的地は、三沢市の海岸にある「太平洋展望台」です。昭和6年(1931)に、二人のアメリカ人青年が太平洋無着陸横断飛行に成功し、その時離陸したのがこの地であり、それを記念して展望台が設置された・・、と青森るるぶにあったからでした。この高さ23mの展望台の下には、その時使用した「ミス・ビードル号」復元されてあると言います。
しかし、あいにくの曇天と時間不足のために三沢航空科学館へと変更したわけです。
息子とも確認したのですが、後日天気の良い日にたっぷりと時間を取って来なくてはと思いました。記念館内部の展示物ももちろんですが、一番のお目当ては屋外展示スペースにある航空機の実機です。広い敷地内に各種の飛行機(戦闘機が主ですが)あり、飛行機撮影に夢中になっていた息子の願いでもあるからです。
青森県立・三沢航空科学館・・・
青森県立三沢航空科学館は、青森県が航空史に果たしてきた役割を広く全国に情報発信し、「大空」と「飛翔」をテーマに、未来を担う子どもたちが楽しみながら、科学する心、感動する心、挑戦する心を育む施設として青森県により建設されました。場所は、航空のまちとして発展し、大空のまちづくりを進めている三沢市が整備する「三沢大空ひろば」の一角であり、平成15年8月8日に開館しました。
航空科学館設置の背景・・・
1931年、ミス・ビードル号は三沢市淋代海岸から、米国ワシントン州ウェナッチ市まで世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功しました。この世界記録への旅立ちを地域の人々が支えたのです。
1938年、日本唯一の世界記録(周回航続距離記録)を樹立した航研機。この偉業を成し遂げた機体に、青森県にゆかりのある木村秀政氏が設計者の一人として、工藤富治氏が工場長として、そして、藤田雄蔵氏がパイロットとして関わりました。
戦後初の国産輸送機YS−11に、青森県にゆかりのある木村秀政博士が技術委員長として携わりました。
大正時代の初期、青森県出身の日本初の民間プロ飛行士・白戸榮之助氏が、白戸式旭号で青森をはじめ東北・北海道の各地で巡業飛行を続け、成功を収めました。(※航空科学館HPより)
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